関東の古墳&陵墓研究

関東地方(主に埼玉県や茨城県)の古墳や遺跡、神社仏閣等を見学し紹介してます。 個人的に好きな陵墓関係の記事や書籍も紹介してます。

川越市

皆様こんにちは~(^◇^)
本日は川越市内の南大塚古墳群に属する、大型の上円下方墳である、
山王塚古墳の発掘調査見学会に、行って来ました~(^^
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説明会は10時からだったので、9時30分過ぎに現地に入ったのですが、
既に多くの見学者の方が現地入りされてました(^^
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墳丘前で資料を頂き中身を熟読。。。
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資料を配布している所で、古墳から出土した石材片や、
僅かながら須恵器片なども展示されてました。
青い箱に入っているのは角閃石安山岩片で、各々の石材に加工の跡が見られました。
濃いグレー色の箱には石室材に使用されたと思われる、緑泥片岩の破片が入ってました。
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一番奥の箱には、須恵器片の他、中世の青磁器片の他、盗掘口内から出土した、
宋の時代の古銭が展示されてました。

こうした見学会の参加は初めてだったのですが、
説明会が始まると混雑するであろうと思い、
先にトレンチが設定されている箇所へ。。。
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鳥居の先、円丘部の頂部近く斜面の周囲に、
土嚢が積まれ、その周囲に沢山の見学者が見えます。
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トレンチ全景。
かなり深めに掘ってありました。
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南側から。。。
トレンチの最深部に石室の床部石材と、
壁材と思われる緑泥片岩が少しだけ見えてます。
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トレンチ東側から。。。
2枚の大きな緑泥片岩の板石と、大きくて楕円形状の河原石の他、
おそらく葺石だったであろう丸石などが確認できました(^^
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トレンチの隅には、緑泥片岩の破片と、加工の跡が見られる角閃石安山岩が入った、
トレーが置かれてました。
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トレンチの西側横には、トレンチを設置した時に出たであろう、
大量の礫が山積みされてました。。。
後で職員の方にお聞きした所、おそらく元は葺石だったのを、
盗掘した後で埋め戻す際に、これらの石も投入したのだろうとの事でした。
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説明会の時間になった所で、職員の方が輪の中心に立ち、
配布された資料を元に、古墳群の立地状況や、
周辺の発掘調査状況などを大まかに説明してました。
この時点で周囲には約200人ほどの見学者の方が居ました(^^;
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墳丘上の東隅と西隅、トレンチの3ヶ所で、各々職員さんの説明を聞きました(^^
特に興味が有った主体部上部トレンチの説明を、真っ先に聞きに行きました(^^

その説明によると、斜めになっている緑泥片岩の板石は、
元は羨道部かその先の前室の天井石か壁材だったものが、
盗掘時に動かされた痕跡が認められる事から、
原位置には無かった可能性が高いとの事でした。
また、その下に検出されている、一際幅の有る緑泥片岩の板石は、
検出部長さ150cm✖幅60cm✖厚さ8cmのサイズが有り、
動かされた形跡が見られ無い事から、床材で原位置を保っている石材であろうとの説明でした。

残念ながら今回の発掘調査は、石室の存在を確認する為の調査であり、
今の所玄室部へ至る様な調査は実施する予定は無いとの事でした。。。

一部で国指定史跡へ向けて動いているとの情報も有りますが、
本日の説明や古墳の現状を見る限りでは、国指定は難しそうに思います。。。
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また、木の棒が刺さっている所から内側が、盗掘時に充填された土ですが、
想定されていたよりも盗掘が大規模であった事が推測され、出土品も非常に少ない事などから、
全長10mを超える影(※)が地中探査レーダーにより、確認されてますが、
床部は残っていたとしても、石室は大きく破壊を受けている可能性が有り、
今の所、市としてもこれ以上の発掘調査を、実施しようという気は無いそうです。。。

※複室構造の横穴式石室が想定されてました。
 古墳築造年代から、行田市の八幡山古墳に匹敵するであろう、
 長大な石室の姿を見てみたかったです(^^;

まだ私有地ですので、整備しようとするならば、土地全体の買取が先でしょうか?
・・・・・・整備するにしても、「芝生を敷く」「墳丘を損壊しそうな樹木のみ伐採」
位に留めて置いて頂いて、間違っても府中市熊野神社古墳(山王塚と同じ墳形)の様に、
現代的な姿にはして欲しく無いですね。。。

