関東の古墳&陵墓研究

関東地方(主に埼玉県や茨城県)の古墳や遺跡、神社仏閣等を見学し紹介してます。 個人的に好きな陵墓関係の記事や書籍も紹介してます。

2018年01月

皆様こんにちは~(^◇^)

本日は栃木県真岡市内に数基のみ現存する、
京泉シドミ(シトミ)原古墳群の内、
時間の都合で2基のみしか見学できませんでしたが、
まずは、14号墳から紹介します(^^

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京泉シドミ原古墳群 14号墳
民家の裏に現状保存されており、
上の写真はブロック塀の上にカメラを置いて撮影しました(^^;
時間が無かったので、宅地内に入っての見学は出来ませんでしたが、
高さの有る円錐形と墳頂部の祠を確認しました。

未調査墳ですが、高さが有り、墳頂部の平坦面が少ない事や、
直ぐ側に隣接する鶏塚古墳が河原石を積み上げた、
無袖型横穴式石室を有する事などから、
この古墳も横穴式石室を内蔵すると思われます。

次回行く事が有りましたら、その時は民家に一言断って、
見学させて頂こうと思ってます(^^

◎京泉シドミ(シトミ)原古墳群
京の泉公園東側の五行川左岸微高地に築かれている、
円墳のみで構成された古墳群で、
元は17基ほど有ったが、現在は半壊含め8基のみ現存。
1号墳(荒神塚古墳)、3号墳(浄界墓古墳、現況墓地)、
8号墳、12号墳、13号墳(鶏塚古墳)、14号墳、15号墳、
17号墳(行屋大日塚古墳)。

:京泉シドミ原古墳群 14号墳:
・墳形:円墳
・規模:現存直径17m×高さ3m
・埋葬主体部:不明
・出土品:不明
・築造年代:6世紀後半頃
・備考:民家敷地内につき、見学は要許可
    付近の京の泉公園に駐車スペース有り

皆様こんにちは~(^◇^)

本日は真岡市にある、郡衙跡の遺跡を紹介します(^^

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この標示の一番上の「堂法田遺跡」が今回紹介する遺跡です(^^

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堂法田遺跡遠景
樹木の左横に説明板が建てられてます(^^
見学には畦道を通らないと行けませんが、
田の中に入ってしまわないよう気を付けて下さい(^^;
また、説明板の前には水路が有りまして、
橋などは無いので、対岸から見学するか、
1本奥の道路から接近するかの、どちらかしか無いです(汗
せっかく史跡として残しているのであれば、
見学用の通路くらい設置して欲しいですね。。。(^^;

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説明板
水路の対岸からズーム機能で撮影してます(^^;

以下に説明文を。。。
本遺跡は、付近一帯に礎石が散在し、大内廃寺出土の古瓦と
同手法の瓦が出土するところから、奈良時代の寺院跡とみられていた。
そして昭和32年に大内廃寺に加えて県指定史跡となった。
昭和40年に大規模な土地改良事業が行われることになり、
昭和42年から翌年1月にかけて緊急発掘調査を実施した。
その結果、礎石建物と思われる遺構が10基、掘立柱建物と思われる
遺構が28基、計38基の建物跡が確認された。
それらすべてに土を掘り地固めをした土壇がみられた。
これらの結果から芳賀郡衙跡と認められるに至った。
これらの遺構の分布範囲は東西約180m、南北約300mにおよび、
建物は中央の東西棟群を中心に、北群や東群・西群・南群等規則的に
配置されている。出土瓦には茨城県新治廃寺系の鐙瓦や、
益子町西山瓦窯で焼かれたと考えられる宇瓦(のきがわら)が出土している。
新治廃寺系の瓦から8世紀後半頃には本遺跡は存在したと考えられる。
また、本遺跡と大内廃寺の位置関係は、新治郡衙跡と新治廃寺の位置関係に
類似している。なお、現在保存されているのは図中のC遺構(東西20m 南北20m)
のみである。
この遺跡は当初「塔法田堂遺跡」と呼ばれてきたが、この付近に塔法田の地名は
存在せず、字名は「堂法田(どうほうだ)」である。従って遺跡名称を字名を付す
通例により、「堂法田遺跡」とした。   平成20年2月 真岡市教育委員会

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現在水田下に保存されているC群建物跡の位置を示す図。

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説明板のある場所のみ、周囲よりも高く、畑地になっていますね。
この部分のみが埋め戻し保存が実施されてる箇所となりますが、
大内廃寺で見られた様な礎石は見られませんでした(^^;
それ以外は見渡す限り水田が広がるのみとなってます。

