関東の古墳&陵墓研究

関東地方(主に埼玉県や茨城県)の古墳や遺跡、神社仏閣等を見学し紹介してます。 個人的に好きな陵墓関係の記事や書籍も紹介してます。

2022年03月

皆様こんにちは~(^▽^)

本日は勝呂古墳群で墳丘が確認できるコチラから。。。
墳丘
ラーメン店駐車場から竹林の中に墳丘が見えます。
この墳丘が築山(つきやま)古墳と呼ばれる勝呂3号墳です(^^
個人宅敷地内(ラーメン店とは別)で、その個人宅に行きましたが、
不在だった為、裏側からの眺めだけになったのは残念です(^^;
大正13年に一部発掘され横穴式石室が確認されていますが、
内部の調査までは及ばなかった模様で、副葬品などの遺物は知られていません。

※古墳所在地ですが個人宅敷地内の為、詳細は控えさせて頂きます。
:築山(つきやま/つくりやま)古墳:
・所在地:坂戸市石井
・編号:勝呂3号墳
・墳形:円墳 葺石
・規模:直径13m✖高さ3m
・埋葬主体部:横穴式石室
・史跡の指定:市指定?

・備考:個人宅敷地内に現状保存



以下に消滅した古墳を。。。

:勝呂2号墳(天皇山/天皇塚/並木古墳):
大正時代の初め頃に墳丘削平。
墳頂部に並木神社が有った。
文化年中と明治18年に豪雨の為石室が開口し、
横穴式石室から耳環・勾玉・管玉・刀片・鎧片・鉄轡が出土と伝わる。
・墳形:円墳
・規模:不明
・埋葬主体部:横穴式石室
・出土品:耳環、勾玉、管玉、刀片、鎧片、鉄轡


:勝呂4号墳(熊野神社古墳):
・墳形:円墳
・規模:不明
・埋葬主体部:横穴式石室
・出土品:太刀 明治43年出土


:勝呂5号墳(柊古墳):
昭和18年に破壊された際に横穴式石室検出。
・墳形:円墳
・規模:不明
・埋葬主体部:横穴式石室
・出土品:金環、勾玉


:勝呂6号墳(愛宕塚古墳):
宗福寺境内に有った愛宕社が神仏区画改正で廃社となり、
敷地は上地となり払下げを得て民有地となった際に、
旧愛宕社跡の塚を開墾した際に石櫃(横穴式石室)が発見されている。
その後平坦地となって墳丘は完全に消滅している。
・墳形:円墳
・規模:直径10m
・埋葬主体部:凝灰岩切石組横穴式石室


次回は勝呂廃寺を紹介します。

皆様こんにちは~(^▽^)

本日は神社古墳として保存されている、こちらの古墳を紹介します(^^
古墳遠景
南から見た勝呂神社と古墳遠景
畑地や水田が広がる中に有るので、遠くからでも目立ちます(^^
参拝者用駐車場全景
また、かなり広い参拝者用駐車場が完備されているので、
安心して見学&参拝が出来るのも嬉しいです(^^
古墳近景
勝呂神社古墳(勝呂1号墳)近景
墳丘の高さは4.2m有りますが、さらに社殿を載せる為に、
2mほどの高さで石垣を積んであるため、かなりの高さが有ります。
尚、こちらの古墳は「元は前方後円墳だった」との伝承が有りますが、
平成11年の調査時に周濠の一部が検出され、
直径40m以上の円墳であると判明している上、
その後に実施された範囲確認調査で、直径50mと判明しているので、
現在、前方後円墳説は消えています。

〇勝呂古墳群
越辺川の沖積地に向かって飛び出した半島状の台地に形成された古墳群。
勝呂神社古墳など6基の古墳が確認されているが、
墳丘が観察できるのは勝呂古墳と築山古墳と呼ばれる勝呂3号墳の2基のみで、
他は調査後破壊されている。
埴輪が見られないことから6世紀後半~7世紀代にかけて造営されたとされる。

勝呂神社説明板
参拝者用駐車場入り口脇に設置されている勝呂神社の説明板
駒札
こちらは境内に設置されている説明板
①の項目に「建浄河別命(たけぬなかわわけのみこと)の陵墓」と有りますが、
神様であり、もし実在した人物であっても墳丘の年代が合致しないので、
単なる参拝者集めの為のジョークだと思います(^^;
それに本当に陵であるなら、陵墓一覧に掲載されていないと変なので(^^;
こうした「誰某の陵墓」と決めつけている古墳は各所に見られますが、
調査もせず根拠も無いのに決定付けるのは、如何なものか?と思います。。。

