関東の古墳&陵墓研究

関東地方(主に埼玉県や茨城県)の古墳や遺跡、神社仏閣等を見学し紹介してます。 個人的に好きな陵墓関係の記事や書籍も紹介してます。

毛呂山町

皆様こんにちは~(^▽^)

忘れない内に&年末は色々多忙なので、
西戸古墳群まで書いてしまいます(^^;
分布図拡大
前の記事で3号墳は消滅しているのでは無いかと書きましたので、
今回は4号墳・5号墳・6号墳を書いていきます。
尚、2号墳跡地の向かいは私有地で10号墳跡の様ですが、
石室石材なのか元々この辺りに散布していた河原石なのかの区別が付け難い、
石材が道路沿いにゴロゴロ有りました(^^;
西から
西から見た西戸4号墳遠景
背の高い樹木の真下が墳丘です。
東から
一旦通り過ぎて、東側から眺めた感じ。
南から
南から墳丘を眺めた感じ。
葺石
墳丘裾や墳丘斜面に夥しい量の礫が確認できます。
古墳の手前は畑地かと思い、足跡を付けないように近づきましたが、
雑草がまだ青々としていて墳丘に登ることは出来ませんでした(^^;

:西戸4号墳:
・墳形:円墳 葺石
・規模:直径5~6m✖高さ1.5m
・埋葬主体部:未調査
・出土品:不明
・史跡の指定:町指定


西から
西から見た西戸5号墳全景
4号墳の直ぐ東側に隣接して築かれています。
周濠は確認されていませんが、もし存在するのであれば、
どの様な形状になっているのでしょうね(^^;
西からズーム
墳丘近景
こちらも裾や墳丘斜面に夥しい量の礫が確認できます。
石室石材?
斜面上には一際大きな石材も確認できます。
石室石材でしょうか?
東から
東から見た2基の状況。
赤線が5号墳、青線が4号墳です。

:西戸5号墳:
・墳形:円墳 葺石
・規模:直径14m✖高さ1,6m
・埋葬主体部:未調査
・出土品:不明
・史跡の指定:町指定


また、5号墳の東側は畑地(私有地)となっているのですが、
畑?古墳跡?
畑地にしては不自然な円形状に道路から30~40cm程高くなっており、
石材2
庭石としても不自然な石材や、
石室石材2?
この様な石材も有りまして。。。
この石材の足元付近に視線を移すと。。。
土器片
土師器でしょうか?
土器片が数点確認できました。。。
分布図には高塚式の古墳しか掲載されていませんが、
1~6号墳が有る畑地一帯からは多くの墳丘を持たない石室墓が、
発見されている事から、これらの石材や土器片は、
この石室墓由来の物かもしれません。
東から
分布図ではこの辺りに西戸6号墳が有ると思われますが、
礫が積まれている小山しか見当たりません。
6号墳のデータは直径が5m程度であるくらいなので、
もしかしたら墳丘を持たない石室墳なのかもしれませんね。

:西戸6号墳:
・墳形:円墳
・規模:直径5m
・備考:葺石や石室石材と思われる河原石が積まれた状態で、
    墳丘は削平されたか、元々墳丘を持たない形態か?

東から遠景
矢印の下に4号墳と5号墳が有ります。
古墳跡を望む
奥の白い建物付近に西戸2号墳が有った場所。
右下端に映っている礫は6号墳が有ったと推定される石積ですが、
この草地になっている所の地中に多数の石室墳が検出されていました。
墳丘が築かれない層の人物達や従臣の墓が営まれていた、
一大葬地だった模様です。

次回は北峰古墳群を紹介します。

皆様こんにちは~(^▽^)

今回は西戸古墳群の見学記を書きます。

〇西戸古墳群〇
越辺川左岸の台地上に14基からなる円墳と、
墳丘を持たない箱式石棺・小型礫槨・横穴式石室墓で構成されている古墳群で、
現存は3~4基(内6号墳は削平されている模様)のみ。
築造年代は出土品から7世紀初頭~8世紀頃と推定されています。
分布図全体
『埼玉の古墳 北足立・入間』より西戸古墳群分布図
上方に1基だけ離れてますが、現在も現存しているかは不明です。
分布図拡大
見学してきた部分の拡大
尚、3号墳は現存状態を示す黒丸ですが、
当日現地に行ってみたところ、草地内で墳丘は確認できず
礫や遺物も見当たらなかったので、消滅しているものと思われます。

今回はページの容量の都合で1号墳と2号墳を紹介していきます(^^
北から
北から見た西戸1号墳全景。
頂部に祠が祀られてます。
民家の裏庭に有り、個人敷地内なので上の写真を撮影して、
眺めていたら、たまたま散歩に出掛けていらした住人様に声を掛けられまして、
古墳を見学に来たと話したところ、快く「好きに見学して行って下さい」と、
仰って頂いたので、有り難く古墳を存分に見学させて頂きました🎵

