関東の古墳&陵墓研究

関東地方(主に埼玉県や茨城県)の古墳や遺跡、神社仏閣等を見学し紹介してます。 個人的に好きな陵墓関係の記事や書籍も紹介してます。

ふじみ野市

ご覧下さっている皆様こんにちは~(^▽^)
 
今日は前回ご紹介しました、権現山古墳群から更に北方向に行った所にある、
御嶽(おんたけ)神社をご紹介 
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権現山古墳群入り口に設置されている周辺史跡案内図ですが、
この図で川沿いに真っ直ぐ北(地図で言うところの上方向)に向かった所に、
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御嶽神社とあり、何か小山の様なイラストが描かれていたので、
どれほど大きいのかと思い、行ってみました
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かなり急勾配で狭い階段と、大きな石鳥居があり。。。
車をこの盛土の右隣(離合スペース?)に置き、
森の中に入ってこの盛土具合を見てみようと入って行くと・・・?
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高さ6~7mはあるか?と思われる、大きな山がそこに有りました
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もう一度正面に廻って、登ってみましたが。。。
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頂上部に立つと、我が愛車(赤い車です)が、遥か下に見えるほど高かったです(^^
 
富士塚は100%人工の盛土バージョンのものも有りますが、
中には元々あった古墳に盛土をして造られたものもあるので、
コレも元々は古墳だったのでは?と推測してます。。。
 
推測理由は、前回紹介した権現山古墳群から、
直線距離で200mくらいしか離れてない事と、
頂上に登ってから足元や周囲を見渡してみると・・・、 
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石室石材かと思う様な人頭大の石が多数散乱していたり、
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人の手で加工された痕が窺える石材に加えて・・・、
もう1度下に降りてみた時に、この小山の直ぐ横に・・・、
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気になる盛り上がり部分を見つけたからです。。。
 
この気になる盛り上がり部分から祠が祀られている小山を見ると・・・?
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小型の前方後円墳に見えてきませんか?(^^;
写真中央部がちょうどくびれ部に該当してそうです 
権現山古墳群の盟主墳も前方部が低くて短い、前方後方墳でしたね?(^^
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前方部と思しき頂上部には、神社の祠などが、
以前ココに有ったであろう石組みがあるだけですが、
周囲よりも1段高くなってるのと、小さな神社にしては敷地が広すぎる
 
・・・などが、コレは元々古墳なのでは無いか?と、思った次第です。。。
 
・・・ただ、ココには何も由来などを説明する、
案内板などが無いし、工場の隣(裏?)だし、
県道←→国道への抜け道として通行する車が多いだけで、
人がほとんど通らないので、この小山が古墳だったのかどうか等は、
聞くことが出来ませんでした。。。(--;
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横から見た感じです(^^
 
写真中央部付近が「くびれ部」と思しき部分です
こうして横から見ると、一層古墳に見えるのですが。。。
 
この塚の事を調べてみると、あるサイトでは、
「富士塚」として記載されていたので、
今回は古墳では無く、富士塚にしました(^^;
 
また・・・ふじみ野市のサイトにも、「古墳」とは明記されてないのですが、
何も説明板が無い辺り、正式な調査はまだ成されて無いんでしょうね~。
 
:御嶽神社 富士塚:
・所在地:ふじみ野市福岡
・墳形:円丘
・規模:径20m✖高さ6m前後(自身目測)
 
:富士講:
修験道に由来する富士信仰の名残で、
信仰の拠どころとして、石や土を盛って富士山の神を祀った塚を築く。
関東でよく見られるが、江古田、豊島長崎、下谷坂本、木曽呂の、
4基の富士塚は重要有形民俗文化財に指定されている。


※追記:2019年現在は更地及び宅地化されてしまいました。 
    調査の結果古墳群で有る事が判明しましたが、
    富士塚共々見る影無く破壊されました。

その1に引き続きましての「その2」です。。。
 
以下、周遊路から近い順に紹介していく為に、
数字の順番がバラバラなので、ご了承下さいませ。。。(^^;
 
さて・・・11号墳は2号墳の手前で下草に隠れていたせいか、
見落としてしまっていたらしく、撮影して無かった(--;)ので、
7号墳の直ぐ側にあって、周遊路に近い事から観察し易い、
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12号墳から見てみました(^^
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この墳丘も封土と呼べる程の物は無く、下草や擬木などが無ければ、
古墳とは分からないほどに、
低墳丘墓状態になってます(^^;
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12号墳の向かい側にあり、周遊路で墳丘を真っ二つにされている、
4号墳を撮ってみました(^^
 
裏側(周遊路側)に廻ってみたところ、
ちょうど対角線にあたる部分がバッサリと削られてました(--;
12号墳に比べると、やや墳丘の高まりが確認できました
こんな比較的明るい場所でもマムシ注意の看板が(汗
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4号墳の更に向かい側には10号墳が築かれてます(^^
 
10号墳の右隣には・・・、
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10号墳よりも少し大きめサイズの、3号墳が築かれてます(^^
また、この3号墳の墳丘には、地元の方が置いたであろう・・・、
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現代的なしっかりした造りの埴輪が3点置かれてました(^^
馬形埴輪は私が小学生の頃に、土産物店で買った記憶があるので、
コレを見ていたら、なんだか懐かしくなっちゃいました(^^;
 
また、3号墳の周遊路を挟んだ向かいには、
9号墳がありましたが、現在は破壊された為観察できません。
 
10号墳の右隣には。。。
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4隅の1辺を道路で削られた5号墳が立地してます(^^
ススキや枯葉が積もってるせいで封土が高く見えますが、
1・2号墳以外は、全て50cm~1m以下の高さしかありません。
 
