関東の古墳&陵墓研究

関東地方(主に埼玉県や茨城県)の古墳や遺跡、神社仏閣等を見学し紹介してます。 個人的に好きな陵墓関係の記事や書籍も紹介してます。

2017年03月

皆様こんばんは~(^◇^)

本日はひたちなか市に有る、
酒列磯崎神社境内とその周囲に散在している、
磯崎東古墳群の見学記を書きます(^^
尚、古墳番号は念のため資料を見ながら、
割り振りましたが、多くが間違ってるかもしれませんので、参考程度にお願いします(^^;
また、数が多くて全部は見れてません。。。
数回通う必要が有りそうです。。。
イメージ 1
ひたちなか市埋蔵文化財調査報告書(PDF形式でダウンロード可)から抜粋。
数字が記載されている黒い囲いは調査が行われた場所、
白丸は消滅した古墳、黒丸は現存する古墳を示してます。

当初は円墳30数基で構成され、
5世紀後半~6世紀前半頃に成立したとされていましたが、
調査で7世紀後半頃の須恵器平瓶が出土したため、
長期間に渡って営まれた古墳群であり、
円墳だけでなく、帆立貝型前方後円墳や方墳も含まれる事、
埋葬主体部も木棺直葬だけでなく、自然石を積んだ、
小型の横穴式石室や箱型石棺が検出されるなど、
色々な事が判明しております。

これまでに行われた調査の概要を。。。
・第一次調査 1989年 古墳2基
 2段の葺石を持つ帆立貝型前方後円墳1基と、
 珠文鏡が出土した円墳1基を調査
 この2基は酒列磯崎神社境内に隣接する、
 ホテル建設に伴い調査されたもので、
 古墳は調査後破壊&消滅している。

・第二次調査 1990年 石棺2基
・第三次調査 1991年 横穴式石室1基
 これらの調査では、石棺2基、横穴式石室1基が検出。
 但し報告書未完のためどの古墳か等の詳細は明らかでない。

・第四次調査 1995年  石棺1
 自然石を積んだ横穴式石室が検出されたが、
 遺物は出土しなかった

・第五次調査 2004年 周濠1
 円墳の周濠の一部が調査され、7世紀第3四半期に、
 位置づけられる須恵器平瓶が出土

・第六次調査 2007年 検出物等無し
・第七次調査 2011年 石棺1
 海岸部の崖に長軸1.5mほどの小型の石棺が露出していた為、
 平成23年4月に実施されたが、人骨以外の遺物は無し。

・第八次調査 2011年 石室4(横穴式石室1)、古墳1
 磯崎小学校仮校舎建築に伴う試掘調査であり、
 調査の結果、長軸2m強を測る小型の石室4基と、
 横穴式石室を持ち周濠が巡る(周濠外径約20m)円墳1基が確認。
 出土遺物は、第1号石室の確認面からフラスコ形長頸瓶を含む、
 須恵器片が散在して出土。

・第九次調査 2011年 第八次調査の本調査
・第十次調査 2013年 石室1、方墳1、濠2、土抗1
 個人住宅建設に係る文化財保護法93条1項に基づく届出が
 提出されたため、試掘調査を実施。
 太平洋を望む海食崖から240m離れた地点に位置し、
 調査対象地内に5ヶ所のトレンチを設定。
 方墳は第3トレンチで石室の一部が確認され、
 石室の両側3m強ほどの位置で周濠と見られる溝を検出。
 石室は奥壁と見られる石材が確認されたのみで、
 出土遺物は無い為、築造時期は不明。
 尚、土抗も出土遺物が無い為時期不明。

磯崎東古墳群 概要
30数基の円墳と帆立貝型前方後円墳(2号墳 破壊済)、
方墳1基(1号墳 破壊済)で構成される古墳群で、
酒列磯崎神社境内と付近に建つホテル周囲に多く現存する。
神社参拝者用駐車場向い側に位置する19号墳のみ、
石室材と思われる複数個の石材が確認できる。
埋葬主体部については、横穴式石室の他、
箱型石棺が検出されているが、報告書未完の為、
具体的にどの古墳かまでは不明。
規模は直系20m前後✖高さ2m程度の物がほとんどだが、
中には直径が40mを超える規模の大きな墳丘も残っている。
築造年代及び古墳群の成立年代は、
5世紀後半~7世紀中頃とされているが詳細は不明。
出土品について、記録が残っている物は以下に。。。

