関東の古墳&陵墓研究

関東地方(主に埼玉県や茨城県)の古墳や遺跡、神社仏閣等を見学し紹介してます。 個人的に好きな陵墓関係の記事や書籍も紹介してます。

川越市

皆様こんにちは~(^▽^)

本日紹介する古墳(塚?)はコチラ。。。

IMG_0520

南西から見た(仮称)春日神社古墳全景。
川越市では現在古墳とは断定されてませんが、
方々の古墳見学ブログで「古墳ではないか?」とされていますので、
一応当ブログでも古墳の書庫に入れておこうと思います(^^;
現在は道路と公民館建設により長方形状になってますが、
元は直径20~25m程度の円丘と思われます。

IMG_0518

南から。。。
高さは4m程有りますが、春日神社の社殿を建設するに当たり、
八雲神社古墳同様に嵩増しされていると思われます。

IMG_0522

北から。。。
北側は月極駐車場になっているので駐車しないよう注意が必要です(^^;
車は軽自動車であれば、社殿正面鳥居前に置けます。

IMG_0523

頂部に設置されている説明板は、神社本殿が文化財の指定を受けている事を、
記した文章のみで、古墳である可能性を秘めた盛土に関しては、
何も記載されていません。。。

IMG_0524

春日神社拝殿
何故か飛行機の模型(厚紙製)が奉納されてました(^^;

何か古墳であると推定される様な遺物は無いかと、
頂部や斜面を観察していたところ。。。

IMG_0525

社殿北側隅の元々石階段が有った辺りに、
他の階段とは異なる石材が埋まっているのを発見。
凝灰岩っぽいですが。。。

IMG_0526

また、北側斜面において、土師器orかわらけの様な土器片を見つけました。
これ以外にも太い幹の根本付近に数点小さな土器片を見つけました。

現在調整中なのか、埼玉県埋蔵文化財情報公開ページの、
川越市の項目は「調整中」となっていて閲覧できないので、
周辺にどの様な遺跡が有るのか確認は出来ず、
また、新型コロナ感染拡大による自粛要請の為、
市内の資料館や博物館は軒並み閉館中の為、
今回見学した川越市内の古墳/塚に関しては情報が、
ほとんど得られませんでした。。

既に頂部に神社社殿が建てられている事から、
主体部を含めた調査の実施は難しいのでしょうが、
近世の塚なのか古墳なのかくらいは、
はっきりさせて欲しいですね(^^;

:(仮称)春日神社古墳:
・場所:埼玉県川越市砂新田140
・墳形:元は円丘?
・規模:現存一辺25m×15m×高さ4m
・備考:境内に八坂神社と稲荷神社の祠有
    駐車スペース有り(鳥居前)

皆様こんにちは~(^▽^)

本日は川越市内にある神社古墳と、
古墳である可能性が有るのに、未指定(塚扱い?)の、
2基を順次紹介していきます(^^

まずは、コチラの神社古墳から。。。

IMG_0527

西から見た八雲神社古墳全景。

IMG_0528

車は十数台は停められそうな広さが有ります(^^
工事用車両が停まってますが、
当日は社殿の修復工事が実施されていて、
社殿の裏側には行けない様になっていました(^^;

IMG_0532

墳丘西側は崩落防止の為か、パイプ状の土留め柵で覆われてます。

IMG_0531

北側から。
墳丘の上に2m程の高さで石垣を載せて社殿を建てている模様。

IMG_0534

東側から。。。
社殿の裏側付近ですが、コチラ側の石垣は3m近く有りそう。
ついでに斜面も観察しましたが、土器片などは皆無。。。
この古墳の詳細は発掘調査が実施されていないので不明ですが、
北側~東側にかけて墳丘裾に深さ数cm程度の窪みがみられたので、
周濠を持つ可能性が有るかと思います。
また、墳丘斜面の角度が急な事から埋葬主体部は横穴式と思われますが、
社殿へアクセスする階段は西側に設置されており、
ほとんどの場合の開口部が存在するであろう南側斜面は、
破壊や削平を受けていないので、横穴式であれば未盗掘の状態で、
残されているかもしれませんね(^^
ただ、前期古墳だった場合は竪穴式の為、
社殿建設の為の土台(石垣)設置で破壊されている可能性も有りますが、
今後調査の手が入れば判明すると思いますので、
主体部残存か否かの地中探査レーダー調査だけでも実施して欲しいですね(^^