祀られている人物とは違う、当地を治めていた有力豪族の墓と思われます。
本殿の右横に円形の構造物が書かれてますが、コチラには。。。
石室石材玉石
石室石材と推定される大きくて丸い石が有りますが、
古墳の埋葬主体部は組合式箱型石棺とされているので、
石室石材などでは無く、後世に持ち込まれた石材かと思われます(^^;
勝運霊石の石室石材
元は石棺の一部だったであろう板石は、
「あらゆる勝負事に勝つ」という霊石として祀られてます(^^;
個人的な意見ですが、元は遺骸を収めていたであろう棺の部材なので、
不用意に触ると逆に祟られるのでは?と思い触りませんでした(^^;
尚、他の石材は境内南端(駐車場から境内に上がる石段の脇)に、
石室石材
この様にして集められてます。
この内の2枚が胴山古墳の石室石材との事ですが、
どれが上記の石材なのかは不明です(^^;
勝呂神社古墳の主体部石棺のサイズは不明ですが、
石材の厚みや大きさもかなりの物なので、
とても大きな石棺だったであろうと推定されます。
尚、出土品の情報ですが、耳環や勾玉・管玉などの出土例があるそうですが、
周辺に有り現在は破壊されている古墳からの出土品である可能性が高く、
勝呂神社古墳からの出土品は不明扱いとなってます。
頂部から見下ろす
頂部から見下ろした感じ。
周囲には田園地帯が広がるので、眺めはバッチリです(^^

:勝呂(すぐろ)神社古墳:
・編号:勝呂1号墳
・所在地:坂戸市石井226 勝呂神社
・墳形:円墳
・規模:直径50m✖高さ4.2m
・周濠:有り
・埋葬主体部:組合式箱型石棺
・出土品:不明
・築造年代:6世紀後半~7世紀代
・備考:墳頂部に勝呂神社社殿有り
    参拝者用駐車場有り
    境内南端に石棺材有り


次回は築山古墳(勝呂3号墳)と消滅した古墳のデータを紹介します。

皆様こんにちは~(^▽^)

本日は前回紹介した新町9号墳の南西側にある、
新町古墳群中で唯一の方墳を紹介します(^^
南東方向から遠景
南東方向から眺めた新町10号墳の遠景。
別称で太子塚古墳坂戸37号墳と編号されてます。
東から近景
東側から墳丘近景。
グーグルマップだと完全な森になってますが、
見学時は伐採されて見通しが良くなっており、
墳丘にも難なく接近できました(^^
民家と墳丘の高さ比較
隣接する民家と墳丘の高さ比較。
この古墳は発掘調査が実施されておらず、
古墳群内唯一の方墳で埴輪を伴わない7世紀代の築造と推定されている他は、
一辺27m✖高さ3m程度の規模を持つ・・・程度しか判明していません。
墳丘周囲を民家敷地に立ち入らないギリギリまで観察してみましたが、
敷地区画の為の地割の窪みなのか、周濠を持つのかの区別は判断できませんでした(^^;
尚、南側民家と墳丘の間にブロック塀が設置されているので、
若干裾が削られているかもしれません。
墳頂部平坦面と祠
墳頂部平坦面の様子。
墳丘裾は一辺27mですが、墳頂部も一辺18~20mくらいの広さが有ります。
これほど頂部平坦面が広いので、以前は頂部に大きな社殿が有ったと思われます。
伝承不明ですが、石材などは全く見られなかったので、
横穴式石室が有ったとしても既に破壊されていると思われます。
墳頂部西端の祠
墳頂部平坦面西側端には小さな祠が祀られてました。
左奥の民家へ通じる小道が有るので、おそらく個人崇拝の祠かもしれません。

※古墳所在地ですが私有地内の為、詳細は控えさせて頂きます。
:新町10号墳/太子塚(たいしづか)古墳:
・編号:坂戸37号墳
・所在地:坂戸市石井付近
・墳形:方墳
・規模:一辺27m✖高さ3m
・築造年代:7世紀代
・備考:墳頂部平坦面西隅に祠有り
    墳丘周囲は私有地や民家の為、見学要注意
    駐車スペース無し(古墳は私道の奥)

次回は勝呂神社古墳(勝呂古墳群)を紹介します。

皆様おはようございま~す(^▽^)

