関東の古墳&陵墓研究

関東地方(主に埼玉県や茨城県)の古墳や遺跡、神社仏閣等を見学し紹介してます。 個人的に好きな陵墓関係の記事や書籍も紹介してます。

2017年09月

皆様こんにちは~(^◇^)
本日は川越市内の南大塚古墳群に属する、大型の上円下方墳である、
山王塚古墳の発掘調査見学会に、行って来ました~(^^
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説明会は10時からだったので、9時30分過ぎに現地に入ったのですが、
既に多くの見学者の方が現地入りされてました(^^
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墳丘前で資料を頂き中身を熟読。。。
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資料を配布している所で、古墳から出土した石材片や、
僅かながら須恵器片なども展示されてました。
青い箱に入っているのは角閃石安山岩片で、各々の石材に加工の跡が見られました。
濃いグレー色の箱には石室材に使用されたと思われる、緑泥片岩の破片が入ってました。
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一番奥の箱には、須恵器片の他、中世の青磁器片の他、盗掘口内から出土した、
宋の時代の古銭が展示されてました。

こうした見学会の参加は初めてだったのですが、
説明会が始まると混雑するであろうと思い、
先にトレンチが設定されている箇所へ。。。
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鳥居の先、円丘部の頂部近く斜面の周囲に、
土嚢が積まれ、その周囲に沢山の見学者が見えます。
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トレンチ全景。
かなり深めに掘ってありました。
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南側から。。。
トレンチの最深部に石室の床部石材と、
壁材と思われる緑泥片岩が少しだけ見えてます。
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トレンチ東側から。。。
2枚の大きな緑泥片岩の板石と、大きくて楕円形状の河原石の他、
おそらく葺石だったであろう丸石などが確認できました(^^
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トレンチの隅には、緑泥片岩の破片と、加工の跡が見られる角閃石安山岩が入った、
トレーが置かれてました。
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トレンチの西側横には、トレンチを設置した時に出たであろう、
大量の礫が山積みされてました。。。
後で職員の方にお聞きした所、おそらく元は葺石だったのを、
盗掘した後で埋め戻す際に、これらの石も投入したのだろうとの事でした。
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説明会の時間になった所で、職員の方が輪の中心に立ち、
配布された資料を元に、古墳群の立地状況や、
周辺の発掘調査状況などを大まかに説明してました。
この時点で周囲には約200人ほどの見学者の方が居ました(^^;
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墳丘上の東隅と西隅、トレンチの3ヶ所で、各々職員さんの説明を聞きました(^^
特に興味が有った主体部上部トレンチの説明を、真っ先に聞きに行きました(^^

その説明によると、斜めになっている緑泥片岩の板石は、
元は羨道部かその先の前室の天井石か壁材だったものが、
盗掘時に動かされた痕跡が認められる事から、
原位置には無かった可能性が高いとの事でした。
また、その下に検出されている、一際幅の有る緑泥片岩の板石は、
検出部長さ150cm✖幅60cm✖厚さ8cmのサイズが有り、
動かされた形跡が見られ無い事から、床材で原位置を保っている石材であろうとの説明でした。

残念ながら今回の発掘調査は、石室の存在を確認する為の調査であり、
今の所玄室部へ至る様な調査は実施する予定は無いとの事でした。。。

一部で国指定史跡へ向けて動いているとの情報も有りますが、
本日の説明や古墳の現状を見る限りでは、国指定は難しそうに思います。。。
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また、木の棒が刺さっている所から内側が、盗掘時に充填された土ですが、
想定されていたよりも盗掘が大規模であった事が推測され、出土品も非常に少ない事などから、
全長10mを超える影(※)が地中探査レーダーにより、確認されてますが、
床部は残っていたとしても、石室は大きく破壊を受けている可能性が有り、
今の所、市としてもこれ以上の発掘調査を、実施しようという気は無いそうです。。。