IMG_0538

この盛土が古墳については知られている様ですが、
調査の手が入っていないらしく、築造年代や主体部などは不明で、
神社にまつわる囃子が県指定・無形民俗文化財に指定されているだけで、
説明板にも古墳の事は一切触れられてません(^^;

IMG_0537

石段登り口の下から。
かなり急な角度が付けられてますが、頑丈な手すりがあるので、
安心して昇り降りできます(^^

IMG_0536

頂部から見下ろした感じ。
古墳そのものの高さは約4m程度とされていますが、
さらにその上に石垣が設置されているので、
6m以上の高さが有り、角度が急なので少々怖いです(^^;

IMG_0535

社殿の修復は屋根瓦の葺き替えの様で、
社殿の脇に古い瓦がたくさん積まれてました。

:八雲神社古墳:
・場所:埼玉県川越市中台元町1-13 八雲神社
・墳形:円墳
・規模:直径26m×高さ4m
・周濠の有無:有?
・備考:頂部に神社社殿有り
    駐車スペース有り

次回は古墳と思われる春日神社を紹介します。

皆様こんにちは~(^◇^)
本日は川越市内の南大塚古墳群に属する、
大型の上円下方墳である、山王塚古墳の発掘調査見学会に、
行って来ました~(^^

イメージ 1

説明会は10時からだったので、
9時30分過ぎに現地に入ったのですが、
既に多くの見学者の方が現地入りされてました(^^

イメージ 2

墳丘前で資料を頂き中身を熟読。。。

イメージ 3

資料を配布している所で、古墳から出土した石材片や、
僅かながら須恵器片なども展示されてました。
青い箱に入っているのは角閃石安山岩片で、
各々の石材に加工の跡が見られました。
濃いグレー色の箱には石室材に使用されたと思われる、
緑泥片岩の破片が入ってました。

イメージ 4

一番奥の箱には、須恵器片の他、
中世の青磁器片の他、盗掘口内から出土した、
宋の時代の古銭が展示されてました。

こうした見学会の参加は初めてだったのですが、
説明会が始まると混雑するであろうと思い、
先にトレンチが設定されている箇所へ。。。

イメージ 5

鳥居の先、円丘部の頂部近く斜面の周囲に、
土嚢が積まれ、その周囲に沢山の見学者が見えます。

イメージ 6

トレンチ全景。
かなり深めに掘ってありました。

イメージ 7

南側から。。。
トレンチの最深部に石室の床部石材と、
壁材と思われる緑泥片岩が少しだけ見えてます。

イメージ 8

トレンチ東側から。。。
2枚の大きな緑泥片岩の板石と、
大きくて楕円形状の河原石の他、
おそらく葺石だったであろう丸石などが確認できました(^^

イメージ 9

トレンチの隅には、緑泥片岩の破片と、
加工の跡が見られる角閃石安山岩が入った、
トレーが置かれてました。

イメージ 10

トレンチの西側横には、トレンチを設置した時に出たであろう、
大量の礫が山積みされてました。。。
後で職員の方にお聞きした所、
おそらく元は葺石だったのを、盗掘した後で埋め戻す際に、
これらの石も投入したのだろうとの事でした。

イメージ 11

説明会の時間になった所で、職員の方が輪の中心に立ち、
配布された資料を元に、古墳群の立地状況や、
周辺の発掘調査状況などを大まかに説明してました。
この時点で周囲には約200人ほどの見学者の方が居ました(^^;

