関東の古墳&陵墓研究

関東地方(主に埼玉県や茨城県)の古墳や遺跡、神社仏閣等を見学し紹介してます。 個人的に好きな陵墓関係の記事や書籍も紹介してます。

石岡市

皆様おはようございま~す(^◇^)
 
昨日紹介した舟塚山古墳ですが、ネットで調べてみると、後円部側に3基、
前方部側にも3基の合わせて6基の円墳が、近距離に存在することが判明。
舟塚山古墳の圧倒的な大きさに驚くばかりで、
前方部側の陪塚(と思われる)に全く気付きませんでした
高速道路を1時間半も走れば着く距離なので、
また近いうちにリベンジしたいと思ってます(^^
 
そんな訳で、今回紹介するのは後円部側の陪塚。
2基は畑地の中で目立っていたので、直ぐ見つけられましたが、
もう1基は竹藪の中で、頑張って少しだけ分け入ったのですが、
折れた竹などで怪我しそうだったので断念。。。
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ほぼ円形を保っている手前と、耕作で削られて方形になってしまっている奥の円墳。
古墳までの道が無かったので、遠くから眺めるだけでしたが、
どちらかが、箱型石棺が露出していて、どちらかが、発掘調査が成された結果、
木棺直葬で短甲、盾、直刀などが出土した古墳との事。
どちらも削られてしまってる上に、説明板などは設置されてない為、
元の規模は分かりませんが、直径15~20m✖高さ3~4m程だったのではと、
個人的にですが推測してます。
また、下草が繁茂していて墳丘上部の状態は不明ですが、
墳裾に落下していたりする事が多い、葺石の様な石材は見られませんでした。
 
見学者用駐車場まで完備するなら、せめてこの小さな古墳も、
墳丘まで到達できる観察路を設置して欲しかったです。
ココの陪塚群は近い内(仕事が忙しくなる前に)にリベンジします(^^

皆様こんにちは~(^◇^)
 
府中愛宕山古墳に続きましては、古墳へと続く入口付近に、
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立派な石柱が建てられているコチラの古墳です(^^
府中愛宕山古墳からは歩いて3分程の近距離なので、
愛宕山古墳はこの古墳の陪塚では無いかと推測されてる程。 
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少し歩くと丘かと思う程に巨大な姿が見えてきますが、
コチラが舟塚山(ふなつかやま)古墳です(^^ 
墳丘全長186m、後円部径90m✖高さ11m、前方部幅100m✖高さ10mの規模を持つ、
茨城県最大規模の前方後円墳です。
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説明板が有りますが、経年劣化で掲示板左側が、
剥落してしまってます。。。
早く修復して欲しいですね。。。
 
周堀確認調査の時に円筒埴輪や土師器の破片が出てるのみで、
埋葬主体部などは未調査のまま、国の指定を受けてます。
関東では群馬県太田市の天神山古墳に次ぐ、第2位の大きさを誇ってます(^^
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後円部東側には鹿島神社が鎮座してます(^^
この神社が鎮座している付近は、墳丘の表土が露出しているので、
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円筒埴輪の破片がたくさん観察できました(^^
写真は分かりやすくする為、近くの石碑の土台に置いて撮影。
 
それでは早速古墳に登ってみましょう
神社社殿左側に細くて若干急ですが、登り道が有るのでこちらから登ってみました(^^ 
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後円部頂部から前方部を眺めた感じ。
府中愛宕山古墳同様、墳丘上に樹木がほとんど無いので、
段築の様子や巨大な墳丘が容易に観察できます(^^
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後円部頂部の様子。
全体的に凸凹してます。
ココでは土師器などの破片は見当たりませんでした。

※2022年追記
平成23年にレーダー探査調査により、東西14m✖南北16mの、
粘土槨と思しき埋葬主体部が存在することが確認されています。
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今度は前方部頂部から後円部を眺めた感じ。
既にお気づきになられた方もいらっしゃるかと思いますが、
この古墳、後円部に対して前方部が長いのです。
どれくらい長いのは後程掲載します。
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前方部頂部の様子。
埋葬主体部埋蔵を思わせる様な高みは無く、広く平坦な感じでした。
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前方部端の隅上から見下ろした感じ。
2階建ての民家が低く感じる程の高さが有りますが、
周囲に高い建物が無いので、見晴しは抜群に良いです(^^
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 下に降りてきて撮影。
姿が雄大で綺麗ですね~(^^
近畿にある巨大古墳に負けない大きさです
 