また、この住人様も付近の発掘調査の様子を覚えていらっしゃり、
現在社屋が建っている辺り(西戸2号墳や石室墓が有った)から、
大量の河原石や大刀などの出土品を間近で見たと仰ってました。
南から
南から墳丘頂部を見上げた感じ。
頂部から見下ろす
頂部から見下ろした感じ。
石段は後世のものですが、大きな自然石以外の礫は、
元々この古墳に有ったものを使用されたとの事です。
頂部封土表面
墳頂部の表面は夥しい量の礫で覆われています。
頂部祠と頂部中央部
墳頂部中央の祠と平坦面の様子
築造時期から推定すると横穴式石室と思われますが、
大きな石材の露出などは見当たりませんでした。
ひょっとすると、祠の土台に使われている石材は、
石室由来の物かもしれませんが確証は無く、
住人様も掘った事は無いと仰ってました。

※古墳所在地ですが個人宅敷地内の為、詳細は控えさせて頂きます。
:西戸1号墳:
・所在地:毛呂山町西戸
・墳形:円墳 葺石
・規模:直径15m✖高さ2m
・埋葬主体部:不明(横穴式石室か?)
・出土品:不明
・史跡の指定:町指定
・備考:個人宅地内につき見学は要許可
    墳頂部に祠有り

次は毛呂山町歴史民俗資料館広場に移築・復元されている、
西戸2号墳を。。。
墳丘全景
西戸2号墳全景
高さの低い円墳を半分に切った様な外観で、
横穴式石室も復元されてます。
墳丘周囲の弧線は周濠を示してます。
説明板
説明板
調査時の写真
調査時の写真
墳丘実測図と構造図
墳丘実測図と断面図
墳形は後世の削平による影響で方形状になってますが、
周濠の形状から円形と判明しています。
古塚記の石碑
古塚記の石碑
調査前に墳頂部に建てられていた石碑ですが、
現在は羨道入口脇に移動されてます。
古塚記説明板
古塚記の説明板
石室羨道入口
羨道入口から開口部を眺めた感じ。
石室入口
羨道部と玄室入口付近
玄室奥壁と側壁
玄室奥壁と側壁の様子
玄室から羨道部
振り返って玄室から羨道部を眺めた感じ
玄室床面
玄室床面はやや胴張りが確認できます。
西戸2号墳天井石
資料館内に展示されている玄室天井石
出土須恵器(長頸壺)
出土した須恵器長頸壺
上の須恵器以外にガラス小玉、金環、刀、鉄鏃が出土しています。
2号墳所在地現在
現在の西戸2号墳跡地
社屋敷地のほぼ中央付近に西戸2号墳は有った模様です。
尚、左奥に見える木立の中に西戸1号墳が有ります(^^

:西戸2号墳:
・所在地:毛呂山町歴史民俗資料館敷地内に移築
・墳形:円墳
・規模:直径10m✖高さ1.3m
・埋葬主体部:凝灰岩質砂岩切石横穴式石室
       全長2.15m
・出土品:ガラス小玉、金環、須恵器、刀、鉄鏃
・築造年代:7世紀初頭

次は4号墳・5号墳・6号墳を紹介します。

皆様こんばんは~(^▽^)

本日は川角古墳群を紹介します(^^
古墳群の概要を簡単に。。。

☆川角古墳群
越辺川の右岸、毛呂山台地の北東縁、沖積地に沿うように、
38基(最近1基新発見有り)の円墳が残存している。
規模は直径が20mを超すものは無く、15~20m未満が2基、
10~15m未満のもの22基、10mに満たない古墳が13基である。
分布範囲が広い事も特徴で古墳群の南に所在する苗木原遺跡からも、
石室状の石組遺構が発掘され、大刀が出土していたり、
北に隣接する堂山下遺跡からは盾形埴輪の破片や須恵器甕片が出土している。
尚、古墳の築造年代は6世紀後葉~7世紀初頭頃と推定されている。

昭和35年に町道拡幅工事の為、川角6・8・15・18・22号墳が調査され、
6号墳は、直径14,5mの円墳で葺石を施し、河原石を用いた横穴式石室が検出し、
歯牙、小玉88、蛇紋岩製勾玉1、耳環3、鉄鏃14、刀子2、土師器坏形土器、
須恵器短頸壺が発掘され、7世紀初頭の築造年代が推定されている。
古墳群分布図
毛呂山町歴史民俗資料館に掲載されている川角古墳群分布図
青線で囲んでいるのは消滅した古墳で、橙色線は最近新発見の古墳です。

