関東の古墳&陵墓研究

関東地方(主に埼玉県や茨城県)の古墳や遺跡、神社仏閣等を見学し紹介してます。 個人的に好きな陵墓関係の記事や書籍も紹介してます。

茨城町

皆様こんにちは~(^◇^)

本日の記事でネタが尽きた為、今回の見学記は終了です(^^;
次回更新は見学に行った時に書きますので、
今しばらくお待ちくださいませ。。。
イメージ 1
標柱
上ノ山古墳から西へ5km程進んだ所に有る、こちらの古墳です(^^
細い標柱の方はしっかり文字が読めますが、
左の看板は字が薄くなっていて劣化してしまってます(^^;
イメージ 2
コチラは、墳丘が有る台地先端部の麓に駐車スペースが有ります。
3ナンバー車で行くとご覧の広さですが、
小型車であれば、2台くらいは停めれそうです(^^
居住する県内でも近距離は小型車で見学していますが、
遠距離の場合はこの車を使ってます。
・・・が、長距離の古墳を見学する際に
道が細かったり、駐車スペースが無い場合は、
小型車をレンタルしようかな?と考えてます(^^;
イメージ 15
北西方向から見た宝塚(たからづか)古墳全景。
駐車スペースから西へ歩くと、古墳へ行ける急な坂道が、
見えてきますので、坂道を上っていくと、
少し開けた写真の様な光景が出てきます(^^
イメージ 3
説明板と標柱と墳丘
説明板の後ろの墳丘は後方部墳丘となります。
イメージ 4
説明板の拡大
茨城県内では当古墳を含めて、11基の前方後方墳が報告されているそうです(^^
墳形と範囲確認調査の際に土師器片が採集され、
墳丘の周囲に幅5~7mの周濠が巡っている事が判明した以外は、
埋葬主体部の調査などは実施されていない模様です。
築造時期(4世紀後半頃と推定)から考えると、
間違い無く竪穴系と思われますが、そちらは後程書きます(^^;
イメージ 5
説明板に記載されている墳丘実測図
後方部と前方部の幅に差が少ない形状の様です。
イメージ 6
北東側から見た後方部墳丘
当古墳は調査後復元されたので綺麗に整った墳丘です。
それでも下草がほぼ無く封土の様子が観察し易い上、
珍しい墳形なので、復元墳である事はあまり気になりません(^^;
イメージ 7
北側から見たくびれ部。
イメージ 8
北西方向から前方部を見た感じ。
墳丘実測図にも記載が有りますが、
規模は全長39.3m、前方部長さ19.8m✖南北幅16.5m✖高さ2m、
後方部東西辺20.5m✖南北辺19.5m✖高さ4m・・・となってます。
高さの記載は無かったので、記事を書く前にネット検索で調べ、
記載が無い箇所は行った時に目測推定としてます(^^;
イメージ 9
東方向から前方部先端。
前方部先端の中央部に墳丘へ上がる階段が設置されてます。
イメージ 10
前方部頂部から後方部を眺めた感じ。
頂部は広く平坦となってます。
イメージ 11
後方部頂部から前方部全景。
イメージ 12
後方部中央の長方形の生垣
おそらく埋葬主体部を保護する目的で設置されたと思われますが、
埋葬主体部についての情報が一切無いので、
本当にこの向きで主体部が有るのかは謎です(^^;
短辺1.5m✖長辺4m程度の細長い長方形状です。
イメージ 13
後方部墳丘の西側に有る開けた土地(運動場or社殿跡?)の端に、
この様な板石の石材が石碑として建立されてます。
この石材は宝塚古墳から出土したとの伝承が有りますが、本当かどうかは不明(^^;
ただ、古墳の直ぐ近くに有るので可能性は有るかと思います。
墳丘上や周囲に河原石が見当たらなかったので、
もし竪穴式石室だとすると、板石を組み合わせた、
箱式石棺の様な外観のタイプかもしれませんね(^^
ただ、この石材は無関係であり、粘土槨である可能性も捨てきれませんが。。。(^^;
早い所発掘して埋葬主体部がどんな物かはっきりして頂きたいですね。
イメージ 14
石材の裏側
現在は「供養碑」と刻まれているので、
古墳の被葬者もしくは、古墳とは関係の無い別の人物の為と思われます。
イメージ 16
西方向から見た墳丘と周濠跡。
南側の方が周濠跡の観察がし易いと思います(^^
イメージ 17
南東方向から全景。
この方向からの眺めが最も前方後方墳という形状を把握し易いと思います(^^

