皆様こんにちは~(^◇^)
30陵墓目はコチラ。。。
宇治山田陵墓参考地之圖
伊勢市にある伊勢神宮からほど近い所に有る、
陵墓参考地で該当御方を倭姫命とする陵墓です。
『事典 陵墓参考地』や『陵墓要覧』にも、
「現況:崩壊シタル円丘」との記述がある通り、
一見するとどこが該当墳丘なのか分かりませんが、
拝所へ至る道筋の、石材が並べられた部分に近接する、
この高さ1.5~2m前後のこの人工丘が該当部分だと思われます。
〇宇治山田陵墓参考地
・候補者:倭姫命(垂仁天皇皇女)
・等級:二級
・形状:円墳
・所在地:三重県伊勢市倭町
・等級:二級
・形状:円墳
・所在地:三重県伊勢市倭町
☆事典 陵墓参考地
・該当御方:垂仁天皇皇女倭姫『命』
・所在地:三重県宇治山田市倭町
・墳形:円丘
・地況:崩壊シタル円墳
・考証意見:第二類
・備考:『波多野氏調査報告
横穴式石室の退化した石室
古墳時代後期の前半とする』
・該当御方:垂仁天皇皇女倭姫『命』
・所在地:三重県宇治山田市倭町
・墳形:円丘
・地況:崩壊シタル円墳
・考証意見:第二類
・備考:『波多野氏調査報告
横穴式石室の退化した石室
古墳時代後期の前半とする』
〇倭姫命(ヤマトヒメ)
・生没年不詳
・続柄:(父)垂仁天皇 (母)皇后日葉酢媛命
垂仁天皇の第四皇女として生まれ、豊鍬入姫命(崇神天皇皇女)の、
跡を継いで天照大神の祭祀を執り行った。
始め皇女は都のある大和国内で大神を祀っていたが、
大神の神託により伊勢へ遷御することとなり、
伊賀・美濃等を経て最終的に伊勢にて大神を祀った。
ちなみにこれが伊勢神宮の始まりと言われている。
伊勢に移ってからは甥孫の日本武尊の東征の際に、天叢雲剣を授けている。
・生没年不詳
・続柄:(父)垂仁天皇 (母)皇后日葉酢媛命
垂仁天皇の第四皇女として生まれ、豊鍬入姫命(崇神天皇皇女)の、
跡を継いで天照大神の祭祀を執り行った。
始め皇女は都のある大和国内で大神を祀っていたが、
大神の神託により伊勢へ遷御することとなり、
伊賀・美濃等を経て最終的に伊勢にて大神を祀った。
ちなみにこれが伊勢神宮の始まりと言われている。
伊勢に移ってからは甥孫の日本武尊の東征の際に、天叢雲剣を授けている。
制札と陵墓近景。
金属製扉の奥、左側に見える石材列の、左側の茂みが該当墳丘の一部だと思われますが、
現状では鬱蒼として判然としない様です。
考証意見は第二類(第一類に次ぐもので陵墓の疑いを否定し難いもの)で、
誰かは特定できないけれど陵墓である事は確実とされてますが、
「確定」では無いのが微妙な所ですね。。。(^^;
板石を積んだ横穴式石室が過去に検出されてる様なので、
考古学的見地からは倭姫の時代とは合致しないと思われます。
今後宮内庁による詳しい調査を待ちたいです。
:宇治山田陵墓参考地:
・測量年:昭和4年
・原図縮尺:1/250
・所在地:三重県伊勢市倭町
・陵墓の形態:円丘
・面積:1637㎡
・該当御方:垂仁天皇皇女 倭姫命
・考証意見:第二類
・備考:崩壊した円墳で板石積横穴式石室埋蔵の伝承有り