後、熊谷市の宮塚古墳も、方墳が崩れた物なのか、上円下方墳なのか、
はっきりさせて頂きたいですね(^^

季節が夏から秋へようやく移った所で、
まだまだ下草も繁茂しているのと、仕事が多忙ですので、
古墳見学は11月下旬以降を予定しております(^^

あんけん様、沢山の資料を頂戴しまして誠に有難うございました(^^
今後の古墳見学の参考にさせて頂きたいと思います
また、他のブロガー様や同好の皆様、不定期更新では御座いますが、
今後ともどうぞ宜しくお願い致しますm(_ _)m

また、皆様にお目に掛かれる機会を楽しみにお待ちしております

皆様こんにちは~(^◇^)

本来であれば、来月から更新再開の予定でしたが、
当ブログへの情報を提供して頂いた方から、川越市にある市指定史跡で、
上円下方墳では東日本最大級の規模を持つ、
山王塚古墳の主体部付近の発掘調査が始まっているとの、
情報を頂いたので、台風が過ぎて雨が上がった後という、
見学には少々不向きな天気でしたが、
早速買い物ついでに行って参りました(^^
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山王塚古墳入口から上円部を眺めた感じ。
正面の鳥居の奥に調査区が設定されていますが、
埋葬主体部の開口部が有るとされているのは、
鳥居の正面奥と推定されています。

また、墳丘下方部の東側端、墳丘正面左(西)側詰所背後、
墳丘下方部西側隅と下方部平坦面、墳丘北側下方部隅の、
それぞれに掘られたトレンチがそのままの状態で、
見られたので、各トレンチもじっくり見学して参りました(^^

まず、墳丘下方部東側端のトレンチから。。。
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やや底面が湾曲してますが、水が溜まっている手前付近が周堀の跡で、
一番奥の階段状になっている部分が、方丘部の斜面と思われます。
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土壁には版築の様子も見られました(^^
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こちらは、墳丘正面西側近くに設置されたトレンチ。
右端に見えている建物は詰所です(^^
この辺りは周堀が有ったとされている場所ですが、
特に遺物などは見られませんでした。
周堀の深さを特定する為のトレンチかもしれませんね?
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墳丘西側方丘部端に設置された長いトレンチ。
最も手前の部分が築造当時の土地で、その先が周堀と見られている部分。
東側トレンチ程では無いですが、こちらでも版築が見られました。
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先ほどの長いトレンチの先(方丘部平坦面)に、設置された深いトレンチ。
コチラでは、墳丘築造に伴う版築が観察できました。

そしてこの深いトレンチから先に歩いて、方丘部北側に当たる部分に、
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幅1.5m✖長さ3~4m程のトレンチが設定されてました。
奥の車が数台止まっている辺りは、豊富な副葬品が出土した山王塚西古墳が有った所です。
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それでは、今回の見学のメインである、トレンチへ向かいましょう(^^
鳥居の奥、山王社参道中央から東にズレた所に、2箇所のトレンチが掘られていました。
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2箇所のトレンチを鳥居付近から撮影
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鳥居側のトレンチ。
大量の礫が見えますが、これは石室前庭部の敷石遺構であるとされています。
目を凝らして観察してみましたが、石室石材であるとされている緑泥片岩の破片くらいで、
須恵器などの破片は見られませんでした。
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墳頂部側のトレンチ。
コチラは礫が少々見られるのみでしたが、土壁から緑泥片岩の礫が多数突き出てますね。
これらの礫は裏込め石かもしれませんね(^^

石室の調査は予算の都合で、次年度以降になるとされています(^^;
また、墳頂部には以前盗掘口が空いていた事が判明しているので、
副葬品は既に持ち去られてしまっている可能性が高いとの事ですが、
レーダー探査調査で円丘部の下に長さ約16mもの反応(影)が、
見られたそうで、かなり規模の大きな埋葬主体部が埋まっていると推定されています(^^
16mということは、行田市にある八幡山古墳に匹敵する規模ですね(^^
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今回見られたトレンチの大まかな位置を、手持ちの資料の実測図に書いてみました(^^

ここで、山王塚古墳の墳丘規模を今一度。。。
・墳形:上円下方墳 葺石 円丘部3段築成
             方丘部1段築成
・規模:方形部一辺約57m✖高さ1m
    円丘部直径約35m✖高さ3.5m
・周堀の有無:有 上幅約9m✖底幅約3m✖深さ約2.3m
・出土品:土師器片(2013年の調査で出土)、須恵器杯片
・埋葬主体部:未検出
       緑泥片岩の破片が多数見られる事から、
       緑泥片岩使用の長大な横穴式石室か?
・築造年代:7世紀中頃
・備考:昭和33年(1958)、川越市指定史跡に指定
    昭和59年(1984)、周溝確認調査実施
    平成3年(1991)、東側の周溝の一部が発掘
    平成8年(1996)、北東側周溝の一部が発見
    平成25(2013)、築造当時の方丘部検出、
               周堀確認、版築確認など