※複室構造の横穴式石室が想定されてました。
 古墳築造年代から、行田市の八幡山古墳に匹敵するであろう、
 長大な石室の姿を見てみたかったです(^^;

まだ私有地ですので、整備しようとするならば、土地全体の買取が先でしょうか?
・・・・・・整備するにしても、「芝生を敷く」「墳丘を損壊しそうな樹木のみ伐採」
位に留めて置いて頂いて、間違っても府中市熊野神社古墳(山王塚と同じ墳形)の様に、
現代的な姿にはして欲しく無いですね。。。

後、熊谷市の宮塚古墳も、方墳が崩れた物なのか、上円下方墳なのか、
はっきりさせて頂きたいですね(^^

季節が夏から秋へようやく移った所で、
まだまだ下草も繁茂しているのと、仕事が多忙ですので、
古墳見学は11月下旬以降を予定しております(^^

あんけん様、沢山の資料を頂戴しまして誠に有難うございました(^^
今後の古墳見学の参考にさせて頂きたいと思います
また、他のブロガー様や同好の皆様、不定期更新では御座いますが、
今後ともどうぞ宜しくお願い致しますm(_ _)m

また、皆様にお目に掛かれる機会を楽しみにお待ちしております

皆様おはようございま~す(^◇^)
大きな台風が日本列島を縦断するそうで、
関東地方も朝から大粒の雨が降っております。。。
「そろそろ涼しくなってきたから、古墳巡りを再開しようかな」
・・・・・と思っていたのですが、台風&秋の長雨の時期が、
終わらないと無理そうですね。。。(^^;
古墳巡りはもう少し我慢ですね。。。

さて、今朝は新聞記事から。。。
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関東では無く、東北は福島県内の古墳から、
石棺(写真から推測して、組み合わせ式箱型石棺か?)から、
完全な人骨が見つかったとのニュースが、写真入りで掲載されていましたので、
早速切り取って撮影&保存しました(^^
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石棺の写真も掲載されてますが、赤い色から推測するに、
朱で真っ赤に塗られていた模様。
そして、石棺内左上に写っている球体状の物体は頭蓋骨でしょうか?
他にも大量の人骨や左隅には鉄剣(鉄刀)見られますね(^^

この古墳については全く知らなかったので、
Wikiで調べてみました(^^

:灰塚山(はいづかやま)古墳:
・墳形:前方後円墳
・規模:全長61.2m
    後円部直径33.2m
    前方部長さ27.6m
・埋葬主体部:石棺1、木棺2
       石棺規模/全長2.2m×深さ20cm×最大幅85cm
・出土品:人骨、銅鏡、鉄剣、鉄鏃、太刀2
・築造年代:5世紀頃
・史跡の指定区分:指定無し
福島県喜多方市に点在する宇内青津古墳群中の1基で、
群の最北に位置し、丘陵末端部に築造されている。
1986(昭和61)年に測量調査が実施されて以来、
本格的な発掘調査は2011(平成23)年から、
毎年行われてきており、今回石棺の内部の調査に至った。
鉄製品の大量出土は東北地方に存在する古墳時代中期の古墳としては、
初めてという点や箱式石棺の採用という点から、
ヤマト王権との強いつながりが想定されている。
見つかった人骨は鑑定の結果60代で死亡し、
背骨の状態から腰痛を患っていた可能性が指摘されている。
また、石棺を組む板石を二重にし、隙間を厚さ20~30cmの粘土で固め、
さらに土をかぶせる三重構造だった事から、石棺内に土の流入が少なく、
人骨が影響を受けにくかったとみられる。
今後DNA分析が行われる予定との事で、
ヤマト王権との関連性等の新たな知見が得られる可能性が高い。

今後の調査&分析が楽しみな古墳ですね~(^^
埼玉県も発掘調査を実施して頂きたいです(^^;
我が家の近所に有り、周濠が検出されたのみに留まっている、
側ヶ谷戸古墳群稲荷塚古墳とか。。。

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