関東の古墳&陵墓研究

関東地方(主に埼玉県や茨城県)の古墳や遺跡、神社仏閣等を見学し紹介してます。 個人的に好きな陵墓関係の記事や書籍も紹介してます。

2015年07月

皆様おはようございま~す(^◇^)

今回は陵墓地形図集成で、初めてとなる予告編です(^^;

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泉山陵墓総圖
陵墓や火葬塚等が密集している地区の総図が掲載されてます(^^

後日順次紹介していく予定ですが、
ざっと内容を。。。

1.鳥戸野(とりべの)陵
2.後堀河天皇陵 孝明天皇後月輪東山陵 
  英照皇太后後月輪東北陵
3.月輪陵
4.良純親王墓
5.後光厳/後円融 分骨所
  後小松天皇灰塚 慈悲心院墓外四墓
6.淑子内親王外九墓

特に月輪陵は四条天皇陵以下二十五陵灰塚九墓と、
合計39基もの陵墓が一か所に存在する大規模陵墓なので、
ブログの容量を考慮して、月輪陵だけは2~3記事に分けて、
紹介する予定です(^^;
また、鳥戸野陵も手持ちの資料である『陵墓関係論文集 Ⅴ』に、
現地調査の詳細記事が掲載されていますので、
そちらも合わせて紹介していく予定です(^^
これから埋葬者の詳細などをまとめて、
順次紹介していきますので、お楽しみに~(^^

皆様こんにちは~(^◇^)

154陵墓目はコチラ。。。

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贈皇太后澤子中尾陵之圖
陵墓入口と制札が設置されている場所が、
拝所から直角となる位置に有るので、
拝所正面からの見学は難しいです。

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陵墓部分拡大。
台形状の敷地内南西隅に六角形状に生垣を設置し、
その中央付近に楕円形状の円丘が営まれてます。
等高線が多数見られますが高さは1~1.5m前後の模様です。

◎藤原沢子
・生没年:生年不詳~承和6(839)年
・続柄:仁明天皇女御/(父)藤原総継
即位前の正良親王(仁明天皇)に入内しており、
夫の即位に伴い女御宣下を受けた。
天皇との間には時康親王(光孝天皇)や、
人康親王等3男1女をもうけた。
天皇の寵愛が厚く仲睦まじかった様だが、
承和6年に病に罹り回復せぬまま薨去した。
時康親王の即位に伴い、天皇の母である事を以て、
皇太后号を追贈された。

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制札

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陵墓入口から見える拝所と鳥居。
「立入禁止」の看板が見えますね。
本来はココから先は一般人は入れないハズなのですが、
ネットで画像を検索していたら、どうやって撮影したのか分かりませんが、
以下の2枚を見つけました。。。

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立入禁止と書かれた付近から、
ズーム機能で撮影した可能性も有りますが。。。
鳥居の奥、右奥に高い場所に1本の樹木が見える所が、
墳丘の頂部となります。

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背後(撮影者の背後)は民家の裏側なので、
おそらく民家の住人に断わった上での、
撮影なのでしょうけれど。。。
最初にこの写真を見つけた時は、
まさか侵入したのか?と思いました(^^;
私有地ならば一言断りさえすれば、
たいていの古墳や遺跡は見学させて頂けますが、
宮内庁管理の陵墓への侵入は、
罰せられますので、ご注意下さいね(^^;
実際過去に逮捕者も出てますので。。。

:贈皇太后澤子中尾陵:
・測量年:昭和2年
・原図縮尺:1/200
・所在地:京都府京都市東山区今熊野宝蔵町
・面積:825㎡
・陵墓の形態:円丘

皆様こんにちは~(^◇^)

153陵墓目はコチラ。。。

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後白河天皇法住寺陵之圖
地形図には後白河天皇陵のみ記載されてますが、
陵墓の周辺には7基の宮墓が有りまして、
これらを妙法院宮墓地と呼びます。
陵墓等所在一覧には、
後白河天皇法住寺陵 妙法院宮墓地」と、
セットで記載されてますので、
当ブログでも一緒に紹介させて頂きます(^^