また、方墳の全てに墳丘の最下部周囲に、擬木が埋設されてますが、
擬木の内側付近までが周溝の様で、比較的大きく見えても、
周溝を入れた大きさなので、墳丘自体は結構小規模な物が多かったです。
 
深い森の中にある、1・2・7・11・12各古墳に比べると、
森の外にある、これら3・5・10号古墳は、
ベンチが設置してあるなど、
明るい場所でゆっくり観察できる様になってます(^^
 
:権現山(ごんげんやま)古墳群:
・所在地:ふじみ野市滝1-4-18 権現山古墳群史跡の森
・墳形:2号墳(権現山古墳)のみ前方後方墳
     1・3~12号墳全て方墳
・規模:2号墳・・・全長32m 後方部一辺20m✖高さ2m
          前方部一辺12m 周溝有り(現在は埋め戻し)
。。。以上群内説明板より抜粋
 
以下大きさ全て当方の目測(^^;
 
    1号墳・・・規模不明(2/3ほど残存) 周溝有り
    3号墳・・・一辺約4m✖高さ1m前後
    4号墳・・・対角線の長さ約3m✖高さ1m前後
    5号墳・・・一辺約5~6m✖高さ1m前後
    6号墳・・・消滅
    7号墳・・・一辺約6m✖高さ1m以下
    8号墳・・・消滅
    9号墳・・・消滅
   10号墳・・・一辺約3m✖高さ1m前後
   11号墳・・・一辺約3m✖高さ50~60cm
   12号墳・・・一辺約2m✖高さ50~60cm
 
・築造年代:4世紀後半頃と推定
・出土品:底部穿孔土器など
・埋葬施設:木棺直葬、直葬(伸展葬?)
・史跡の指定:市指定
・備考:古墳公園として整備
    駐車スペース有り

ココをご覧下さっている皆様こんばんわ~(^▽^)
 
ようやく写真整理が終わりましたので、早速記事を書いていきたいと思います
 
今回訪れたのは、さいたま市から荒川を越えた、向かい側にあるふじみ野市内にあり、
埼玉県内では珍しい、古墳時代前期(4世紀後半)頃の、築造と推測されている・・・・・、
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権現山(ごんげんやま)古墳群です(^^
最近まで近所にこのようなごく古い時代の古墳群がある事自体、
全く知りませんでしたが、ふとネットで検索を掛けてみたら、
割と近い位置にある事が分かって、訪れてみた次第です(^^
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荒川の支流である新河岸(しんかし)川沿いに、
今回訪れた古墳群や遺跡が存在していた様です(^^
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古墳群入り口から撮ってみた所ですが、足元はぬかるみに足元を掬われない様に、
木くずが蒔かれているので、非常に歩きやすかったです
 
説明板の所に置かれていたパンフによると、
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1号墳から12号墳までの12基の方墳と、
盟主墳である2号墳の前期型の前方後方墳があるようです(^^
その内6号、8号、9号は開発の為に消滅してしまってます。。。
これほど方墳が多数密集しているのは珍しいのですが、「町外れの森」と化してるので、
もっと市にはアピールしてして欲しいですね(^^;
 
今の時期は下草が枯れて墳丘が観察し易いのでオススメです(^^
夏の訪問も良いのですが・・・・・、 
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この看板が群内至るこ所に設置してあったので、夏場は訪問を避けた方が良いと思います(^^;
また、ココや周辺には駐車場が無かったので、古墳群入り口付近に路駐して観察したのですが、
県道から国道への抜け道や直ぐ横に工場がある為に、
結構車通りが多いので、路駐の際は周辺への配慮をお願いします(^^
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古墳群内の2号墳の直ぐ側に、「昔はこんな感じで古墳がありましたよ~」と、
説明する看板が立てられてます(^^ 
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まず1号墳ですが、パンフレットから見る限りでは、
元の大きさの2/3くらいが残されてる様ですが、周遊路が1号墳の側まで通ってないので、
「あの微妙な盛り上がりが1号墳かな?」程度しか分かりませんでした(^^;
 
次は説明板の直ぐ側にある。。。
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7号墳を撮ってみましたが、
ご覧の通り、墳丘があることを示す標識が無いと、
どの辺までが墳丘か判然としないほどに盛土が低く、
方形周溝墓から方墳へと移行する段階の、ごく初期の古墳であることが分かります(^^
 
そして権現山古墳とこの古墳群の名付けの元になった、
2号墳の雄姿を・・・
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前方部が極端に低い古式の前方後方墳なので、一見すると、大きな円墳に見えます(^^;
パンフ(4枚目写真)の様に後方部が1/3程削られてますが、
主体部(埋葬施設)付近はかろうじて残されていて、
底部にわざと穴が開けられた、後世の埴輪に発展する前段階とされている、
底部穿孔土器が見つかっています(^^
 
周遊路が2号墳の側まで通ってないので、近づいての観察はできませんでしたが、
パンフレットによると、徳川家康がココで鷹狩りをした際に、
この2号墳の上で休息したと伝えられており、
江戸時代末期に建立されたと伝わる石碑が頂上に残されてる様です(^^
また、古墳群の直ぐ近くを流れる新河岸川対岸にある蓮光寺には、
現在のふじみ野市付近で、鷹狩りを催したという、朱印状が残されてるそうです
 
「その2」に続きます(^^;

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