イメージ 12

墳丘上の東隅と西隅、トレンチの3ヶ所で、
各々職員さんの説明を聞きました(^^
特に興味が有った主体部上部トレンチの説明を、
真っ先に聞きに行きました(^^

その説明によると、
斜めになっている緑泥片岩の板石は、
元は羨道部かその先の前室の天井石か壁材だったものが、
盗掘時に動かされた痕跡が認められる事から、
原位置には無かった可能性が高いとの事でした。
また、その下に検出されている、一際幅の有る緑泥片岩の板石は、
検出部長さ150cm×幅60cm×厚さ8cmのサイズが有り、
動かされた形跡が見られ無い事から、
床材で原位置を保っている石材であろうとの説明でした。

残念ながら今回の発掘調査は、
石室の存在を確認する為の調査であり、
今の所玄室部へ至る様な調査は実施する予定は無いとの事でした。。。

一部で国指定史跡へ向けて動いているとの情報も有りますが、
本日の説明や古墳の現状を見る限りでは、
国指定は難しそうに思います。。。

イメージ 13

また、木の棒が刺さっている所から内側が、
盗掘時に充填された土ですが、
想定されていたよりも盗掘が大規模であった事が推測され、
出土品も非常に少ない事などから、
全長10mを超える影(※)が地中探査レーダーにより、
確認されてますが、床部は残っていたとしても、
石室は大きく破壊を受けている可能性が有り、
今の所、市としてもこれ以上の発掘調査を、
実施しようという気は無いそうです。。。

※複室構造の横穴式石室が想定されてます。
 古墳築造年代から、行田市の八幡山古墳に匹敵するであろう、
 長大な石室の姿を見てみたかったです(^^;

まだ私有地ですので、整備しようとするならば、
土地全体の買取が先でしょうか?
・・・・・・整備するにしても、
「芝生を敷く」
「墳丘を損壊しそうな樹木のみ伐採」
位に留めて置いて頂いて、
間違っても府中市熊野神社古墳(山王塚と同じ墳形)の様に、
現代的な姿にはして欲しく無いですね。。。

後、熊谷市の宮塚古墳も、
方墳が崩れた物なのか、上円下方墳なのか、
はっきりさせて頂きたいですね(^^


季節が夏から秋へようやく移った所で、
まだまだ下草も繁茂しているのと、仕事が多忙ですので、
古墳見学は11月下旬以降を予定しております(^^

あんけん様、沢山の資料を頂戴しまして誠に有難うございました(^^
今後の古墳見学の参考にさせて頂きたいと思います
また、他のブロガー様や同好の皆様、
不定期更新では御座いますが、
今後ともどうぞ宜しくお願い致しますm(_ _)m

また、皆様にお目に掛かれる機会を楽しみにお待ちしております

皆様こんにちは~(^◇^)

本来であれば、来月から更新再開の予定でしたが、
当ブログへの情報を提供して頂いた方から、
川越市にある市指定史跡で、
上円下方墳では東日本最大級の規模を持つ、
山王塚古墳の主体部付近の発掘調査が始まっているとの、
情報を頂いたので、台風が過ぎて雨が上がった後という、
見学には少々不向きな天気でしたが、
早速買い物ついでに行って参りました(^^

イメージ 1

山王塚古墳入口から上円部を眺めた感じ。
正面の鳥居の奥に調査区が設定されていますが、
埋葬主体部の開口部が有るとされているのは、
鳥居の正面奥と推定されています。

また、墳丘下方部の東側端、墳丘正面左(西)側詰所背後、
墳丘下方部西側隅と下方部平坦面、墳丘北側下方部隅の、
それぞれに掘られたトレンチがそのままの状態で、
見られたので、各トレンチもじっくり見学して参りました(^^

まず、墳丘下方部東側端のトレンチから。。。

イメージ 2

やや底面が湾曲してますが、
水が溜まっている手前付近が周堀の跡で、
一番奥の階段状になっている部分が、
方丘部の斜面と思われます。

イメージ 3

土壁には版築の様子も見られました(^^

イメージ 4

こちらは、墳丘正面西側近くに設置されたトレンチ。
右端に見えている建物は詰所です(^^
この辺りは周堀が有ったとされている場所ですが、
特に遺物などは見られませんでした。
周堀の深さを特定する為のトレンチかもしれませんね?