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まずは後白河天皇の陵墓拡大。
陵の形状の欄には方形堂としか記載されていませんが、
宮内庁によって実施された修復に伴う調査により、
内部には天皇を象った木彫像が、堂の中央部に安置されており、
その下に板石が有る事から、その下部に遺骨を納めた、
石室が有るものとされています。

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妙法院宮墓地の拡大。
墓塔は全て無縫塔形式を採用してます。

☆後白河天皇
・生没年:大治2(1127)年~建久3(1192)年
・在位期間:久寿2(1155)年~保元3(1158)年
・続柄:(父)鳥羽天皇
・第77代天皇
鳥羽天皇の第6皇子として生まれる。
親王時代は今様(当時の流行歌)に嵌るなど、
自由気ままに過ごしていた為皇位継承の可能性は低かった模様。
しかし同母兄崇徳天皇が異母弟近衛天皇に譲位し、
その近衛天皇が若くして崩御されると、親王を取り巻く環境が変わった。
当初は親王の子守仁親王(二条天皇)が鳥羽院皇后得子の養子となっていた為に、
次期天皇は守仁親王へという声が上がったが、存命中の親王を差し置いて、
子を即位させるのは如何なものかという意見が出たため、
守仁親王までの中継ぎとして親王が立太子しないまま即位した。
即位直後に天皇家・摂関家・武家を巻き込んだ「保元の乱」が勃発するが、
平清盛・源義朝等の活躍により後白河天皇側が勝利した。
乱後は信西が実権を握った為、天皇としては形式的な力しか無く、
また子の守仁親王が二条天皇として即位してからは、
後白河院政派と二条親政派に分裂してしまった。
・・・が、二条天皇が六条天皇に譲位・崩御してから、
力を付け始め日宋貿易や寺社の統制を行う等した。
鹿ケ谷の陰謀により院政を停止させられてしまうが、
これも高倉上皇や平清盛がこの世を去ると徐々に復権した。
宝算66歳

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後白河天皇肖像画。
「後白河院」と記載されているので、
上皇だった時の姿を描いてるものと思われます。

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制札
妙法院宮墓地に埋葬されている方々も、
セットで記載されてます(^^

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後白河天皇法住寺陵全景。

次は宮墓地に埋葬されている方々の詳細を。。。

◎常胤親王
・読み:ジョウインシンノウ
・生没年:天文17(1548)年~元和7(1621)年
・続柄:(父)伏見宮邦輔親王
正親町天皇の猶子を経て16歳で妙法院に入り門跡を継承した。
天台座主を務めると共に、方広寺釣鐘事件で連座して、
蟄居となった興意親王に代わって方広寺別当となった。
享年73歳。

◎堯然親王
・読み:ギョウゼンシンノウ
・生没年:慶長7(1602)年~寛文元(1661)年
・続柄:(父)後陽成天皇
後陽成天皇の第4皇子として生まれる。
1歳で常胤親王の付弟となって妙法院に入り、
10歳で親王宣下を受けた。
3年後に得度して門跡を継承している。
3度天台座主に任じられている。
能書家で茶道や絵画にも優れていた。
享年59歳

◎堯恕親王
・読み:ギョウジョシンノウ
・生没年:寛永17(1640)年~元禄8(1695)年
・続柄:(父)後水尾天皇
後水尾天皇の第7皇子として生まれる。
7歳で堯然親王の付弟となって妙法院に入り、10歳で親王宣下を受ける。
その時に門跡も継承している。
3度天台座主に任ぜらた事も有り、仏学に優れており、
『堯恕座主親王日次記』という日記を残している。
享年55歳