また、隣接した山王塚西古墳(直径32mの円墳 消滅)からは、
玄室に礫を敷いた横穴式石室が検出されており、
羨道部入口から土師器甕形土器が出土し、
玄室から大刀2、柄頭、刀装具片、留金具片、鉄鏃片22、
刀子、鉋(やりがんな)、鍬(鋤)刃先、瑪瑙製勾玉6、
水晶製勾玉2、漆塗り木製練玉、ガラス製小玉3、
ガラス製臼玉14、水晶製切子玉2、金銅製環9、
金銅製環片5・・・の豊富な副葬品が出土しているので、
この山王塚も規模が大きいので、盗掘されていても、
何かしらの副葬品が出土するのと、立派な石室が、
検出される日が待ち遠しいです(^^

・・・ただ、現在市指定史跡ですが、将来的に国指定史跡に、
移行させる予定だそうですが、決して「平成の古墳」には、
して欲しく無いと思いました。。。(^^;

皆様こんにちは~(^▽^)
 
梅雨入り宣言が出たのに、全く雨が降らない関東地方。。。
早くも水不足の心配が出始めてます。。。
 
さて、なかなか仕事が忙しくて北関東の古墳に行けないので、
今回は国道16号に近い所に有る、伊佐沼という大きな沼地。
その直ぐ近くに立地する古墳の紹介をします(^^ 
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古谷神社(ふるやじんじゃ)古墳の全景
天気が良い日が続くので、樹木の葉も青々としてます。
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鳥居の奥が墳丘及び、墳頂にある神社への階段が有ります。
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以前は古谷神社では無く、赤城神社が墳頂に祀られていたので、
赤城塚と呼ばれていたそうです。
これまでに正式な発掘調査は行われて無いために、
周辺住民からは洪水から大切な物を守る為に作られた、
水塚だと思われていたそうです。
・・・・・が、この塚から南東50mの所にあった、
熊野神社塚を崩した際に、直刀や人物埴輪などの破片が出てきた事から、
水塚では無く、古墳の可能性があると言われ始めたそうです。
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神社の由緒板の後半部分にも、調査がされてないから、
断定はできないと言う様な事が明記されてます(^^;
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墳頂部までの高さは3~4m弱くらい。
墳頂部は大きく平らに整地され、拝殿・本殿の他、数棟の建築物が有りました。
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本来は直径30mほどの円墳ですが、
墳丘の周りに道路が出来ている為に、方墳に見えます(^^;
蚊に数カ所刺されながら、墳丘斜面と周辺をくまなく観察してみたところ、
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ご覧の様な、土器の破片を見つけました
厚みと緩やかな弧を描く片面から推測するに、
埴輪では無く土師器壷の破片であろうと思います。
また、直刀や埴輪が熊野神社から出たと書きましたが、
上の航空写真で、古墳右側の緩やかに弧を描く部分は、
昔の伊佐沼の一部で、私が訪れた時は干上がっていましたが、
実はココには、小さな池が存在しています。
この池からも太刀と埴輪片が出たと、手持ちの資料に明記されてます。
距離が近いことから、ココに古墳があったのでは無く、
この古谷神社古墳に副葬されていたものが、社殿建築工事の際に、
転がり落ちたのかもしれません。
また、説明板には埼玉古墳群と同じ頃(6世紀末~7世紀)と書かれてますが、
厚みのある土師器は5世紀~6世紀前半頃に多く見られるので、
この古谷神社古墳が築かれたのも、おそらく上記の年代頃だと、
個人的に推測しております。
墳頂に社殿が建っている為に、調査は難しいでしょうけれど、
墳形確認や築造年代が特定できるような調査実施を早急に希望します(^^
 
尚、直刀や埴輪が出た熊野神社塚があった辺りは現在、
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田圃地帯になってます。。。
古墳のあった場所は、中央左寄りの民家と、
中央右側の木立ちとの中間辺りにあったと思われます。
 