イメージ 5

墳丘西側方丘部端に設置された長いトレンチ。
最も手前の部分が築造当時の土地で、
その先が周堀と見られている部分。
東側トレンチ程では無いですが、
こちらでも版築が見られました。

イメージ 6

先ほどの長いトレンチの先(方丘部平坦面)に、
設置された深いトレンチ。
コチラでは、墳丘築造に伴う版築が観察できました。

そしてこの深いトレンチから先に歩いて、
方丘部北側に当たる部分に、

イメージ 7

幅1.5m×長さ3~4m程のトレンチが設定されてました。
奥の車が数台止まっている辺りは、
豊富な副葬品が出土した山王塚西古墳が有った所です。

イメージ 8

それでは、今回の見学のメインである、
トレンチへ向かいましょう(^^
鳥居の奥、山王社参道中央から東にズレた所に、
2箇所のトレンチが掘られていました。

イメージ 9

2箇所のトレンチを鳥居付近から撮影

イメージ 10

鳥居側のトレンチ。
大量の礫が見えますが、
これは石室前庭部の敷石遺構であるとされています。
目を凝らして観察してみましたが、
石室石材であるとされている緑泥片岩の破片くらいで、
須恵器などの破片は見られませんでした。

イメージ 11

墳頂部側のトレンチ。
コチラは礫が少々見られるのみでしたが、
土壁から緑泥片岩の礫が多数突き出てますね。
これらの礫は裏込め石かもしれませんね(^^

石室の調査は予算の都合で、次年度以降になるとされています(^^;
また、墳頂部には以前盗掘口が空いていた事が判明しているので、
副葬品は既に持ち去られてしまっている可能性が高いとの事ですが、
レーダー探査調査で円丘部の下に長さ約16mもの反応(影)が、
見られたそうで、かなり規模の大きな埋葬主体部が埋まっていると、
推定されています(^^
16mということは、行田市にある八幡山古墳に匹敵する規模ですね(^^

イメージ 12

今回見られたトレンチの大まかな位置を、
手持ちの資料の実測図に書いてみました(^^

ここで、山王塚古墳の墳丘規模を今一度。。。
・墳形:上円下方墳 葺石 円丘部3段築成
                 方丘部1段築成
・規模:方形部一辺約57m×高さ1m
    円丘部直径約35m×高さ3.5m
・周堀の有無:有 上幅約9m×底幅約3m×深さ約2.3m
・出土品:土師器片(2013年の調査で出土)、須恵器杯片
・埋葬主体部:未検出
         緑泥片岩の破片が多数見られる事から、
         緑泥片岩使用の長大な横穴式石室か?
・築造年代:7世紀中頃
・備考:昭和33年(1958)、川越市指定史跡に指定
    昭和59年(1984)、周溝確認調査実施
    平成3年(1991)、東側の周溝の一部が発掘
    平成8年(1996)、北東側周溝の一部が発見
    平成25(2013)、築造当時の方丘部検出、
                周堀確認、版築確認など

また、隣接した山王塚西古墳(直径32mの円墳 消滅)からは、
玄室に礫を敷いた横穴式石室が検出されており、
羨道部入口から土師器甕形土器が出土し、
玄室から大刀2、柄頭、刀装具片、留金具片、鉄鏃片22、
刀子、鉋(やりがんな)、鍬(鋤)刃先、瑪瑙製勾玉6、
水晶製勾玉2、漆塗り木製練玉、ガラス製小玉3、
ガラス製臼玉14、水晶製切子玉2、金銅製環9、
金銅製環片5・・・の豊富な副葬品が出土しているので、
この山王塚も規模が大きいので、盗掘されていても、
何かしらの副葬品が出土するのと、立派な石室が、
検出される日が待ち遠しいです(^^

・・・ただ、現在市指定史跡ですが、将来的に国指定史跡に、
移行させる予定だそうですが、決して「平成の古墳」には、
して欲しく無いと思いました。。。(^^;