◎堯延親王
・読み:ギョウエンシンノウ
・生没年:延宝4(1677)年~享保3(1719)年
・続柄:(父)霊元天皇
霊元天皇の第5皇子として生まれる。
9歳で堯恕親王の付弟となって妙法院に入った後親王宣下を受けて、
門跡を継承している。
天台座主に任ぜられ、徳川家康の百回忌や家綱の33回忌には導師を務めた。
享年42歳

◎堯恭親王
・読み:ギョウキョウシンノウ
・生没年:享保2(1717)年~明和元(1765)年
・続柄:(父)霊元天皇
霊元天皇の第18皇子として生まれる。
12歳で親王宣下を受け、妙法院に入って出家した後に、
門跡を継承した。
4度天台座主に任ぜられた他、能書家であった模様。
享年48歳

◎真仁親王
・読み:シンニンシンノウ
・生没年:明和5(1768)年~文化2(1805)年
・続柄:(父)閑院宮典仁親王(慶光天皇)
20歳で桃園天皇の猶子を経て親王宣下を受けた後、
妙法院にて出家して門跡を継承した。
天台座主に任ぜられ、詩歌画にも秀でていた。
享年37歳

◎教仁親王
・読み:キョウニンシンノウ
・生没年:文政2(1819)年~嘉永4(1851)年
・続柄:(父)閑院宮孝仁親王
生後間もなく光格天皇の猶子となり、11歳で親王宣下を受け、
妙法院にて出家して門跡を継承した。
歴代の門跡と同じく天台座主に任ぜられた。
享年32歳

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宮墓地正面入口から見た感じ。
後白河天皇陵もコチラも平日のみ参拝できるそうです(^^

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法住寺陵の北側に有る1基。
木製の柵で囲まれた中に無縫塔が有ります。
門が無く、完全に囲まれているのは珍しいと思います(^^
右隣に見えてる建物は法住寺陵の方形堂です。

:後白河天皇法住寺陵 妙法院宮墓地:
・測量年:昭和3年
・原図縮尺:1/250
・所在地:京都府京都市東山区三十三間堂廻り
・面積:2452㎡(総面積)
・陵墓の形態:方形堂(後白河天皇法住寺陵)
       無縫塔(妙法院宮墓地)

皆様こんにちは~(^◇^)

151、152陵墓目はこちら。。。

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六条天皇清閑寺陵
高倉天皇後清閑寺陵之圖
北東から南西方向に向かって伸びる細長い陵域内に、
2基の陵墓が営まれてます。

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清閑寺陵(六条天皇)の陵墓拡大。
方形の白塀で囲まれた内部に、
鳥居と円丘が有ります。
縮小版の地形図集成なので、インクが滲んでしまっていて、
少々見難いですが、元の大版サイズだと、
滲みも無く見易かったのを覚えてます(^^

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後清閑寺陵(高倉天皇)の拡大図。
方形の白塀内に、西側に陵墓本体の方丘(方墳)、
北東側に供養塔として建てられた宝篋印塔が有ります。

☆六条天皇
・生没年:長寛2(1164)年~安元2(1176)年
・在位期間:永万元(1166)年~仁安3(1168)年
・続柄:(父)二条天皇
・第79代天皇
生後7ヶ月で親王宣下・立太子し、
同日中に父二条天皇の譲位を受けて即位した。
史上最年少の即位だったが、これは後白河上皇の皇子の、
憲仁親王(高倉天皇)を擁立しようとする勢力を抑え込む為に、
二条天皇が講じた措置であったが、幼少の天皇が執政できるはずもなく、
即位後間もなく父上皇が崩御したこともあって、
3歳の時に祖父後白河上皇の意志により叔父にあたる憲仁親王へ譲位した。
これも史上最年少の上皇だった。
その後は元服を行うこともなく赤痢で崩御した。
宝算13歳。

イメージ 4

六条天皇肖像画。
歴代最年少の天皇らしく、幼ない顔立ちですね(^^;

