関東の古墳&陵墓研究

関東地方(主に埼玉県や茨城県)の古墳や遺跡、神社仏閣等を見学し紹介してます。 個人的に好きな陵墓関係の記事や書籍も紹介してます。

練習用

皆様こんにちは~(^◇^)

だいぶご無沙汰しております😅
現在PCが不調なのでタブレット端末から、
投稿してます為、改行が変な箇所が有るかと思いますが、
ご了承下さいませ😅

これからの季節は、
余程公園整備されていないと、
見学は難しいと思うくらい、
見学や観察には不向きだと思います😅
・・・・・ので、書籍を購入して、
脳内の古墳データを更新させてます😅
また、ブログの方も移行ソフトが、
リリースされ次第新しいプロバイダーに、
移行する予定です🎵

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最近はこの4冊を購入。
天皇陵関係のニュースは、
大仙陵古墳の外堤が調査されて、
仁徳天皇陵では無く履中天皇陵や
それ以外の大王クラス墓である可能性が、
高まりつつあるそうですが、
いくら考古学界が最新のデータを出しても、
天皇陵の治定替えをする考えは無い模様ですね😅
誰の墓かも確定していないのに、
世界遺産に登録されてしまったので、
簡単な調査も難しくなりそうですね。。。

群馬県の古墳関連が2冊有りますが、
ここ最近は全く行っていないので、
藤岡や前橋辺りから見学を再開しようかな?と考えてます😅

虎塚古墳と十五郎横穴墓群は見学済みですが、
指渋支群の正確な位地が分かったので再訪予定なのと、
直ぐ近くの笠谷支群の見学も、見学に絶好の季節になり次第、
行ってみようと、計画してます🎵

皆様こんにちは~(^◇^)

天気は良く気温も高めで過ごしやすい時期ですが、
雑草が茂る等、古墳見学には少々不向きな季節ですね(^^;

今回は水戸市郊外の古墳見学へ、妻の帰省ついでに、行って来ました(^^
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田島古墳群へ再訪したかったのですが、
ご覧の様な注意看板が入口に有り。。。
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一際目立つ円墳も周囲がご覧の様な状態になっており、
遭難の危険性が高い上に、前日に降った雨の影響で足元が危険な為、
秋~冬頃の再訪を誓いまして、断念する事にしました(^^;

代わりに三本松古墳群7号墳9号墳跡を見に行きました。。。
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北から見た7号墳の現況。。。
東西の道路敷設による削平および、ビニールハウス設置による墳丘破壊により、
道路からの最大高さ20cm程度になってます。。。

※2022年追記
ストリートビューで確認した所、樹木や下草が伐採され、
直径6~8m✖高さ1.5m程の墳丘がはっきり確認できます。
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北西側から内部の状態を。
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北西側敷地内において土器片確認。
おそらく土師器の破片と思われます。
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北東側からの眺め。
一面が枯葉などで覆われており、所々元墳丘が有ったと思われる地面が見えてます。
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北東側でも土師器と見られる土器片を確認。

:三本松古墳群 7号墳:
・所在地:水戸市田島町336-1付近
・墳形:円墳
・規模:直径6m✖高さ1.5m
・周濠:未調査
・埋葬主体部:未調査
・出土品:不明 東西に土器片確認
・備考:駐車スペースは向かい側の田島営農センターを利用
    古墳は道路沿いの私有地隅に現存
    
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埋葬主体部付近のみを残した様な状態の、
8号墳の直ぐ脇に民家を建築中でした。。。
8号墳もいずれ消えゆくのでしょうか???
※2022年現在もしっかり残されています(^^
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続きましては9号墳跡地を含む田島営農センターの外観。
ブロ友様による事前情報で、建物の裏側が該当地という事でしたので早速行ってみました。
一応人の有無を確認しましたが、誰もいらっしゃらなかったので、
それでも足早に見学させて頂きました。
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土が見えている部分を避けて砂利を敷いているのが気になったので、
おそらく9号墳はこの辺りに有ったのではないかと思います。
念のため地面をくまなく観察してみたところ・・・、、、
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2点の土師器片と思われる土器片を確認しました。

:三本松古墳群 9号墳:
・所在地:水戸市田島町244 田島営農センター敷地内
・墳形:円墳
・規模:不明
・周濠:未調査
・埋葬主体部:未調査
・出土品:不明 土器片散布
・現況:営農センター建設により破壊
    駐車スペース有り