車で見学される方は、古墳の横と裏側にそれぞれ、
参拝者用駐車場(4~5台分)が確保されているので、
コチラに止めた上で、ゆっくり見学されると良いと思います(^^
 
:古谷神社(ふるやじんじゃ)古墳:
・所在地:川越市古谷上3564 古谷神社
・墳形:円墳
・規模:直径30m✖高さ3m
・周濠:不明
・出土品:周辺より直刀、人物埴輪、円筒埴輪片
     墳丘は未調査の為不明
・埋葬主体部:未調査
・築造年代:説明板は6世紀末~7世紀前半
      個人的には中葉~後期
・史跡の指定:市指定史跡
・備考:駐車スペース有り
    熊野神社塚は破壊済み

皆様こんばんは~(^▽^)
 
確実に梅雨の時期に入ってるハズなのに、
カラッとした晴れ間が続いている関東地方。。。
なかなかまとまった雨が降らないので、
古墳巡りに行けるのは嬉しいのですが、
そろそろ降ってくれないと、水不足にならないか心配です。。。
 
さて、南大塚古墳群の紹介は、一応今回がラストです。 
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東日本最大級の上円下方墳である山王塚古墳から、
歩いて10分ほどの田園地帯の中に有る、
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南大塚古墳群の残存墳丘と思われる物体です(^^
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この手持ちの資料に掲載されている、南大塚古墳群の古墳分布図の中で、
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少々ブレてしまってますが、位置的に7号がこの物体に相当すると思われるからで、
1~6号と8号は古い時代に破壊&消滅しており、
人工的な盛土が確認できるのが、この7号と思われる所だけなのです。
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分かりにくいですが、盛土の様子です。
直径(目測)約15m✖高さ1.5mほどの規模があります。
ココを訪れたときに、たまたま近所の幼稚園児数名と、
付き添いの教員の方が居たので話を聞くと、
「地元の人間は蛇島(へびじま)と呼んでいるが、古墳という認識は無かった」
・・・・・と仰っていました(^^; 
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物体頂部の様子。
頂部は直径6mくらいの平坦地が広がってます。
ゴミや落ち葉、枯れ木くらいしか見られませんでした。。。
 
平成4年から数年に渡って行われた発掘調査では、
何も出なかったのか、資料中には第二支群7号墳とだけしか記載されてません。。。
山王塚古墳の近くに立地することや、近接していた古墳が、
5世紀後半~7世紀初頭に掛けて築造されたと推測されている事から、
今回のこの物体も上記期間中に築かれた物だと思いますが、
近世に築かれた盛土である可能性も否定できませんので、
現時点では古墳様の物体としておきます(^^;
 
それでは・・・以下に南大塚古墳群を個人的に纏めてみます(^^
 
南大塚古墳群は、入間川と旧赤間川をのぞむ標高29mの、
川越台地の北西縁辺に形成された古墳群で、
古墳群の中央を関越自動車道が走っており、
道路を挟んで、山王塚を中心とする東の一群を、
南大塚古墳群第一支群、ここから西へ約500mの、
関越自動車道の南側にまたがって存在する一群を、
南大塚古墳群第二支群としている。
 
尚、既に破壊&消滅している古墳は赤字
現存&見学できる古墳は青字で表示しています(^^
第二支群7号古墳は現状不確定なので、
別の色にて示しておきます(^^;
 
:第一支群:
・山王塚古墳上円下方墳 一辺63m 須恵器片 7世紀
・山王塚西古墳円墳 径32m 横穴式石室 太刀2
        柄頭、刀装具片、留金具片、鉄鏃片22
        刀子、鉋、鍬刃先片、瑪瑙製勾玉6、
        水晶製切子玉2、水晶製勾玉2、漆塗木製練玉、
        ガラス製小玉3、ガラス製臼玉14、金銅製環9、
        金銅製環片5 7世紀
・南大塚1号古墳円墳 径19m 6世紀台 主体部不明 周掘有
・南大塚2号古墳円墳 径19.5m 6世紀台 横穴式石室
         周掘有 太刀、鉄鏃、刀子、壷形土器、円筒埴輪
         土師器坩形土器
・南大塚3号古墳円墳 径19.5m 礫槨 5世紀中頃
・西中原1号古墳円墳 径18~24m 主体部不明 円筒埴輪片
         土師器細片 6世紀台
 