・2号墳=珠文鏡、大刀、鉄鏃、刀子
・6号墳=人骨、刀、槍、甲冑
・22号墳/24号墳=直刀、刀子、鉄鏃、骨鏃
イメージ 2
推定3号墳
高さは2m以上有りますが、墳丘上に見られる石材は、
石室に関係するものでは無く、神社建築に伴うものと思われます。
イメージ 3
推定4号墳。
円形では無く、やや扇形の様な形状ですが、元は円墳であると思われます。
イメージ 4
推定6号墳
古墳よりもその前に聳え立つ大きな樹木の幹に目が行きます(^^;
こちらは高さが3m以上有ります。
イメージ 5
推定8号墳
上の3基と比べると一回り大きく、直径30m以上✖高さ5m程度有るかと。。。
また、右下に一部写ってますが。。。
イメージ 6
葺石か石室石材と思われる礫が積まれてます。
イメージ 7
推定11号墳
奥に見えてる建物は社務所兼車庫です(^^
コチラは直径15m✖高さ1.5m程の小型の円墳。
イメージ 8
推定18号墳
ホテル寄りにある古墳で、
磯崎東古墳群中、最大規模を誇る円墳です。
直径40m以上✖目測高さ6mはあろうかという規模。
見学用散策路から少し奥に入った所にあります。
近づいてみようかと思いましたが、装備不十分だったのと、
前日降った雨でぬかるんでおり、接近は危険と判断した為、断念しました(^^;
直ぐ手前に17号墳の円墳が有るのですが、
接近して築かれている為、遠目には前方後円墳に見えます。
イメージ 9
19号墳
参拝者用駐車場と道路を挟んだ向かいに位置する古墳で、
唯一、石室材が見学できます(^^
イメージ 10
露出した石室材の上に小さな祠が祀られてます。
イメージ 11
石室内部。
内部は完全に埋まってますが、規模的に小型の横穴式石室だと思われます。
イメージ 12
推定20号墳
19号からホテル方向に進んだ民家脇に有ります。
見学した際は、ご覧の様に雑草に覆われてました(^^;
イメージ 13
推定21号墳
ホテル(ホテルニュー白亜紀)前に、史跡公園的な状態で保存されてます。
散策路(未舗装)が有る上、中心部分にベンチが設置されているので、
ゆっくり見学できますが、古墳自体は基本現状保存の模様(^^;
イメージ 14
推定23号墳
樹木が少ないので見学し易いですが、高くなりつつある気温のせいで、
下草が茂り始めてました。。。
イメージ 15
推定25号墳
公園の南端に有る古墳で、一部道路で削られてますが、
概ね築造当時の形態を残している模様。
イメージ 16
この古墳では、墳頂部南寄りに石室の一部と思われる、
石材が露出しているのを観察できます(^^
イメージ 17
推定28号墳
右奥に見えてる建物は磯崎小学校の体育館です。
イメージ 18
推定29号墳
直ぐ背後は公民館の駐車場ですが、公園からは下草が茂り過ぎていて、
接近は少々難あり。。。
イメージ 19
番号不明の古墳。
直径15m程✖高さ2m程度の規模。

磯崎東古墳群は酒列磯崎神社の本殿背後から、
南方向に有る磯崎幼稚園の先くらいまで点在しています。
尚、ホテルから先の道路は道幅が狭い為、
神社の参拝者用駐車場に車を停めてから、
徒歩や自転車などで見学する事をオススメします(^^

川子塚古墳や大穴塚古墳など含め、
この辺りは古墳密集地帯なので、
時間を作ってゆっくり見学し、
見学記の続編が書ければ良いな~。。。と思っております(^^

また、正確な古墳番号が判明次第、随時訂正致しますので、
現段階では「あくまでも推定」という形での紹介となった事を、
ご容赦下さいませ。。。m(_ _)m

:磯崎東古墳群(いそざきひがしこふんぐん):
・所在地:ひたちなか市磯崎町4067 酒列磯崎神社境内及び周辺
・墳形:帆立貝型前方後円墳(消滅)1基、円墳30数基、方墳1基