以下に見学してきた古墳を掲載していきますが、
見学した日の前日に雨が降ったせいで、
1号~13号&新発見の墳丘が有る森林内は、ぬかるんでいたり、
まだまだ背丈ほど有る雑草が生い茂っていたり、
一部は私有地内(19~21号)で侵入不可能だったりと、
残存している墳丘全部の見学は難しかったので、
後日日を改めて見学可能な墳丘は追記していこうと思います(^^;
仮)1号墳
川角1号墳墳丘全景
直ぐ手前に延慶の板碑(別記事にて紹介)が有ります。
仮)2号墳
川角2号墳全景
仮)3号墳
川角3号墳全景
左4号 右3号 奥5号
右が川角5号墳、左手前が川角4号墳、中央奥に川角7号墳
分布図を見てみると、1号~13号までは密集して築かれています。
7号墳の先は見学路の状態が悪く、雑草の茂り具合も酷くなったきたので、
諦めて引き返しました(^^;
12号墳
引き返す途中で新発見の川角12号墳を。。。
そして道路を渡って向い側に移動。。。
標柱
標柱
標柱の右背後に川角17号墳、左奥に川角14号墳が見えてます。
28号墳
川角14号墳遠景
28号墳 墳頂部
川角14号墳頂部
葺石の礫がびっしり封土を覆ってます。
15号実測図(消滅)
川角15号墳実測図(「埼玉の古墳 北足立・入間』より)
15号墳と18号墳は道路敷設により調査後破壊されています。
15号墳の位置は標柱の前付近と思われます。

15号墳は、直径7~9,6mの円墳で、全長2,3mの河原石を用いて、
胴張りの有る横穴式石室が検出されている。
鉄装頭椎大刀、鉄鏃37、耳環5、漆塗土玉11、壮年男子の臼歯、
土師器壺形土器、須恵器甕、細頸壺(フラスコ形)などが出土しており、
築造年代は6世紀末~7世紀初頭頃と推定されている。
川角古墳群出土品
出土品(歴史民俗資料館展示)
:川角15号墳:
・墳形:円墳 葺石
・規模:直径7~9.6m
・埋葬主体部:河原石積横穴式石室、玄室部胴張り
・出土品:鉄装頭椎大刀、鉄鏃37、耳環5、漆塗土玉11、壮年男子の臼歯、
     土師器壺形土器、須恵器甕、細頸壺(フラスコ形)
・築造年代:6世紀末~7世紀初頭
・備考:道路敷設により消滅
    出土品は近くの歴史民俗資料館にて展示

17号墳
川角17号墳全景
22号墳
川角22号墳全景
同じ木立内でも場所によって、雑草で覆われていたり、
枯葉で覆われていたりと雰囲気が異なるのも面白いです。
22号墳 頂部
22号墳の墳頂部
枯葉(落ち葉)の間に葺石の礫が見えてます。
24号墳?
川角24号墳遠景
この辺りから雑草がまだ茂っていて、近寄り難い状態でした(^^;

また、こちらの木立内には崇徳寺という中世寺院の跡も有り、
崇徳寺跡標柱
標柱とその背後に土塁を巡らせた平坦地が広がってます。
崇徳寺跡配置図
歴史民俗資料館に展示されているパネル
茶色が土塁、藤色が社殿跡、南北の灰色の楕円や円形は古墳や古墳跡を示しています。

次回は延慶の板碑と、堂山下遺跡を紹介します。

皆様こんにちは~(^▽^)

それでは、その2記事を書いていきます。
IMG_1059
十社神社境内とその周囲にある古墳を。。。
神社入口
十社神社参道入口と鳥居
神社社殿
社殿は小規模でこじんまりとしてます。
社殿右端に墳丘の一部が写ってますが、撮り忘れました(汗
手水舎
手水舎と手水鉢
水は自分で栓を開閉する仕様になってます。
手水舎(ご時世的な)
ご時世らしく張り紙も有りました(^^;
大類24号墳
社務所の裏側にある大類24号墳全景
大類24号墳 墳頂部の窪み
墳頂部には盗掘跡と思しき窪みが有ります。

:大類24号墳:
・墳形:円墳
・規模:直径17.9m✖高さ2m

大類25号墳
大類25号墳全景
この墳丘の奥に24号墳が有ります。

:大類25号墳:
・墳形:円墳
・規模:直径22.2m✖高さ2m

墳丘5と6
大類27号墳(中央奥)
右手前の盛土は古墳の様に見えますが、分布図には記載されていません。
神社の境界線を示す為の土塁が有って、古墳に見えるだけかもしれません。