皆様こんにちは~(^▽^)
 
梅雨入り宣言が出たのに、全く雨が降らない関東地方。。。
早くも水不足の心配が出始めてます。。。
 
さて、なかなか仕事が忙しくて北関東の古墳に行けないので、
今回は国道16号に近い所に有る、伊佐沼という大きな沼地。
その直ぐ近くに立地する古墳の紹介をします(^^
 
イメージ 1
 
古谷神社(ふるやじんじゃ)古墳の全景
 天気が良い日が続くので、樹木の葉も青々としてます。
 
イメージ 2
 
鳥居の奥が墳丘及び、墳頂にある神社への階段が有ります。
 
イメージ 3
 
以前は古谷神社では無く、赤城神社が墳頂に祀られていたので、
赤城塚と呼ばれていたそうです。
これまでに正式な発掘調査は行われて無いために、
周辺住民からは洪水から大切な物を守る為に作られた、
水塚だと思われていたそうです。
・・・・・が、この塚から南東50mの所にあった、
熊野神社塚を崩した際に、直刀や人物埴輪などの破片が出てきた事から、
水塚では無く、古墳の可能性があると言われ始めたそうです。
 
イメージ 4
 
神社の由緒板の後半部分にも、調査がされてないから、
断定はできないと言う様な事が明記されてます(^^;
 
イメージ 5
 
墳頂部までの高さは3~4m弱くらい。
墳頂部は大きく平らに整地され、拝殿・本殿の他、
数棟の建築物が有りました。
 
イメージ 6
 
本来は直径30mほどの円墳ですが、
墳丘の周りに道路が出来ている為に、方墳に見えます(^^;
蚊に数カ所刺されながら、墳丘斜面と周辺をくまなく観察してみたところ、

イメージ 8
 
ご覧の様な、土器の破片を見つけました♪
厚みと緩やかな弧を描く片面から推測するに、
埴輪では無く土師器壷の破片であろうと思います。
また、直刀や埴輪が熊野神社から出たと書きましたが、
上の航空写真で、古墳右側の緩やかに弧を描く部分は、
昔の伊佐沼の一部で、私が訪れた時は干上がっていましたが、
実はココには、小さな池が存在しています。
この池からも太刀と埴輪片が出たと、手持ちの資料に明記されてます。
距離が近いことから、ココに古墳があったのでは無く、
この古谷神社古墳に副葬されていたものが、社殿建築工事の際に、
転がり落ちたのかもしれません。
また、説明板には埼玉古墳群と同じ頃(6世紀末~7世紀)と書かれてますが、
厚みのある土師器は5世紀~6世紀前半頃に多く見られるので、
この古谷神社古墳が築かれたのも、おそらく上記の年代頃だと、
個人的に推測しております。
墳頂に社殿が建っている為に、調査は難しいでしょうけれど、
墳形確認や築造年代が特定できるような調査実施を、
早急に希望します(^^
 
尚、直刀や埴輪が出た熊野神社塚があった辺りは現在、
 
イメージ 9
 
田圃地帯になってます。。。
古墳のあった場所は、中央左寄りの民家と、
中央右側の木立ちとの中間辺りにあったと思われます。
 
車で見学される方は、古墳の横と裏側にそれぞれ、
参拝者用駐車場(4~5台分)が確保されているので、
コチラに止めた上で、ゆっくり見学されると良いと思います(^^
 
:古谷神社(ふるやじんじゃ)古墳:
・墳形:円墳
・規模:直径30m×高さ3~4m弱
・出土品:周辺より直刀、人物埴輪、円筒埴輪片
     墳丘は未調査の為不明
・埋葬主体部:未調査の為不明
       墳丘封土に石材が見られないことや、
       築造年代、規模から推測するに、
       竪穴系埋葬施設か?
・築造年代:説明板は6世紀末~7世紀前半
      個人的には5世紀台~6世紀前半頃?
・史跡の指定区分:市指定史跡
・備考:駐車スペース有り
    熊野神社塚は破壊済み

↑このページのトップヘ