皆様こんばんは~(^◇^)
 
32陵墓目は、地形図集成で一番早い登場の天皇陵となる、こちらの陵墓です(^^
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弘文天皇長等山前陵之圖
天皇陵というからには初代である、神武天皇陵からだと思ってましたが、
地形図集成では、近畿以外の県にある、弘文天皇の陵墓からとなってます。
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陵墓部分拡大。
墳丘の周囲に円形の空堀を巡らせる、形の整った直径20m✖4m程の円丘です。
考古学名は園城寺亀丘古墳と呼ばれてます(^^
 
「亀」という字が付く古墳は、全国的に見られますが、亀の甲羅の様に、
やや楕円形状を呈する事から呼ばれる様になったのだと推測されます。 
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ネットで検索掛けたら出てきた、弘文天皇と思われる肖像画。
大化の改新の時代に生きた人物なので、完全に想像上の顔だと思いますが(^^;
 
〇弘文天皇
・生没年:大化4(648)年~天武天皇元年(672)年
・即位前の表記:大友皇子
・続柄:(父)天智天皇
天皇後継者として統治したが壬申の乱において、
叔父・大海人皇子に敗北し自害する。
陵墓は滋賀県大津市御陵町にある、
長等山前陵(ながらのやまさきのみささぎ)に治定されている。
公式形式は円丘。考古学名は園城寺亀丘古墳。
天智天皇10年の先帝・天智天皇崩御から壬申の乱による、
敗死までの治世が約半年と短かった為と、
即位に関連する儀式を行う事が出来なかったという理由から、
長らく歴代天皇とみなされていなかったが、
明治3年になって弘文天皇と追号された。
 
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制札
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陵墓近景(拝所付近)。
鳥居の奥に背の高い生垣が有って、内部の様子が見れない様になってます。
宮内庁に言わせれば「静謐であり侵すべからず」なので、
目隠し的な意味合いも有るかと思われますが、せめて拝所の外からだけでも、
墳丘の姿を拝ませて貰いたいと思うのですが。。。
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生垣越しに撮影したであろう、内部にある墳丘の写真画像。
杉や松等の太い幹の間に、こんもりとした墳丘の姿が見えますね(^^
 
:弘文天皇 長等山前陵:
・測量年:昭和4年
・原図縮尺:1/500
・所在地:滋賀県大津市御陵町
・陵墓の形態:円丘
・面積:11121㎡
・考古学的名称:園城寺亀丘古墳(市指定史跡)
・続柄:(父)天智天皇