:宝塚古墳(たからづかこふん):
・所在地:東茨城郡茨城町
・墳形:前方後方墳
・規模:全長39.3m
    後方部一辺20.5m✖高さ4m
    前方部幅16.5m✖高さ2m
・周濠:有り 幅5~7m
・埋葬主体部:不明(竪穴系?)
・出土品:土師器壺片一個体分
・築造年代:4世紀後半
・史跡の指定区分:町指定
・備考:駐車スペース有り
    墳丘は復元

皆様こんにちは~(^◇^)

本日は水戸市の隣の茨城町に有る古墳を紹介します(^^
イメージ 1
北東から眺めた遠景。
正面奥の小高い丘陵の上に目指す古墳は有ります。
イメージ 2
標柱
後円部西側の丘陵縁辺に建てられてます。
樹木/下草が茂る時期は隠れてしまいそうな位置です(^^;
イメージ 3
南西側から見た上ノ山(うえのやま)古墳の全景。
墳丘全長28.5m、後円部径20.5m✖高さ3m、前方部高さ2mの規模を持つ前方後円墳です。
イメージ 4
説明板。
発掘調査は実施(平成2年)にされているものの、範囲確認と簡単な調査だけだった模様。
円筒埴輪や形象埴輪の破片が採集されているのみで、
埋葬主体部は未記載な事から、そちらは未調査の様です。。。
イメージ 5
墳丘規模を比べた図。。。
仁徳陵(現:大仙陵古墳)と比べるのは少々可哀想かも?(^^;
イメージ 6
前方部南側裾から後円部を眺めた感じ。
前方部頂部端に大きな樹木が有るのと、
後円部頂部に(主体部保存の為?)植え込みが有る以外は、
下草が少ないので見学/観察し易くなってます(^^
イメージ 7
コチラは北東側にまわって前方部から後円部を。。。
周濠の有無も不明ですが、コチラ側(北東側)から、
後円部北側裾までの範囲で、深さ10cm程度の浅い窪みが確認できたので、
幅の狭い周濠の存在の可能性も有るかもしれませんね(^^

北東側から後円部裾まで一周してみようと思いましたが、
くびれ部後円部寄りの辺りで大きな竹が数本折れて墳丘へ倒れ込んでおり、
行く手を阻んでいたので、全周観察は諦めました(^^;
イメージ 8
前方部頂部へ登って後円部を眺めた感じ。
前方部頂部と後円部頂部の比高差は、およそ1m程度でしょうか?
築造当時からこの比高差なのかは不明です。。。
イメージ 9
後円部頂部の植え込み。
ほぼ中央付近に有りますが、埋葬主体部は未調査といっても、
築造年代的に横穴式石室か石棺埋納と思われるので、
この植え込みは意味不明です。。。(^^;
枝をかき分けて内部を見てみたものの、
細かい枝だらけで良くは見えませんでしたが、
平坦では無く、中央部へ向かって少し盛り上がっている様に見えました。

:上ノ山古墳(うえのやまこふん):
・所在地:東茨城郡茨城町前田
・墳形:前方後円墳
・規模:全長28.5m
    後円部径20.5m✖高さ3m
          前方部高さ2m
・周濠:有り
・出土品:円筒埴輪、朝顔型埴輪、人物埴輪、馬形埴輪
・埋葬主体部:未調査
・築造年代:6世紀中頃~7世紀前初頭
・史跡の指定:町指定
・備考:駐車スペース無し

皆様こんばんは~(^◇^)

前回に続きまして、茨城町に有る神塚古墳群の、
2号墳を紹介します(^^
イメージ 1
南側から見た神塚古墳群 2号墳の遠景。
畑地の隅の木立端に現存しています。
イメージ 2
墳丘近景。
現状規模は直径15m✖高さ1.5m程度の円墳ですが、
西側(畑地側)の墳裾が幾分直線的になっているので、
築造当時より若干削られているかもしれません。