:第二支群:
・二支群1号古墳円墳 径南北20m✖東西15m 礫床粘土槨
         土師器杯形土器 5世紀後半
・二支群2号古墳円墳 東西18m✖南北17m 周掘検出 木棺直葬2
         鉄鏃、刀子
・二支群3号古墳中世墳墓と判明
・二支群4号古墳帆立貝式前方後円墳 全長36m 横穴式石室
         円筒埴輪、形象埴輪(人物・馬・家・鞆・靫・太刀)
         水晶製切子玉4、須恵器高坏、土師器杯形土器
         6世紀中期~後半
・二支群5号古墳早期に破壊の為、詳細不明
・二支群6号古墳早期に破壊の為、詳細不明
・二支群7号古墳円墳状 径約15m✖高さ1.5m
・二支群8号古墳早期に破壊の為、詳細不明
・西中原2号古墳ホテル建設の為破壊 詳細不明
・西中原3号古墳(現:中原古墳)円墳 径20m✖2.5m 出土品不明
・大東公民館脇古墳(永久保1号古墳)円墳 径15m
・永久保2号古墳円墳 径20m✖高さ2m 主体部不明 6~7世紀
・二ツ塚古墳前方後円墳 後円部径20mのみ残存
       主体部不明 直刀、人骨 6世紀後半~末
・菅原神社東古墳円墳 径20m✖高さ3m 詳細不明 6世紀台
 
第一支群に属している古墳の内、現存しているのは、
山王塚古墳と前回紹介した西中原1号古墳のみで、
後は宅地建設や耕作用地造営の為に、破壊されてしまっています。。。
第二支群の方が、現存している古墳が多いのですが、
ほとんどが住宅地内なので、何故破壊を免れたのか、
不思議に思っております(^^;
 
破壊されずに残っていれば、一大古墳群として、
観光地化されていたかもしれませんね。。。(^^;

皆様こんにちは~(^▽^)
 
南大塚古墳群シリーズ、もう少しだけ続きます(^^; 
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完全に大きな森と化してますが。。。(^^;
西中原1号(にしなかはらいちごう)古墳
関越自動車道の直ぐ側にある為に、ひっきりなしに車が高速で走行する音が響いてました。
古墳のある森の奥は、廃墟になったホテルがあり、
真新しいホームレスの寝床もあったので、見学される際はご注意下さい(^^; 
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ちょっと近づいて墳丘の様子を。。。
何処が墳丘か分からないという方の為に、
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青いラインが墳裾、赤いラインが墳丘となります(^^;
やっぱり古墳見学は、初秋~初春に限りますね。。。
蚊にも数カ所刺されましたし。。。(T_T)
それでも、せっかくココまで来て引き返すのも勿体ないので、
森の内部に突入してみました
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墳頂部の様子。
墳頂部は広く平坦になってました。
落ち葉が広範囲に落ちて重なっていたので、
分かり難いですが、直径3~4mの範囲で平坦面が広がっていました。
 
辺りを見回すと・・・・・
イメージ 5
 
イメージ 6
葺石にしては大きいので、おそらく石室石材かと思われる、
大きな礫が、墳丘南側斜面に散見されました。
資料によりますと、墳丘の規模は東西24m✖南北18m✖高さ1.5mの円墳で、
墳丘西側と墳裾から、幅5.3~6.9mの周堀が検出されてます。
墳丘自体の調査はされていませんが、
周掘内からは、円筒埴輪の口縁部小片や土師器細片が、
出土しており、周掘内側の法部分から長楕円形を呈した、
土壙が発見されていますが、遺物は無かったそうです。
 
この古墳も墳裾から墳頂に掛けて、くまなく封土面を見て廻りましたが、
土師器などの破片は見つかりませんでした。
 
古墳の前に側道があるので、交通量は多めですが、
隣のホテル廃墟の前に駐車スペースがあるので、
車で見学される際は、コチラに止められると良いと思います。
 
西中原古墳は全部で3基有りますが、
1号墳は今回紹介した所、
2号墳はホテル建設で消滅、
3号墳は前回紹介した「中原古墳」の正式名称となります(^^
 
南大塚古墳群の詳細は、後日別記事にて書こうと思います。
 
:西中原1号(にしなかはらいちごう)古墳:
・所在地:川越市南大塚1-5-3 ホテル廃墟前に所在
・墳形:円墳
・規模:東西24m✖南北18m✖高さ1.5m
・周濠:有り 幅5.3~6.9m
・出土品:(周堀内より)円筒埴輪口縁部小片、土師器細片
     (周掘内内法部分)長楕円形の土壙
・埋葬主体部:未調査
・築造年代:6世紀中期~後半
・史跡の指定:市指定史跡
・備考:駐車スペース無し

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