皆様こんにちは~(^▽^)

今朝の新聞記事内に私が興味を持っている、
陵墓関係の事が掲載されていたので切り取って保管。。。
20201127_063715
『文武天皇陵 特定』
・・・と大きな見出しで、中尾山古墳が発掘調査の結果、
真の文武天皇陵である事が決定づけられた模様。
これまでの発掘調査で形状が八角形で内部の広さがとても狭い、
小規模な横口式石槨が有る事は知られていましたが、
今回の調査で墳丘の全周を3重の石敷が囲っているという事実が判明。

長らく研究者の間で「真の文武天皇陵では?」との指摘が、
裏付けられた意義は大きいとも書かれています。
また、露出している天井石の隙間からファイバースコープでも入れたのか、
石槨内部のカラー写真も掲載されているので、
天井石に朱の一部が残っている事や、石槨内側の壁面は、
平滑に仕上げられているなど、精巧な石槨である事も分かりますね(^^

今回の中尾山古墳同様に被葬者が特定されたのは、
斉明天皇の牽牛塚古墳が有りますが、
コチラも八角形で墳丘周囲に石敷が全周している事も判明していますし、
築造時期も天皇の没年と一致してます。

尚、宮内庁が指定している車木ケンノウ古墳は、
文久山陵図の「荒蕪」図を見てみると、自然の山の頂上部分であり、
古墳の可能性は低く、「母の陵前に皇女の陵も営まれた」という、
言い伝えとはかけ離れている位置に皇女の陵が治定されているので、
調査で牽牛塚古墳の墳丘から直ぐ側の土中から発見された、
腰塚御門古墳の方が真の皇女陵である可能性が高いとされていますね(^^

また、今回調査された中尾山古墳は築造年代が8世紀初頭で、
天皇の没年と埋葬地である「檜隈」と呼ばれた地域内に有りますが、
現在宮内庁が治定している陵域内には6世紀後半~7世紀代の、
築造年代が推定されていて、横穴式石室が開口していた栗原塚穴古墳が、
充てられてます。。。
飛鳥時代に火葬された天皇は持統天皇と文武天皇だけ。

宮内庁の担当者は「被葬者を示す墓誌など確固たる決定打が有れば
変更は有り得るが、そうでなければ現状維持の姿勢は変わらない」
・・・との事です(^^;
墓誌が確認されたのは太安万侶墓(奈良時代)からなので、
かなりの無茶振りですが、「今まで国民の税金を投入してきているので、
今更『私達が間違ってました』とは言いにくい

・・・みたいな事情でも有るのでしょうね?(^^;



今回のこの記事を読んで、改めて現在宮内庁が治定/指定している、
陵墓の矛盾点が他にもいっぱい有るので、
神代~古代天皇まで陵墓のカテゴリで1天皇づつ、
最近の調査結果や手持ちの資料の文久山陵図と陵墓地形図集成(縮小版)を、
使いながら書いていこうかな?と思いつきましたので、
ステイホーム中に更新していきたいと思います(^^