・・・さて、前方部が長いと書きましたが、
大きすぎて全体は入りませんでしたが、横から撮影したのが下の写真。
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後円部直径の倍以上有るのでは?と思いました(^^;
尚、古墳には周堀が一部畑地として残存してますが、
その堀を入れた長さは250mにもなります。
大阪にある大仙陵古墳や奈良のウワナベ古墳に墳形が似ているのと、
築造年代が5世紀後半と築造年代も共通しているので、
この古墳の埋葬者は大和朝廷と何かしらの繋がりを持った人物で、
相当な権力を持っていた・・・と、推測されています。
今後の調査結果を待ちたい所です(^^
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もう一度後円部側から前方部を撮影。
この後、後円部側にある陪塚を撮影するついでに、
もう一度後円部に登ったのですが、その際、後円部西側斜面の墳丘面露出部分で、
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土師器の破片を幾つか見つけました(^^
 
また、陪塚は後円部側に3~4基、前方部側に2基程有りますが、
前方部側は帰宅してから存在に気付きました(汗&泣
ブログ容量の関係で、陪塚は後日別記事にて紹介したいと思います(^^;
最近の自家用車に搭載しているナビにも「舟塚山古墳」と表示される機種が有る程、
世に知られている(見学者が多いから?)古墳であると言えるかも?
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手持ちの資料に掲載されている墳丘実測図。
前方部南側隅は墓地造営の為削られてます。
 
:舟塚山(ふなつかやま)古墳:
・所在地:石岡市北根本597
・墳形:前方後円墳 3段築成
・規模:全長186m 
    後円部径90m✖高さ11m
    前方部幅100m✖高さ10m
・周濠:有り
・埋葬主体部:未調査
・出土品:円筒埴輪、朝顔形埴輪、形象埴輪(甲冑形)、
     土師器、須恵器
・築造年代:5世紀後半
・史跡の指定:国指定
・備考:見学者用駐車場有り
    後円部端に社殿有り
    1963年測量調査
    1972年発掘調査
    平成23年後円部下の主体部レーダー探査

皆様こんにちは~(^◇^)
 
三味塚古墳に続きましては、
石岡市に有る2基の大型前方後円墳より、
コチラの古墳から。。。
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標識も設置されてるので分かりやすいです(^^ 
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府中愛宕山(ふちゅうあたごやま)古墳
墳丘全長約97m、後円部径57m✖高さ8.5m、前方部幅57m✖高さ7.5mの規模を持つ、
前方後円墳で、上の写真は標識が設置されている道路から見た後円部の様子。
後円部の半分~前方部までが宅地で隠され、、
また、宅地に面してる部分が削られてしまってますが、
それ以外は比較的良好に墳丘が残ってます。
また、後円部頂部以外に樹木が一切無い為、
段築の様子や墳丘斜面の観察が非常に容易な古墳です(^^ 
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後円部墳丘に設置された説明板
応神天皇陵に類似した墳形」という箇所が気になりますね(^^ 
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説明板に掲載されている墳丘実測図。
後円部頂部付近が大きく削られてしまってますが、
コレは以前墳丘上に有った、愛宕神社社殿の名残りです。
これだけ大きく削られてしまってると、
埋葬主体部は未検出ですが、既に破壊されてる可能性大ですね。
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説明板が設置されている辺りから見た前方部の様子。
後円部墳頂部もそうですが、かなり墳丘全体が凸凹してます(^^;
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後円部頂部から前方部を眺めた感じ。
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後円部頂部の最も高さが有る箇所。
埋葬主体部の発掘調査はまだ実施されてませんが、
半分くらい残っていてくれると嬉しいな~と思ってます(^^
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実測図で見られた大きな溝。
以前はココに小さな社殿若しくは祠が有ったと思しき窪み。
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木立の根本付近に石材が見られましたが、
石室石材では無く、祠に関係する石材だと思われます。
 
コレはあくまで私の推測ですが、この古墳の近くに有る、
大型前方後円墳の陪塚の埋葬主体部が、組合式箱型石棺埋納や木棺直葬という形式なので、
この古墳の主体部もおそらくどちらかでは?と、墳丘を観察していて思いました。
また、墳丘上に礫が見られなかったので、葺石も無いものと思われます。
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前方部から後円部を眺めた感じ。
前方部と後円部の比高差は1.5m程でしょうか?
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前方部頂部の様子。
墳丘上をくまなく観察しましたが、遺物等は特に何も見当たりませんでした。
 
:府中愛宕山(ふちゅうあたごやま)古墳:
・所在地:石岡市北根本694
・墳形:前方後円墳 3段築成
・規模:全長約97m 
    後円部径57m✖高さ8.5m
    前方部幅57m✖高さ7.5m
・周濠:有り 後円部側一部残存
・埋葬主体部:未調査の為不明
・出土品:円筒埴輪片
・築造年代:6世紀前半
・史跡の指定:県指定
・備考:舟塚山古墳見学者用駐車場有り
    後円部頂部に祠跡を思わせる窪み有り

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