皆様こんにちは~(^◇^)
本日は、行田市にある埼玉古墳群内に有る、二子山古墳の発掘調査現地説明会の、
午前の部(10時~12時)に参加してきました(^^

今回の調査目的は、中堤造出し近くの外堀を調査し、
中堤が長方形を呈する事が平成27年の調査で判明しているので、
外掘も同じ形状なのかを判定する事と、中堤造出しの形状(現在の形状は推定復元)を、
判明させるのが目的だそうです(^^
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道中の渋滞を考慮して家を早く出たのですが、
意外と空いていて、だいぶ早く現地に着いてしまったので、
軽く二子山古墳をじっくり一周したり、園内をブラついてました(^^;
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開催時刻30分前になり、ボチボチ人が来始めたので、トレンチ前に移動。。。
トレンチ前に長机が置いて有り、出土品が展示されていたので観察。。。
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円筒埴輪片
突帯が顕著に見られる上に、かなり厚みの有る埴輪ですね(^^
群馬県藤岡市の七輿山古墳上に見られる円筒埴輪片にも似た様な、
厚みが有り、径も大きそうな埴輪片です(^^
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この球体は、今の所確定はできないものの、
馬形埴輪の馬鈴ではないかと推定していると、職員の方は仰ってました(^^
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土師器 高坏
これくらいの大きさだと、くっつけて完成させるまで、
1週間程度で出来るとの事でしたが、
完成見本が無いジグソーパズルを組み立てる様な物ですね(^^;
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須恵器 坏身
平成29年に実施された墳丘西側造出しの調査では、
大量の土師器、須恵器、円筒埴輪が出土したそうです(^^
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須恵器は土師器と違って焼成温度が高い為、
固く割れにくいのが特徴ですね(^^
出土時も割れが全く無い坏蓋が数点出土しているそうです(^^
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整理番号が「6番(妻は5番)」と早かったので、
この女性職員の班になりました(^^
若く明るい元気な声で、分かり易く解説してました(^^
後ろに見えるトレンチは南側トレンチです。
近い時期に水田だった土地である為、かなり深くまで耕作(改変)を受けており、
古い時期の地面が判別しない事が判明したそうです。
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南側トレンチ全景
茶色い部分が古い時代の地面で、黒い部分は水田の土だそうです。
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パネルで説明していました(^^
埼玉古墳群は8基の前方後円墳全てが、ほぼ同じ方向を向いており、
全て2重の長方形周堀を持つ事が特徴ですね(^^
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赤い線で囲っている部分が今回発掘調査で設定した、
トレンチの位置を示しています。
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今回の主目的は中堤造出しの正確な形状を把握する為。。。
稲荷山古墳の中堤造出しの形状は正方形状で、将軍山古墳ではハの字状の形状。
順番はまだ確定では無いものの、稲荷山から将軍山古墳へ変遷していく途中の形状が、
この二子山ではないかと推定されているそうです。
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北側トレンチ全景
北側トレンチへ移動して撮影。。。
ココからは築造当時とされる地面の他、3基の土壙が検出されており、
その内部から円筒埴輪、形象埴輪、川原石、角閃石安山岩が、
それぞれ検出した状態を観察できるようにされてました(^^
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土壙全景。
土壙の性格ですが、右端の円形の穴はおそらく井戸で、
他2基の穴は耕作時に出てきた埴輪片を、
まとめて投棄したのではないかと推定されているそうです。
また、川原石は鉄砲山古墳(6世紀後半、横穴式石室)の、
石室閉塞材にも使われているそうで、
おそらく二子山古墳の埋葬主体部(竪穴式石室?)の石材の、
可能性が有るそうですが・・・・・、
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問題は中央に写っている大きな角閃石安山岩。
二子山古墳の推定築造年代は6世紀前半ですが、
埼玉古墳群でこの石材が石室材に使われるのは、
将軍山古墳などの6世紀後半頃になってからとの事で、
現在この石材が本当に角閃石安山岩なのかの判定待ちで、
実際に角閃石安山岩だった場合、築造時期が新しくなる可能性も、
有ると思う・・・との事でした(^^
墳丘の埋葬主体部の調査はまだ実施する予定は無いとの事ですが、
築造時期を確定させる為には、やはり掘ってみないと・・・
・・・と思うのですが(^^;
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3基の土壙を分かり易く線で囲ってみました(^^
右のオレンジ線は井戸と思われるもので、
まだ完掘出来ていない程深さが有ると仰ってました。
また、オレンジ線の土壙と黄色線の土壙が、
交わる中央付近の埴輪片は馬形埴輪の破片の可能性が有るそうです。
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今回は特別に埋め立てた内堀内に入らせて頂きました(^^
普段は立入禁止なので、墳丘や造出し(女性職員の頭部背後)が間近で見れて感激しました(^^
現在、墳丘上に登れるのは稲荷山古墳と丸墓山古墳、
天王山塚古墳の3基のみですが、二子山古墳にも登ってみたいので、
今後登れる様に整備して頂く事を強く希望します(^^
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平成29年に実施された造出し部分の発掘調査時の写真パネル。
方形に2段築成だった事が分かっています。
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また、円筒埴輪列と共に、祭祀後に打ち捨てたとされる、
大量の須恵器や土師器片が検出され、現在鋭意復元作業中だそうです(^^;

