関東の古墳&陵墓研究

関東地方(主に埼玉県や茨城県)の古墳や遺跡、神社仏閣等を見学し紹介してます。 個人的に好きな陵墓関係の記事や書籍も紹介してます。

2017年01月

皆様おはようございま~す(^◇^)
本日は奈良旅行で最後に訪れた、
神武天皇陵の見学記を書きます(^^
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神武天皇陵参道入口。
石標柱の左奥に制札が見えますね(^^
見学者用駐車場に車を置いて、ココまで歩いてきました(^^
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制札
制札の版木は、そろそろ交換時期ですかね?(^^;
傷みや腐蝕が多々見られました。。。
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拝所を背にして参道を眺めた感じ。
道幅も広くて距離も長く、手入れも行き届いてます(^^
さすがに初代天皇の陵墓ということで見学者も多く、
私が行った時は観光バスも数台来てました(^^;
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拝所全体像。
宮内庁が管理する1基の陵墓としては、
最大クラスの広さを誇ってます(^^
特別な日には、奥に見える一回り小さな、
鳥居の前まで行けるそうですが。。。

隣接する橿原神宮には時間の都合で行けませんでしたが、
私が「陵墓地形図書庫」や「文久山陵図書庫」で書いた、
『改造し過ぎな例を実際に見れたので、良かったです(^^

「陵墓地形図書庫」や「文久山陵図書庫」の、
神武天皇陵の記事でも書いてますが、
元は神武田(じぶでん)と呼ばれる地域内の水田中に有った、
国源寺方丈堂の基壇だった小さな盛土を、
文久年間に神武天皇御陵として治定し、
直径40m✖高さ3mの円墳に盛土した上で、
鳥居を立てて拝所を整備したと「山陵考」にも記述されているので、
古墳時代の墳墓で無い事は確実ですね(^^;
・・・なので、神社式?参拝(1礼2拍手1礼)を行っている観光客の方々には、
少々違和感を感じてました(^^;

参拝の際に1礼するしないは個人の自由ですし、
思想の自由も有ると思うのですが、
しない人(撮影だけの方々)を睨みつける(凝視)行為は止めて欲しいです(^^;
実際、私が綏靖天皇陵を見学した時も先客が居たのですが、
私が撮影している間、ずっと詰所付近に立ち止まって、
不機嫌そうな表情で見られてました(^^;
見られた以外に特に何かされた訳では無いので、
スルーしてましたが、気分は良く無いですね。。。
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また、ココには書陵部の、
畝傍陵墓監区事務所が有ります(^^
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中には勿論入れませんが、
かなり立派な純和風建築の事務所です(^^
陵墓拝所へは参道入口からも行けますが、
この事務所の前を通るルートでも行けますし、
こちらからの方が近道です(^^

これで奈良県内の陵墓/史跡巡りは終了です(^^
次回からは京都府内の陵墓見学記を書きます

皆様おはようございま~す(^◇^)
本日は綏靖天皇陵の見学記を書きます(^^
第2代目の天皇ですね(^^
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綏靖天皇陵入口。
中央右側奥に制札が見えてますね(^^
当日はレンタカーの返却時間を考慮したので、
綏靖天皇陵と神武天皇陵のみの見学で、
安寧天皇陵懿徳天皇陵の見学は出来ませんでした(泣
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制札
まだ字ははっきり読めますが、
板はだいぶ劣化してきているので、
次はプリント字体の制札になりそうな予感。。。
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制札の有る参道入り口から拝所を眺めた感じ。
右の小屋は詰所です(^^
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陵名を刻んだ石標
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拝所全景。
陵墓本体の墳丘は拝所からは見えません。
「陵墓地形図書庫」の綏靖天皇陵記事でも書きましたが、
発掘調査は実施されていないので詳細は不明ですが、
付近から藤原京造営で削平された古墳群の存在が、
判明している事から、この綏靖天皇陵に治定された墳丘も、
この古墳群に属する古墳の内の1基とされ、
塚山古墳または塚根山古墳と呼ばれる考古学的名称も有ります。
また、綏靖天皇自身も実在性が疑問視されている、
「欠史八代」の人物なので、本人の墓である可能性は、
ほぼゼロと言って良いと思われます(^^;

周囲を少し歩いてみましたが、木立が深く、
墳丘は確認できませんでした。。。

次回は神武天皇陵の見学記を書きまして、
奈良の陵墓・史跡紹介は終了です(^^

皆様こんばんは~(^◇^)
本日は天武・持統天皇陵近くにポツンと有る、
『亀石』と呼ばれる石製構造物の見学記を。。。
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現地に設置されている説明板。
「亀石と呼ばれる石造物は、いつ何の目的で作られたのか
明らかでないが、川原寺の四至(所領の四方の境界)を
示す標石ではないかという説がある。

☆伝説☆
「むかし、大和が湖であったころ、湖の対岸の当麻と、
ここ川原の間に喧嘩が起こった。長い喧嘩の末、
湖の水を当麻に取られてしまった。湖に住んでいた
たくさんの亀は死んでしまった。何年か後に亀を
哀れに思った村人達は亀の形を石に刻んで供養したそうである。
今、亀は南西を向いているが、もし西を向き当麻を睨みつけたとき、
大和盆地は泥沼になるという」
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亀石全体像
大きな自然石の下隅に顔が彫られてます。
写真等で見るよりも、実物はかなり大きく感じます(^^
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顔部分の拡大。
顔が彫られているのみで甲羅などの彫りこみは見られません。。。

愛嬌の有る顔つきですが、伝説の内容は少し寒気を感じる内容ですね。。。(^^;

