関東の古墳&陵墓研究

関東地方(主に埼玉県や茨城県)の古墳や遺跡、神社仏閣等を見学し紹介してます。 個人的に好きな陵墓関係の記事や書籍も紹介してます。

2014年04月

皆様こんにちは~(^◇^)
 
今日は新しい書棚が届いたので、クローゼットの中を整理していたのですが、
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奥から何やらファイルが3冊程出てきたので、中身を見てみたら。。。
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吉野ヶ里遺跡から墳丘墓が発掘された当時の記事や、
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大阪府の峯ケ塚古墳を発掘した際に出土した、
三叉形垂れ飾りが大きくカラー写真で掲載された記事、 
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見瀬丸山古墳の石室に地元の子供達が侵入して、
親が撮影した写真が世間や学会を大いに賑わせた当時の記事、
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西殿塚古墳に初めて学術的な調査が入った時に、
特殊器台の破片が出土した当時の記事など、
自宅に居ながら、図書館にでも行った様な気分になる程、
たくさんの切り取り記事が出てきました(^^
最も古い記事は平成元年の物が十数枚ほど有りました。
 
あと、こんな物も・・・
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昭和天皇が崩御して昭和の年号が使われた、
最後の昭和時代の新聞と、平成の年号になって、
初めての新聞が、丸ごと保管されてました(^^
少々折り目が付いているのと、
一部劣化して茶色くなってしまってますが、
破損などは特に無く、保存状態は良好です(^^
 
あと、撮影するのを忘れてしまったのですが、
唐古・鍵遺跡から、楼閣の絵が線刻された土器片が、
見つかった当時の記事や、
藤の木古墳が未盗掘の状態で発見という記事や、
ファイバースコープを使って石棺の中の様子を書いた記事、
開棺作業や次々と出てくる豪華な副葬品の様子を書いた記事などが、
大量に保管されてました(^^;
 
せっかく新しい書棚を購入したので、
今後もしっかりと保存していこうと思ってます(^^

皆様こんにちは~(^◇^)
 
今回は谷中霊園内にあって、
一般人の見学が不可能な徳川将軍家の墓所を紹介します。
常憲院霊廟(じょうけんいんれいびょう)です。
直ぐ横にお堂と勅額門が有りますが、
どちらも遠くから見るだけで内部には入れません。
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 勅額門の遠景。 
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 勅額門の近景。
この様に入口が無い金属製の柵で囲まれていて、
侵入が出来ない様になってます。
勅額門は1945年の東京大空襲により焼失してしまったので、
今現在見られる門は再建された物です。
 
この霊廟内に埋葬されている方々は以下の通り。
 
・常憲院(5代将軍、徳川綱吉)
以下合祀
・有徳院(8代将軍、徳川吉宗)
・温恭院(13代将軍、徳川家定)
・天璋院(家定正室、篤姫)
・孝恭院(徳川家基 10代家治長男)
大河ドラマで一躍有名になった、
篤姫の墓所もこの中に有ります(^^
また、10将軍家治の長男である徳川家基は、
11代将軍として期待されていましたが、
18歳の若さで急死してしまった人物だそうです。
鷹狩りから帰りに寄った寺で、突然苦しみ出し、
3日後に亡くなってしまった事から、毒殺説が浮上してます。 
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 霊廟の名前は「常憲院霊廟」ですが、
設置されている説明板の内容は、篤姫の墓所中心です(^^;
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 コレが篤姫の宝塔です(^^
墓所の横には篤姫の好物だった、
枇杷の木が植えられてるそうです。 
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 霊廟近くの道路から見た常憲院霊廟の外観。
高さのある石垣で囲まれていて、内部の様子は分かり難いです。
一瞬城跡の残存石垣かと思ってしまいました(^^; 
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 道路から宝塔の一部が見えますが、
コレは調べたところ、徳川家基の宝塔だそうです(^^ 