・規模:直径10~40m、高さ1~4m
    帆立貝型前方後円墳の規模は記載無し
・周濠:周濠を持つものも有り
・埋葬主体部:箱型石棺、横穴式石室、木棺直葬
・出土品:
珠文鏡、大刀、鉄鏃、刀子、人骨、槍、甲冑
     直刀、骨鏃、須恵器平瓶、フラスコ形長頸瓶、
・築造年代:判明している古墳は5世紀後半~6世紀前半
      判明していない古墳の年代は古墳時代中期~終末期
・史跡の指定:市指定

・備考:ホテル建設時、学校建設時に数基破壊
    神社の奥は禁足地の為侵入禁止(
防犯カメラ有り
    地震の際に出来たひび割れ多数により崖近くは注意
    神社参拝者用駐車場有り

皆様こんにちは~(^◇^)

本日は磯合古墳群に属する古墳で、
石室が開口している古墳を紹介します(^^

〇磯合古墳群
円墳9基で構成される古墳群で古墳時代後期の成立と推定される。
現在墳丘が現存しており横穴式石室が開口しているのは赤坂稲荷古墳のみ。
他は神社の基礎になっている墳丘以外は開発により消滅したものと思われる。
イメージ 1
東側道路から見た赤坂稲荷古墳の全景。
中央左寄りに墳丘の一部が見えてますし、
墳頂部には赤坂稲荷の小さな社殿が建てられてますが、
外からは見えないくらい樹木が茂ってます(^^;
イメージ 2
民家と駐車場の間の細い道を進むと、稲荷の鳥居に辿り着きます。
地震の影響でしょうか?鳥居が倒壊しないように、ロープで縛られてました(^^;
ロープの高さ的に、一瞬立入禁止かと思ってしまいました(^^;
イメージ 3
鳥居をくぐって、墳頂部を見上げた感じ。
現存高さは4m程度の模様。。。
赤い鳥居と同じく赤い社殿が目を引きます。
鳥居の所々に風雨による経年劣化が見られますが、
地元の方によって定期的に手入れが成されている様子でした(^^
イメージ 4
墳頂部から見下ろした感じ。
4m以上の高さが有る様に思いました(^^
イメージ 5
墳頂部平坦面いっぱいに社殿が建てられているので、
社殿の全体像は撮影出来ませんでした(^^;
南に向かって開口している石室入口は、
社殿を裏に周り込み、階
段を下りた先に有ります。
イメージ 6
墳頂部社殿裏から見下ろした、石室開口部を覆う屋根。
既に経年劣化でボロボロになってしまってるので、
石室が完全に埋まる前に、修理して頂きたいですね(^^;
イメージ 7
少し窪んだ所の右側から石室の内部が覗ける様になってます。
ココは位置的に元は羨道部だったと思われます。

尚、おそらく羨道部とそれに関係する石材ですが。。。
イメージ 8
墳頂部東隅に石碑の土台と、その周囲に積まれてます。
大穴塚古墳でも見られた石室石材と、同じ石材に見えます。
イメージ 9
石室開口部から内部を。。。
奥は土砂で埋まっており、また、崩壊の危険性がある事の他、
単純に狭い(幅1m前後✖現状高さ50cm位)ので、内部への潜入は諦めました(^^;
無袖型石室だと思われますが、社殿が有る中心部まで達していると推測すれば、
現存石室規模は全長8m前後は有るかと思われます。
また、墳丘部の調査は範囲調査で円墳である事が判明している程度で、
出土遺物などは不明ですが、開口部上部の屋根や、
石室へ至る石段の設置など、古くから開口していた可能性を考えると、
出土品などはとっくに持ち去られているかもしれませんね(^^;
また、可能な限り露出している墳丘封土表面を観察してみましたが、
土器片などは見つけられませんでした。。。