南側に道路から墳丘に向かって進める、
畦道の様な通路が有るので、そちらから墳丘に接近してみました。
枯葉が堆積しており、ゴミも散乱しているので、接近する際は足元に注意して下さい。
イメージ 3
墳頂部の様子。
下草が有り枯葉が堆積していますが、径の広い平坦面が観察できました。
墳丘の高さが低く、墳丘斜面角度は緩めで、墳頂部平坦面が広い事などから、
埋葬主体部は竪穴系や石棺埋納が想定されるかと思います(^^

こちらは1号墳と違い、墳形と規模が判明しているのみで、
出土品などは知られていませんが、
1号墳と同じ時期頃に築造されたと推定されています。

墳丘周囲(倒木が有ったので全周は無理でした)を、
観察してみましたが、周濠を思わせる様な窪みなどは見られませんでしたが、
1号墳の西側に道路を敷設する際の調査で、
周濠が確認されているので、現在は耕作で埋まってしまっているだけで、
存在はしているかもしれませんので、
下草が完全に枯れる冬季に機会が有れば、
また訪問してみたいと思っております。

墳丘へ伸びる道が有りますが、車両は通行できない道幅で下草が延び放題なので、
車は神社側の広い路側帯に停めるのをオススメします。
今の時期はまだ藪蚊が出ますので、
長袖着用&虫除けスプレー持参をオススメします(^^;

:神塚古墳群 2号墳:
・所在地:東茨城郡茨城町下石崎 1号墳向かい側の木立内
・墳形:円墳
・規模:直径15m✖高さ1.5m
・築造年代:6世紀代
・備考:木立内に現存
    駐車スペース無し

皆様おはようございま~す(^◇^)

本日は水戸市に隣接する茨城町内の、
神社境内とその向かいに現存する、
2基の古墳を順に紹介していきます(^^

まずは1号墳から。。。
イメージ 1
神塚神社境内の様子。。。
ガラス張りの拝殿が珍しいですね(^^
普通は木戸で内部の様子が見えない様になっているのですが。。。
イメージ 2
東側から見た神塚古墳群1号墳遠景。
合祀されている小さなお堂の裏に、
周囲を削られて長方形状になっている墳丘が見えます。

〇神塚古墳群 『続 常陸の古墳群』より
涸沼川の北側、涸沼に注ぐ後谷川と若宮川に挟まれた台地上に立地。
4基の円墳で構成されているが、2基は既に湮滅している。
直径25mの1号墳と直径15mの2号墳が現存。
1号墳から出土した埴輪類は東京国立博物館に寄贈されている。
イメージ 3
西側から見た墳丘全景。
長辺20m✖高さ2m程の細長い形状にされていますが、
元は円墳で周濠を持ち、周濠内直径は25mという規模です。
周濠内から多数の埴輪片と鬼高式土師器高坏片の出土に加え、
社殿と墳丘の間付近から武人埴輪が出土しています。
枯葉の間や墳裾をくまなく観察してみましたが、
土器片などは全く見られませんでした。
墳丘斜面角度が緩やかで墳頂部の平坦面が広い事から、
竪穴系埋葬主体部を持つと思われますが、
出土した土師器高坏から築造年代は6世紀代であると推定されています。
イメージ 4
北から見た1号墳全景。
道路側はコンクリートブロック設置の為、直線的に削られてます。
尚、手前の道を左方向に進むと涸沼の方へ行き、
右方向に進むと北関東自動車道 水戸南IC出入口に辿り着きます(^^

駐車スペースは有りませんが、神社側の路側帯幅が広めなので、
今回は神社に寄せて停めました(^^
また、交通量が多めなので見学時はご注意下さい。
神社西側の空地は土木関連事業者の私有地なので、
コチラには停めない様ご注意下さい(^^;

:神塚古墳群 1号墳:
・所在地:東茨城郡茨城町下石崎2890 神塚神社
・墳形:円墳
・周濠:有り 現在は町道敷設により破壊
・規模:直径25m✖高さ2m
・埋葬主体部:未調査
・出土品:社殿脇と古墳の間付近から武人埴輪
     周濠内から円筒埴輪、人物埴輪、馬形埴輪、鬼高式土師器高坏片
・築造年代:6世紀代
・史跡の指定:市指定
・備考:神塚神社境内に現存
    駐車スペース無し

↑このページのトップヘ