☆高倉天皇
・生没年:応保元(1161)年~治承5(1181)年
・在位期間:仁安3(1168)年~治承4(1180)年
・続柄:(父)後白河天皇
7歳で甥にあたる六条天皇の譲位を受けて即位した。
これは父後白河院が皇子の二条天皇と対立していた為に、
その皇子である六条天皇を退位させたことによるものだったが、
高倉天皇の母滋子は時の権力者であった平清盛の妻である、
平時子の妹という平氏の影響もあったとされる。
即位後は父院が院政を再開し、清盛と共同して政を進め、
清盛の娘である徳子が高倉天皇に入内した。
しかし母滋子が薨去すると後白河院と清盛の関係は悪化し、
清盛は後白河院を鳥羽離宮に幽閉するクーデターを起こす。
高倉天皇は清盛の意向を汲み言仁親王(安徳天皇)に譲位した。
譲位後は父が幽閉されていることもあり院政を始めるが、
間もなく病に倒れ回復することなく崩御した。
宝算20歳

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高倉天皇肖像画。
こちらも歴代の天皇に比べると、
六条天皇程ではありませんが、
少々幼い印象を受けますね(^^;

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制札

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奥に見えるのは高倉天皇の陵墓です。
六条天皇の陵墓はかなり奥まった処に有るので、
制札が立てられている拝所からは見え無い様です。

しかし画像を検索していたら、こんな画像を見つけました(^^

イメージ 8

右斜め上方に小さく白塀と門が見えますが、
コレが六条天皇の陵墓です(^^

:六条天皇清閑寺陵 高倉天皇後清閑寺陵:
・測量年:昭和3年
・原図縮尺:1/500
・所在地:京都府京都市東山区清閑寺歌ノ中山町
・面積:(陵域総面積)9889㎡
・陵墓の形態:円丘/六条天皇
       方丘・宝篋印塔/高倉天皇

皆様こんにちは~(^◇^)

昨日から1泊で那須塩原市に行ってました(^^
夏休み期間という事もあり、子供連れ家族で賑わってました(^^;
2日目の今日は、数十年振りに日光東照宮に行く事になったので、
私は徳川家康と家光公の墓所参拝を優先して、
外国人観光客と課外学習の小学生児童達に揉まれながら、
参拝してきました~(^^;

まずは知る人ぞ知るコチラ。。。

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輪王寺宮墓地入口。
内部へは立ち入り禁止措置が取られていたため、
残念ながら墓塔の有る墓域までは行けません(泣
左奥に駒札が見えますね(^^
※内部の様子は陵墓地形図書庫の輪王寺宮墓地をご覧下さい☆

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徳川家光公廟所入口の門。
内部へは非公開の為入れません。
ちなみに墓塔である宝塔は、
写真右上の石段を上がった先に有ります。
いつの日か拝観可にして貰いたいです(^^

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説明パネル。
建物自体が重要文化財の指定を受けてます。
尚、家光公廟所が有る手前の法堂(日光山大猷院内)で、
徳川家康公400年御遠忌記念として、
家康公の御位牌が2016年11月30日まで特別公開されてますので、
興味のある方は日光へGO

そしてラストは200段余りの石段を昇った先に有る、

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徳川家康公の墓所
コチラは石段を上がって直ぐの光景。

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説明板。
最近までこの墓所も非公開だったそうです。

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宝塔近撮。
巨大な宝塔に圧倒されます(^^
墓所正面以外は墓塔の周囲に散策路が設置してあるので、
ゆっくり拝観できます(^^

尚、埋葬主体部についての記載は有りませんが、
2代秀忠以降の徳川家将軍の墓は、
八角形基壇の下1~2m付近に、
切石を積み上げて組んだ石室が有り、
その内部に胡坐の姿勢で遺体が納められた、
銅製や木製の棺が安置されていた()ので、
コチラもその様な内部主体だと思われます(^^

※鈴木尚著 「骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと」東京大学出版会

雨が降った後は非常に滑り易いので、
コチラの墓所へ行かれる際は、
十分気を付けて下さい(^^;

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