駐車スペースは有りませんのでご注意下さい。
少し距離が有りますが、酒列磯崎神社の駐車場に止めて歩いた方が無難です。
東側道路の道幅は狭く、離合できる場所も無いので路駐は避けた方が良さそうです(^^;

※古墳所在地ですが個人宅敷地内につき、詳細は控えさせて頂きます。
:赤坂稲荷古墳(あかさかいなりこふん):
・所在地:ひたちなか市磯崎町
・墳形:円墳
・規模:直径26.5m✖高さ4m
・埋葬主体部:自然石積無袖型横穴式石室
       (目測)全長8m
・出土品:不明
・築造年代:古墳時代後期
・史跡の指定区分:市指定
備考:頂部に赤坂稲荷の社殿有り
    墳丘は私有地内に残存
    石室内部は土砂で埋没
    駐車スペース無し

皆様おはようございま~す(^◇^)

本日は川子塚古墳の近くに有る、大きな円墳を紹介します(^^

イメージ 1
北側から眺めた感じ。
川子塚古墳近くの住宅内に大きな森が有るので、
直ぐ分かりますが、最初は古墳への到達道が分からず、
少々住宅内を歩き回りました(^^;
イメージ 2
この細い道が古墳への到達道です(^^;
注意しないとスルーしてしまいそうになるくらい。。。
墳丘上に木花咲耶姫神社が祀られているので、
標柱は古墳名では無く、神社名が刻まれてます。
イメージ 3
大穴塚(おおあなづか)古墳
1段目テラス付近に神社社殿が建てられてます。
墳丘直径60m✖高さ10mという、とても大きな規模を誇りますが、
周囲が宅地化されており、それに伴う開発で幾分縮小しており、
なかなか全容が把握し難い古墳です(^^;
前情報では石室が開口しているとのことなので、
参拝しつつ社殿の裏側に行ってみました(^^
イメージ 4
北方から眺めた感じ。
中央奥の横長の大きな石材が天井石と思われます。
内部は完全に埋没。。。
イメージ 5
玄室付近天井石。
自然石積の横穴式石室だそうですが、
調査で全長5m程度の規模のみ判明しているだけで出土品などは不明。。。
直径60mという墳丘規模から考えると、羨道ももう少し長かったと思います。
社殿建築で破壊されたのでは?と思っていると、
社殿を半周にわたって囲む様に土留めしている、
多くの石材がひょっとしたら羨道に関わる石材なのでは?
・・・と思っております。
イメージ 6
露出している天井石を背にして、開口部方向を眺めてみると、
やはり、これらの石材は羨道に使用された物と、
その裏込め石なのでは?と思いますが、如何でしょう?
また、この時に墳丘表土を観察してみましたが、
須恵器や土師器などの土器片はおろか、
埴輪片なども見当たりませんでした。。。
また、下草が繁茂しかかっていたせいか、
表土もじっくりとは観察できませんでしたが、
所々で人頭大の丸石が幾つか見られたので、
ひょっとしたら葺石が有るかもしれませんね(^^
イメージ 7
墳頂部から見下ろした感じ。
結構な高さが感じられるかと。。。
イメージ 8
墳頂部の様子。。。
春めいてきたからか、下草が茂りだしており、
墳丘封土の観察は困難な状況に。。。
平坦面はあまり広く無く、中央部は少々尖った様な印象でした。
イメージ 9
墳頂部から眺めた川子塚古墳の森。
これだけ近くに有るので、川子塚古墳の関係者の墓と思われます(^^

市指定史跡だとは思いますが、現地に何も看板が無いので、
下記の古墳詳細はネットで調べました(^^;

マップ等には木花咲耶姫神社と記載されてますので目印にして下さい。
また、神社に駐車場は有りませんので、川子塚古墳の駐車スペースか、
酒列磯崎神社の駐車場に車を停めるなどして、
徒歩で見学された方が無難です。

