皆様こんばんは~(^◇^)
25陵墓目となる陵墓はコチラ。。。
宗良親王墓之圖
陵墓部分拡大。
方形の敷地内に、小さな方形区画が有り、その中に宝篋印塔が建てられてます。
〇宗良親王
「むねよししんのう/むねながしんのう」
・生没年:応長元(1311)年~元中/至徳2(1385)年
・後醍醐天皇皇子
歌道の家であった二条家出身の母から生まれた事により、
幼い頃から和歌に親しんでいた。
1330年元弘の変により捕えられ讃岐国に流罪となる。
建武の新政が崩壊し南北朝の対立が本格化すると還俗して宗良を名乗り、
大和国吉野(奈良県)の南朝方として活躍するようになる。
1374年頃から私的なものとして、
南朝側歌人の和歌を集めた和歌集の編集を開始したが、
長慶天皇に命じられ1381年に「新葉和歌集」を完成させる。
宮内庁管理の墓が静岡県浜松市に有るが、
長野県大鹿村大河原釜沢にある宝篋印塔の他、
岐阜県中津川市にも墓が有る。
・生没年:応長元(1311)年~元中/至徳2(1385)年
・後醍醐天皇皇子
歌道の家であった二条家出身の母から生まれた事により、
幼い頃から和歌に親しんでいた。
1330年元弘の変により捕えられ讃岐国に流罪となる。
建武の新政が崩壊し南北朝の対立が本格化すると還俗して宗良を名乗り、
大和国吉野(奈良県)の南朝方として活躍するようになる。
1374年頃から私的なものとして、
南朝側歌人の和歌を集めた和歌集の編集を開始したが、
長慶天皇に命じられ1381年に「新葉和歌集」を完成させる。
宮内庁管理の墓が静岡県浜松市に有るが、
長野県大鹿村大河原釜沢にある宝篋印塔の他、
岐阜県中津川市にも墓が有る。
制札
陵墓全景。
拝所から墓所までの道がほぼ直角に曲がってるせいで、
拝所からは墓所の姿が見えない様です。
墓所部分。
この写真が撮れるということは、拝所から先に入れるという事でしょうか?(^^;
:宗良親王墓:
・測量年:昭和4年
・原図縮尺:1/250
・所在地:静岡県浜松市北区引佐町井伊谷 井伊谷宮内
・陵墓の形態:宝篋印塔
・面積:2020㎡
・父:後醍醐天皇