本日は新町古墳群中で現存するこちらの古墳を紹介します。
墳丘遠景
北東から見た新町9号墳遠景。
民家の裏庭隅に半壊&墳丘の1/3にブロック塀が建てられた状態で残存。
分布報告書では坂戸36号墳と編号されてます。
訪問時お声掛けしたのですが、不在だった様なので、
敷地内には入らず、道路や周囲の観察できそうな箇所からのみ見学しました(^^;
北東から近景
墳丘近景
墳丘規模は直径15m✖高さ1.8mで、河原石を積み上げた横穴式石室が検出されており、
耳環、鉄鏃、刀子が出土していて、築造年代は7世紀後半頃と推定されています。
尚、北側はブロック塀設置により多少削られている様に感じます。
北西から墳丘とブロック塀の具合
西からブロック塀と墳丘の範囲
墳丘の西側一部が民家外に及んでおり、ブロック塀が墳丘に食い込む状態で設置されてます。
露出している封土を観察してみましたが、特に遺物などは見当たりませんでした。
墳頂部
墳頂部の様子。
経年劣化によるものか土取りの影響か、かなり尖った墳頂部で平坦面は少ない印象です。
露出石材
墳丘斜面には石室の一部と思われる石材が至る所に露出しています。
IMG_1335
『埼玉の古墳 北足立・入間』より墳丘実測図と石室位置
図面によると南西方向に開口している模様ですが、
見学時は見られなかったので、埋没している模様です。
石室石材利用の石碑?
民家の庭先には「元は石室石材だったか?」と思わせる様な、
緑泥片岩の板石で作られた石仏?的な物体が有りましたが、
新町9号墳由来の物か、隣接する10号墳の物かは不明です(^^;

※古墳所在地ですが個人宅敷地内の為、詳細は控えさせて頂きます。
:新町古墳群 新町9号墳:
・編号:坂戸36号墳
・所在地:坂戸市石井
・墳形:円墳

・規模:直径12m✖高さ1.8m
・埋葬主体部:河原石積み横穴式石室
・出土品:耳環、刀子、鉄鏃
・築造年代:7世紀後半

・備考:民家裏庭に現存
    石室は埋没?
    駐車スペース無し


次回は隣接する新町10号墳(太子塚古墳)を紹介します。

皆様こんにちは~(^▽^)

本日は坂戸市内に所在する新町古墳群に属する古墳の内、
まず主墳から紹介します。
IMG_1334
新町古墳群分布図(『埼玉の古墳 北足立・入間』より

〇新町古墳群概要〇
越辺川の沖積地を見下ろす台地上、飯盛川右岸に築造された、
前方後円墳である胴山古墳、お伊勢原古墳、愛宕塚古墳など円墳8基、
方墳の太子塚古墳で構成された古墳群である。
昭和34年に胴山古墳の北西にあたる新町2063の畑地で、
円筒埴輪棺が発見されているが、ほかに埴輪は発見されていない。


現在は新町1号墳である前方後円墳と、
円墳の9号墳、方墳の10号墳の3基のみが現存しています。
北から遠景
北から見た胴山古墳遠景。
分布報告書には新町1号墳と編号されてます。
中央から左が後円部、右の民家側が前方部となります。
墳丘規模は、全長63.2m、後円部径20m✖高さ2.75m、
前方部幅30m✖高さ3mとなっています。
北から遠景 - コピー
おおよその墳丘位置はこんな感じ。
IMG_1333
墳丘実測図
後世の土取りなどで南側が削られてしまってます。
また、現在は道路敷設で見られませんが、周濠が巡っている事が調査により判明しています。
前方部先端
前方部先端付近
4mほどの高さが有りますが、高さのある雑草や、
棘のある雑草などが生い茂っているので、前方部頂部へ上る事は諦めました(^^;
前方部から後円部
前方部から後円部方向を見た感じ。
前方部側は雑草が生い茂っており、後円部側は常緑樹が茂っている感じです。
後円部頂部
後円部頂部の様子。
枯葉が堆積しており、墳丘封土の様子は確認できません。
後円部の方は前方部に比べて下草が少なかったので、
登ってみましたが、途中で段築とテラス的な箇所が有りました。
封土が露出していた箇所を観察してみましたが、
土器片などは見当たりませんでした。
また、この古墳から出土したと伝わる横穴式石室の石材が、
東へ1.4kmの地点に有る勝呂神社境内に安置されていますが、
安置場所には勝呂神社古墳出土の石室石材とされる板石も複数枚置かれているので、
どれが胴山古墳の石材かは分かっていません(^^;
後円部頂部から前方部
後円部頂部から前方部方向を見た感じ。
肉眼だと薄っすら前方部頂部が見えるのですが、
何度か撮影しても上手く写りませんでした(^^;

新町古墳群 胴山古墳:
・所在地:坂戸市石井2056付近

・編号:新町1号墳
・墳形:前方後円墳 2段築成

・規模:全長63.2m
    後円部径20m✖高さ2.75m
    前方部幅30m✖高さ3m
・周濠:有り

・埋葬主体部:横穴式石室
       勝呂神社境内に当古墳出土と伝わる板石有り
・出土品:不明
・築造年代:6世紀後半
・備考:小型車1台分の駐車スペースが前方部側に有り
    古墳から北へ1kmの坂戸市民総合運動公園内駐車場(無料)も有り


次回は胴山古墳の南西に有る新町9号墳を紹介します。

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