解説は30分程で終了したので、
ついでに将軍山古墳と資料館を見学(書籍3冊購入)して、帰宅の途に着きました(^^
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午前の部の参加者は100名程でした(^^
皆さん寒い中お疲れ様です(^^
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姿が綺麗な横から。。。

今回は妻も連れて行ったのですが、
「とても勉強になったし面白かった。」
「今回を機に少しづつ勉強してみる」と言ってました(^^
なかなか理解され難い趣味なので、一安心しました(^^;

皆様こんにちは~(^◇^)

本日の記事でネタが尽きた為、今回の見学記は終了です(^^;
次回更新は見学に行った時に書きますので、
今しばらくお待ちくださいませ。。。
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標柱
上ノ山古墳から西へ5km程進んだ所に有る、こちらの古墳です(^^
細い標柱の方はしっかり文字が読めますが、
左の看板は字が薄くなっていて劣化してしまってます(^^;
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コチラは、墳丘が有る台地先端部の麓に駐車スペースが有ります。
3ナンバー車で行くとご覧の広さですが、
小型車であれば、2台くらいは停めれそうです(^^
居住する県内でも近距離は小型車で見学していますが、
遠距離の場合はこの車を使ってます。
・・・が、長距離の古墳を見学する際に
道が細かったり、駐車スペースが無い場合は、
小型車をレンタルしようかな?と考えてます(^^;
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北西方向から見た宝塚(たからづか)古墳全景。
駐車スペースから西へ歩くと、古墳へ行ける急な坂道が、
見えてきますので、坂道を上っていくと、
少し開けた写真の様な光景が出てきます(^^
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説明板と標柱と墳丘
説明板の後ろの墳丘は後方部墳丘となります。
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説明板の拡大
茨城県内では当古墳を含めて、11基の前方後方墳が報告されているそうです(^^
墳形と範囲確認調査の際に土師器片が採集され、
墳丘の周囲に幅5~7mの周濠が巡っている事が判明した以外は、
埋葬主体部の調査などは実施されていない模様です。
築造時期(4世紀後半頃と推定)から考えると、
間違い無く竪穴系と思われますが、そちらは後程書きます(^^;
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説明板に記載されている墳丘実測図
後方部と前方部の幅に差が少ない形状の様です。
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北東側から見た後方部墳丘
当古墳は調査後復元されたので綺麗に整った墳丘です。
それでも下草がほぼ無く封土の様子が観察し易い上、
珍しい墳形なので、復元墳である事はあまり気になりません(^^;
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北側から見たくびれ部。
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北西方向から前方部を見た感じ。
墳丘実測図にも記載が有りますが、
規模は全長39.3m、前方部長さ19.8m✖南北幅16.5m✖高さ2m、
後方部東西辺20.5m✖南北辺19.5m✖高さ4m・・・となってます。
高さの記載は無かったので、記事を書く前にネット検索で調べ、
記載が無い箇所は行った時に目測推定としてます(^^;
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東方向から前方部先端。
前方部先端の中央部に墳丘へ上がる階段が設置されてます。
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前方部頂部から後方部を眺めた感じ。
頂部は広く平坦となってます。
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後方部頂部から前方部全景。
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後方部中央の長方形の生垣
おそらく埋葬主体部を保護する目的で設置されたと思われますが、
埋葬主体部についての情報が一切無いので、
本当にこの向きで主体部が有るのかは謎です(^^;
短辺1.5m✖長辺4m程度の細長い長方形状です。
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後方部墳丘の西側に有る開けた土地(運動場or社殿跡?)の端に、
この様な板石の石材が石碑として建立されてます。
この石材は宝塚古墳から出土したとの伝承が有りますが、本当かどうかは不明(^^;
ただ、古墳の直ぐ近くに有るので可能性は有るかと思います。
墳丘上や周囲に河原石が見当たらなかったので、
もし竪穴式石室だとすると、板石を組み合わせた、
箱式石棺の様な外観のタイプかもしれませんね(^^
ただ、この石材は無関係であり、粘土槨である可能性も捨てきれませんが。。。(^^;
早い所発掘して埋葬主体部がどんな物かはっきりして頂きたいですね。
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石材の裏側
現在は「供養碑」と刻まれているので、
古墳の被葬者もしくは、古墳とは関係の無い別の人物の為と思われます。
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西方向から見た墳丘と周濠跡。
南側の方が周濠跡の観察がし易いと思います(^^
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南東方向から全景。
この方向からの眺めが最も前方後方墳という形状を把握し易いと思います(^^