:大穴塚(おおあなづか)古墳:
・所在地:ひたちなか市磯崎町 木花咲耶姫神社
・墳形:円墳 3段築成 葺石有り?
・規模:直径60m✖高さ10m
・周堀の有無:不明
・埋葬主体部:自然石積横穴式石室
       全長5m
       玄室長2.1m✖玄室高さ1.8m✖玄室幅1.5m
・出土品:不明
・築造年代:古墳時代終末期
・史跡の指定区分:市指定
・備考:墳丘上に木花咲耶姫神社社殿有り
    昭和15年 測量調査実施
    駐車スペース無し(川子塚古墳駐車スペースから徒歩)

皆様こんにちは~(^◇^)

昨日まで妻の実家が有る、
茨城県北部に行って来ましたので、
ひたちなか市の川子塚古墳の再見学と、周辺の古墳を見てきました(^^

まずは、川子塚古墳から。。。
イメージ 1
ひたちなか市の海岸近くの台地上に築かれた前方後円墳で、
周堀も半分程度が良好に残ってる古墳でしたね(^^
円筒や形象などの埴輪が出土してますが、埋葬主体部は未調査です。。。
今回は前回時間の都合で見れなかった前方部を中心に、見学してきました。
また、後円部頂部及び裾付近で残念な物を目撃したので、
後程写真と共に、掲載します。。。
イメージ 2
前方部南側は民家と接しているせいか、
下草が少なく、墳丘の表土が露出しているので、
葺石の他、円筒埴輪や土師器片などが、
多く散乱しているのを観察できました(^^
上の写真は葺石と思われる丸石ですが、
海岸が近いので、海岸から持ってきた可能性も有るかと。。。
イメージ 3
条線が刻まれた土器片。
厚みから推測して土師器壺でしょうか?
イメージ 4

イメージ 5
突帯が見られる円筒埴輪の破片。
イメージ 6
黒い破片は現代の瓦や鉢ですが、茶色い破片は全て埴輪片や土師器片です。

ここで、前方部をあらかた見学した後、後円部にもう一度登ってみたのですが、
残念な光景を目にするとは・・・
イメージ 7
後円部頂部には屋根付きの小さな石祠が、祀られていたのですが、
ご覧の様に、屋根は人為的な破壊を受けてました。
最初、海岸に近いので強い風や雨などで、
自然的に破壊されたのかと思っておりましたが、
何やら道具的な物で壊された形跡が他にも見られたので、
おそらく心無い輩によって破壊されたと判断。。。
イメージ 8
祠が祀られていた土台もご覧の通り。。。
イメージ 9
卒塔婆が立てられた記念碑も傾き、
土台は重量の有る物で叩いたのか、ヒビ割れてました。。。
卒塔婆も1本は人為的にへし折られてました。。。
非常に罰当たりな行為ですね。。。

また、先ほどの破壊を受けた屋根の下に・・・、
イメージ 10
大きな穴が空いており、
もしかすると盗掘を受けた可能性も有るかと。。。
大きく堀り過ぎたので、屋根を被せた様にも見えます。
穴の周囲には掘った土が散らばってました。
穴の中には落ち葉を詰めて有りました。
スコップなどで無造作に掘ったと思われます。
墳頂部の中心部分からは、北側にズレているので、
埋葬主体部には影響が無いものと思われますが、
もし本当に「何か出てくるかな?」と軽い考えで、
堀ったのであれば、埋蔵文化財保護法違反ですので、
絶対に止めて頂きたい行為です(--メ

※埋蔵文化財保護法違反
 第十三章 罰則 第百九十五条
 重要文化財を損壊し、棄損し、又は隠匿した者は、
 五年以下の懲役若しくは禁固又は三十万円以下の罰金に処する
イメージ 11
また、後円部1段目テラス付近が大きく抉られてましたが、
元々この部分には自然崩壊したと思われる凹みが見られましたし、
樹木が風で倒れた際に更に大きく崩れた可能性も有りますが、
気になったので。。。

ココをご覧頂いている方々の中に、
ひたちなか市教育委員会関係の方がいらっしゃいましたら、
早急に現地調査と確認をお願いしたいです。
残存している周堀の底部分も、モグラの巣でボコボコになっており、
非常に歩き難い状態になってました。
貴重な史跡が心無い輩によって破壊を受けるのは、
私の様な考古学ファンにとって心苦しいですし、
大変悲しい出来事であると思います。

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