以下に郡衙とは何ぞや?という方の為に簡単に説明を(^^

◎群衙(ぐんが)
日本の古代律令制度の下で、郡の官人(郡司)が政務を執った役所の事。
国府や駅とともに地方における官衙施設で、郡家(ぐうけ・ぐんげ・こおげ・
こおりのみやけ)ともいう。
施設は郡司が政務にあたる正殿・脇殿のほか、田租・正税出挙稲を保管する正倉、
宿泊用の建築などから構成される。
郡衙は国府所在地と異なり、郡衙所在地は立郡事情や政治的変遷により、
移転している事も有る為、その特定がなかなか進んでいない。
近年は考古学における発掘調査の進展や既知の遺跡の再検討により、
官衙施設に関係する大型建築跡や墨書土器、祭祀遺物、木簡などの、
出土遺物により、多数の官衙関係遺跡が発見されている。
これらの成果により、国府と郡衙間、または郡衙と郡衙間を結ぶ古代の交通体系や、
9世紀後半頃、国司の権限が大幅に強化され、受領化するとともに、
郡司の権限は大幅に縮小され、全国的に郡衙が衰退したことがわかってきている。

遺跡(C群)は中央付近の水田下に埋め戻し保存されていると、
思われます。
東西180m×南北300mの規模ですから、
大内廃寺近くまで及んでいたと思われますが、
現在は見渡す限りの水田地帯と民家が並ぶのみとなってます。

:堂法田遺跡(どうほうだいせき):
・概要:郡衛跡
・出土遺物:基壇38基、礎石多数
・規模:東西約180m×南北約300m
    現存規模:東西30m×南北30m
・調査年:昭和40年
・指定区分:県指定史跡
・備考:駐車場無し
    古代芳賀郡の郡衛跡と認められる。

皆様こんにちは~(^◇^)

本日からは栃木県真岡市内の遺跡と古墳を紹介します(^^
・・・といっても、嫁さんの実家からの帰り道で、
見学する時間も限られていた為、
寺院跡、奈良期の役所跡、古墳2基しか、
見学できなかった事を予め記述しておきます(^^;

まずは、大内廃寺跡遺跡から。。。

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国道を壬生市へ向けて走っている時に見つけた看板。
大内廃寺跡は、この看板の奥に見えている、
細い路地を写真左へ向かった所に有りますが、
上2つの遺跡・古墳は、更に800m程進んだ所に有りました(^^;

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史跡を示す石標柱

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駒札っぽい形状の立て札と。。。

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しっかりとした大きさの説明板。

以下説明文を。。。
本遺跡は氏寺の性格を兼備した郡寺として知られています。
本遺跡の北方650mに芳賀郡衙とされる堂法田遺跡が所在します。
同じような位置関係をもつ遺跡に那須郡衙と浄法寺廃寺、新治郡衙と
新治廃寺等が見られます。
昭和32年に県指定史跡となりました。その後、五行川改修に伴う
土地改良事業等により、遺跡周辺がかなり削平されましたが、
中心となる塔・金堂跡の一画が残っています。
そこには礎石が残り、瓦片が多量に散布しています。
南向きに東西横位に並列し、法隆寺式伽藍配置になっていたと考えられています。
東側の金堂跡は正面14,5m、側面12,7mの基壇上に13個の礎石が残存し、
半数ほどは原位置のままと推定され、正面5間×側面4間の小規模な
堂跡だったと考えられます。
西側の塔跡は7,3m四方の基壇上に円孔を有する塔心礎と少数の礎石が残っています。
付近で採集された遺物には、7世紀末葉の鋸歯文八葉単弁蓮華文鐙瓦(軒丸瓦)、
重弧文宇瓦(軒平瓦)と、改修時期を示す8世紀後半の細弁十六葉蓮華文鐙瓦、
均正唐草文宇瓦等が発見されています。
前者は本廃寺専用につくられた特有の組み合わせであり、後者は常陸新治廃寺の
同範瓦として知られ、市内の堂法田・中村の同郡衙関係の遺跡や、下野薬師寺跡、
下野国分寺・尼寺跡でも出土しています。
本寺を「大内廃寺」と称しているのは現在の地区名からそう呼称しているだけで、
正式な寺名は不明です。古代の寺名を示す遺物が発見された新治廃寺の例を
考えると「芳賀寺」であったかもしれません。     真岡市教育委員会