:宝塚古墳(たからづかこふん):
・所在地:東茨城郡茨城町
・墳形:前方後方墳
・規模:全長39.3m
    後方部一辺20.5m✖高さ4m
    前方部幅16.5m✖高さ2m
・周濠:有り 幅5~7m
・埋葬主体部:不明(竪穴系?)
・出土品:土師器壺片一個体分
・築造年代:4世紀後半
・史跡の指定区分:町指定
・備考:駐車スペース有り
    墳丘は復元

皆様こんにちは~(^◇^)

本日は水戸市の隣の茨城町に有る古墳を紹介します(^^
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北東から眺めた遠景。
正面奥の小高い丘陵の上に目指す古墳は有ります。
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標柱
後円部西側の丘陵縁辺に建てられてます。
樹木/下草が茂る時期は隠れてしまいそうな位置です(^^;
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南西側から見た上ノ山(うえのやま)古墳の全景。
墳丘全長28.5m、後円部径20.5m✖高さ3m、前方部高さ2mの規模を持つ前方後円墳です。
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説明板。
発掘調査は実施(平成2年)にされているものの、範囲確認と簡単な調査だけだった模様。
円筒埴輪や形象埴輪の破片が採集されているのみで、
埋葬主体部は未記載な事から、そちらは未調査の様です。。。
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墳丘規模を比べた図。。。
仁徳陵(現:大仙陵古墳)と比べるのは少々可哀想かも?(^^;
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前方部南側裾から後円部を眺めた感じ。
前方部頂部端に大きな樹木が有るのと、
後円部頂部に(主体部保存の為?)植え込みが有る以外は、
下草が少ないので見学/観察し易くなってます(^^
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コチラは北東側にまわって前方部から後円部を。。。
周濠の有無も不明ですが、コチラ側(北東側)から、
後円部北側裾までの範囲で、深さ10cm程度の浅い窪みが確認できたので、
幅の狭い周濠の存在の可能性も有るかもしれませんね(^^

北東側から後円部裾まで一周してみようと思いましたが、
くびれ部後円部寄りの辺りで大きな竹が数本折れて墳丘へ倒れ込んでおり、
行く手を阻んでいたので、全周観察は諦めました(^^;
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前方部頂部へ登って後円部を眺めた感じ。
前方部頂部と後円部頂部の比高差は、およそ1m程度でしょうか?
築造当時からこの比高差なのかは不明です。。。
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後円部頂部の植え込み。
ほぼ中央付近に有りますが、埋葬主体部は未調査といっても、
築造年代的に横穴式石室か石棺埋納と思われるので、
この植え込みは意味不明です。。。(^^;
枝をかき分けて内部を見てみたものの、
細かい枝だらけで良くは見えませんでしたが、
平坦では無く、中央部へ向かって少し盛り上がっている様に見えました。

:上ノ山古墳(うえのやまこふん):
・所在地:東茨城郡茨城町前田
・墳形:前方後円墳
・規模:全長28.5m
    後円部径20.5m✖高さ3m
          前方部高さ2m
・周濠:有り
・出土品:円筒埴輪、朝顔型埴輪、人物埴輪、馬形埴輪
・埋葬主体部:未調査
・築造年代:6世紀中頃~7世紀前初頭
・史跡の指定:町指定
・備考:駐車スペース無し

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