亀石前の道路は許可車両(農耕車)以外の通行は出来ませんし、
道幅も狭く路駐は不可能とお考え下さい。
駐車場も近くに無いので、レンタサイクルを借りるか、
天武・持統天皇陵見学者用駐車場から歩くか・・・。
・・・・・のどちらかとなります(^^;

皆様おはようございま~す(^◇^)
本日は猿石で有名な、吉備姫王墓の見学記を書きます(^^
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欽明天皇陵の拝所近くに設置されている説明板。
この墓所は文久山陵図をご覧頂くとお分かり頂けるかと思いますが、
欽明天皇陵の修陵後に、築造されているので、
吉備姫王を埋葬したのでは無く、猿石の供養塚として、
作られたのが、「日本書紀」にこの辺りに葬られたとの記載が有る事から、
ココをそのまま『吉備姫王墓』としたのだと思われます。
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制札
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拝所全景。
通常鳥居の手前までは立入不可ですが、
ココは猿石が有るので、鳥居の側まで行けます(^^
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吉備姫王檜隈墓と刻まれた標柱
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右側の2体
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左側の2体
猿石はどの様な目的で、いつ頃製作されたのか等、
詳しい事は未だに不明なまま。。。
詳細は不明ですが、これ以上劣化しない様に、
保存処理(陵墓関係論文集に掲載)が成されてます(^^
まだこの辺りが山村状態だった頃に、
開発で野猿達が多く滅んだ為の供養・・・
・・・・・とも言われてますが。。。
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北側から撮影した王墓内中央付近の塚。
孝徳天皇と皇極(斉明)天皇の生母が吉備姫王と、
伝えられており、年代的に精巧な切石を組み上げた横穴式石室か、
横口式石槨を埋蔵した古墳が築かれる時代なので、
墳丘規模が明らかに小さ過ぎます。。。
ひょっとしたら現在欽明天皇陵の陪塚に指定されている、
「陪塚い号」か「陪塚ろ号」のどちらかが該当するかもしれませんね。
もしくは、檜隈の地域内に有る終末期古墳を充てるか。。。
吉備姫王の生年は不明ですが、没年は643年頃とされているので、
7世紀中頃~後期の古墳は有るでしょうか?
果たして真墓は何処に有るのでしょうね。。。(^^;

次回は亀石を紹介します(^^

皆様こんにちは~(^◇^)
今回は先程書きました、欽明天皇陵の見学に続きまして、
陪塚を紹介します(^^

まずは、コチラ。。。

陪塚い号
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陪塚い号の有る竹林の遠景。
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時間の関係と私有地(果樹園及び畑地)を通らないといけないので、
墳丘を見には行きませんでしたが、竹林の奥にソレらしい高まりが見えます。
経塚古墳と呼ばれている円丘とされています。
地形図を見ると三角形状なので、元は方墳だった可能性も有るかと。。。
欽明天皇陵の後円部に接した竹林の中に有ります。
見学する際は、畑の畦道を進むことになりますので、
付近に所有者が居た場合は、一言断ってから、
立ち入る様にして下さい(^^

陪塚ろ号
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金塚(かねづか/かなづか)古墳と呼ばれている、
一辺35m×高さ3mの方墳です(^^
地形図を見ると楕円形状ですが、元は方墳で周囲が耕作で崩されて、
現在の状態になったと思われます(^^;
出土品は不明ですが、埋葬主体部は南側に開口する、
切石積みの横穴式石室が内蔵されています。
勿論、宮内庁の指定を受けて埋戻しされているので、
石室の内部調査は実施されていません。。。

陪塚は号
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陪塚は号全景。
鬼の俎板と呼ばれる横口式石槨の床面部分となります。
周囲が鉄柵で囲まれ、宮内庁管理である事を示す、
立て看板が立てられてます。
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鬼の俎板近撮全景。
中央に棺を安置したと思われる、棺座が彫りこまれてます(^^
棺座の周囲に見える線刻は、倍塚指定以前に割って転用石材として、
村人達に運び出されようとした痕跡です(^^;
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説明パネル。
床部分が俎板、天井と奥壁部分が雪隠で、元は1基の横口式石槨ですが、
墳丘が有ったのを土取りで崩した結果、現在の様な状態になったのか、
そもそも未完成なのかまでは、記載が有りませんでした。。。
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鉄柵の内側に立てられている看板。
鉄柵といっても簡素な物なのですが、
中には入らない様にしましょう(^^

陪塚に号
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俎板程では無いですが、コチラも鉄柱と鎖で囲まれて、
宮内庁と書かれた看板が立てられてます。
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鬼の雪隠と呼ばれる陪塚に号の全体像。
上部分が元の奥壁で、両側の厚みの有る壁が、
俎板と接する部分、奥が天井部分、
そして地面に接している部分が玄門となります。
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玄門部分拡大。
硬い花崗岩をここまで綺麗に整形できる技術は凄いですね。
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説明パネル。
金属板に彫りこまれた字体の俎板よりも、
コチラの方が読み易いです(^^;

欽明天皇陵の陪塚は全て、徒歩で見学しました。
石舞台古墳近くで借りれるレンタサイクルで、
数名の方々が見学に訪れてました(^^
車での通行や見学は、道が細い為不可能と考えた方が、
よろしいかと思います(^^;
また、欽明天皇陵にも駐車場は有りませんので、
これから見学を考えてる方は、ご注意下さい(^^;
どうしても車で・・・という方は、天武・持統陵の駐車場に止めるか、
石舞台古墳で自転車を借りる等した方が無難です。

次回は猿石で有名な吉備姫王墓を紹介します(^^

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