:大類27号墳:
・墳形:円墳
・規模:直径14.8m✖高さ1.5m


墳丘9と10
番号未確認の2基の円墳
順番に見学しないと「あれ?この古墳は何号墳だっけ?」となりますが、
この2基がまさにそれです(^^;
近くの川角古墳群などは分布域が広い上、
似たような規模の古墳ばかりなので、分かり難かったです(汗

大類31号墳(分断状態)
大類31号墳全景
大類積石塚古墳から十社神社に向かう途中に有る古墳で、
左側のコンクリ壁が墳丘本体で、道路を挟んだ反対側にも、
盛土が有るので、元の墳丘を分断した様に見えます。

:大類31号墳:
・墳形:円墳
・規模:直径16m✖高さ1.5m

墳丘3
大類32号墳全景
道路に近い場所に有る為、見学が容易ですが、
雑草に覆われて緑の山と化しています。

:大類32号墳:
・墳形:円墳
・規模:直径10m前後✖高さ1.5m

墳丘1
大類35号墳遠景

:大類35号墳:
・墳形:円墳
・規模:直径12.5m✖高さ1.5m


墳丘2
大類36号墳
この古墳は周囲の他の古墳に比べて高さが有るので、結構目立ってます。

:大類36号墳:
・墳形:円墳
・規模:直径11.4m✖高さ約2.5m


次回は苦林古墳群の坂戸市に属する塚原古墳群を紹介します。

皆様こんにちは~(^▽^)

本日は大類2号墳の周辺に散在している、
「大類〇号墳」とナンバリングされている円墳を、
番号が分かる範囲で掲載していきます。
数が多いので2記事に分けます。
IMG_1059
まずは、大類1号墳と2号墳の間付近、
分布図では消滅扱いとなっている民家脇に有る古墳から。。。
半壊扱いの古墳位置
赤丸が該当部分
半壊扱いの墳丘
民家の庭木&畑地内なので、近くには行けませんが、
直径5~6m✖高さ1.5m程度の規模で墳丘が残存しています(^^;
大類3号墳
大類2号墳の西側、畑地の端に当たる木立内に有る、
大類3号墳を西側(古墳の裏側?)から見た感じ
頂部に見えるのは祠などでは無く、切株です(^^;
大類3号墳2
大類3号墳を北から

:大類3号墳:
・墳形:円墳
・規模:直径13.5m✖高さ1.5m

尚、大類3号墳の裏側は十社神社へ続く未舗装路が有り、
この未舗装路の両側にも小規模の墳丘(大型円墳1基有り)が、
数基有りますが、一部は私有地内なので遠くからの見学になりました。
大類15号墳
大類15号墳遠景
竹で見えにくいですが、奥に高さの低い円墳が見えます。

:大類15号墳:
・墳形:円墳
・規模:直径16m✖高さ50cm

墳丘全景
大類17号墳全景
この円墳のみ比較的大きい規模を持ってます。
墳丘位置(赤丸)
墳丘位置は赤丸で示した箇所
この古墳と近くの20号のみ見学できましたが、
「王林寺」と記載されている辺りの墳丘は私有地である為、
今回は15・17・20号墳と、十社神社境内と周辺の墳丘群の見学だけとしました。
残りの古墳や付近の川角古墳群の詳細は年明け以降に再度見学に行く予定です。
近景
話を17号墳に戻して、墳丘に近づいた感じ。
公式発表では直径22.5m✖高さ2mの円墳との事ですが、、、
前方部側から後円部(南東側から)
南東側から眺めると、帆立貝型前方後円墳に見えてきます。
写真中央左側が低くて短い前方部に。。。
前方部側から後円部
逆側(南西側)から
円墳には見えないのですが、どうでしょう?(^^;
墳丘の南側が大きく削られている為に、そう見えるだけで、
公式発表の通り「円墳」なのでしょうか?
石室石材?
墳丘裾に怪しい石材(板石)も有りました。
頂部
頂部の様子ですが、枯葉が堆積していて封土の観察は不可能
ただ、複数の埋葬施設or長大な主体部が推定されるくらい、
広い平坦面となってます。
樹木が少ないので非常に見学はし易かったです(^^
頂部から前方部?
頂部から前方部様の盛土を見下ろした感じ。
頂部南側窪み
頂部南側の窪み
自然崩壊にしては深いので、盗掘跡かもしれません。

:大類17号墳:(十社神社東側)
・墳形:(公式)円墳 /(疑惑)帆立貝型?
・規模:直径(全長)22.5m✖高さ2.5m

大類20号墳
大類20号墳の遠景
こちらも径の割に低い墳丘です。

:大類20号墳:
・墳形:円墳
・規模:直径12.7m✖高さ50cm


次は十社神社境内と周辺の大類古墳群を紹介します

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