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この地からは、金堂と塔の跡が検出されてます。

以下ネットからの情報を。。。

両者は南面して7mを隔てて配置され、金堂跡は東に位置する。
付近から奈良時代の特徴をもつ文様の瓦が出土している。
指定面積は約30aほどだが、寺域は南北に相当の広がりをもつとされる。
五行川の河川改修工事に伴う開田工事によって、南大門、塔跡、中門跡、
回廊などが湮滅した結果、現在は僅かに雑木林の中に、
金堂跡と塔跡を残すのみ。

南大門や中門なども検出したそうですが、
現在は河川改修工事の為、破壊・湮滅してしまったそうです。。。
残念。。。

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説明板の背後から撮影した、大内廃寺跡遺跡の全景。
中央右のこんもりと盛りがった部分が金堂の基壇で、
中央左の小さな盛り上がりが塔の基壇となります。

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金堂跡及び基壇近撮。

基壇部分の所々に。。。

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金堂の各柱を載せていたと思われる、
礎石が数点見られました。
説明板によると16個有るそうですが、
他は下草や積もった枯葉などに隠れて見えませんでした。

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塔跡基壇の近撮
コチラにも礎石が見られるそうですが、
下草が繁茂していて近づけなかったので、
礎石の確認は出来ませんでした。。。

:大内廃寺跡(おおうちはいじあと):
・形式:法隆寺式伽藍配置
・金堂の規模:東西14.5m×南北12.7m
       土壇1.1m 基礎石19個
・塔跡の規模:東西7.3m×南北7.3m
       土壇1.0m
       土壇中央に塔の心礎
・出土品:瓦等
・指定の区分:県指定史跡
・備考:駐車場無し
    南大門、中門、回廊は調査後湮滅

皆様こんばんは~(^◇^)

本日は虎塚古墳群の6号墳を紹介します(^^
実は最近まで存在を知らなかった古墳でして、
虎塚古墳近くの資料館内の掲示で、
初めて存在を知り、近くなので行ってみる事に。。。

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「虎塚6号墳」と記載されているのが、
今回紹介する場所です(^^

駐車場横の雑木林の中という事で、
足元に気を付けながら探索&見学しました(^^

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道路から6号墳の有る方向を見た感じ。
矢印の方向に有ります。

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道路から少し入った所で、
わずかに盛り上がっている箇所がこの、
赤丸で囲った部分です。
此処の他は平地か窪地だったので、
おそらくこの部分が6号墳だと思われます。

冬季でこの状態なので、草木が茂る夏季の見学は、
不向きそうな古墳です(^^;
足元には不法投棄の廃材などが多数有るので、
探索&見学の際は十分ご注意下さい。。。

直径は10m程度の様ですが、
高さはあまり無く、わずかに盛り上がっている程度で、
周囲と比べて最も高くなっている部分でも、
40~50cm程度です。
4号や5号と同じく、周囲が畑地用として開削された際に、
削られた可能性も有るかと思います。

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中央右側の樹木の根本部分が、
最も高い場所であり、墳丘の中心部付近となります。
他の古墳(虎塚古墳、3号、4号、5号)の主体部は、
横穴式石室ですが、この6号墳は規模が小さいので、
木棺直葬かもしれませんね。
まだ詳しい調査は実施されていない模様なので、
いずれ判明する日が来る事を願います。。。

:虎塚古墳群 6号墳:
・墳形:円墳
・規模:直径10m×高さ数十cm
・備考:虎塚古墳見学者用駐車場北側の雑木林内に所在

次回からは、水戸から帰る際に立ち寄った、
栃木県真岡市の古墳と史跡を紹介します(^^

皆様こんにちは~(^◇^)

本日は虎塚古墳群の5号墳を紹介します(^^

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虎塚古墳群 5号墳の残骸。。。
駐車場から撮影したものですが、
目と鼻の先程の距離の畑地内に有ります。
円墳とされていますが、早くから開墾の為に削平されてしまい、
規模や出土品などは不明です。
また、現在は横穴式石室に使用されたと思われる、
数個の石材が緩いマウンド上に残っているのみとなってます。
写真中央奥に4号墳の石室石材が写ってます(^^

イメージ 2

角度を変えて。。。
右の大きな石材は奥壁の部材でしょうか?
石材までの通路が無く、民家の前だったので、
接近はせず、ズーム機能を使用して撮影しました(^^;

:虎塚古墳群 5号墳:
・墳形:円墳
・規模:不明
・埋葬主体部:横穴式石室
・備考:畑地内に緩いマウンドと石室材有り
    虎塚古墳見学者駐車場脇に所在

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