次は
厳有院霊廟(げんゆういんれいびょう)
 コチラには以下の3方が埋葬されてます。
 ・厳有院(4代将軍、徳川家綱)
・浚明院(10代将軍、徳川家治)
・文恭院(11代将軍、徳川家斉)
駅から近いので、近いうちに勅額門だけでも見学しに行こうと考えてます♪
ここ最近は歴史ブームのせいか、見学者が結構いらっしゃる様で、
平日にもかかわらず、多くの方が慶喜公墓所や、
この霊廟を見学されてました(^^
ただ、増上寺と違って内部に入れないのが残念です(^^;

:常憲院霊廟 厳有院霊廟:
・所在地:東京都台東区上野桜木1-16-32 寛永寺第二霊園
・形態:徳川将軍及び奥方の墓所

・形状:石造多宝塔、青銅製多宝塔
・史跡の指定:都指定
・備考:内部の拝観不可
    駐車スペース無し
    常憲院霊廟(霊園北西側)、厳有院霊廟(南東側)

皆様こんばんは~(^◇^)
 
・・・では、本日は前回容量の関係で掲載しきれなかった、
徳川家墓所と慶喜公墓所を紹介します(^^ 
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まずは、赤線で囲った部分の墓所から。 
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コチラは正面口が分からなかったので、
線路沿いにある奥方墓所から撮影しました(^^;
立派な規模の宝筐印塔や五輪塔が見えますね。
ココの区画は線路沿いの区画よりも、
塀の高さが少し高めに造られているので、
内部の様子が分かり難いです。
年代の古い墓石が集中する区画と、
比較的新しい墓石と小規模(位の低い子女?)な墓石が、
集中する区画とに分けられている様です。 
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 続きましては、徳川将軍家で唯一の、
宝塔が無い、仏式の墓を採用している、
徳川慶喜公及び奥方&子女の墓所を(^^
 
上の案内図ですと、乙5&6号区画と、
乙10号区画の間に位置してますね。
灰色の線で示された道筋を辿って行ったハズなのですが、 
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 この様に周囲は墓石だらけなので、少々迷ってしまいました(^^;
※谷中霊園内の墓石は、様々な規模や形状の物がある上、
 運が良いと著名人の墓所に出会える事も有るので、
 散策するだけでも面白いです♪
  
ココは何度も来られている方は別として、
私の様に初めて見学する方は、
直ぐ迷うと思われます(^^;
 
・・・ので、下にこの間を通って真っ直ぐ行くと、
慶喜公墓所の横側に出られる通路を掲載しておきますので、
今後行かれる予定の方は参考にして頂くと幸いかと思います(^^ 
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 乙6号1側と乙5号1側という標柱の間の通路を通ります。
この通路を真っ直ぐ50m程進むと、 
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 この様な標識が出てきます(^^
この標識の背後の壁の向こうが慶喜公墓所となります。
この標識の右側方向に進んだ所に、
裏口の様な鉄格子が嵌った入り口が有り、
そこから、慶喜公&奥方墓が横から見れます。
 
標識の文字の周囲に矢印が書いてありますが、
2通りの行き方で正面に行けるというお知らせで、
 
・左方向は慶喜公墓所の石塀に沿って辿り着く方法
(細くて足元が滑りやすいが早く辿り着く)
・右方向は、霊園内通路を通って辿り着く方法
(道幅は広いが少し遠回り)
 
・・・私はショートカットの左側から行きました(^^ 
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 コチラが徳川慶喜公墓所の正面となります(^^
2つの葵の御紋が目を引きますね~(^^
頑丈な鍵が掛けられているので、
内部に入ることは出来ませんが、
正面付近は柵で囲まれてるだけなので、
内部の様子が分かり易くて良いです♪ 
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 正面扉付近に設置されている説明板。
東京都指定史跡なんですね(^^;
将軍家の墓所なので、てっきり国指定かと思ってました(汗
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 正面には慶喜公の功績を記した石碑が有り、
その背後に、左が慶喜公、右が奥方の墓となります。
徳川将軍に見られる宝塔では無く、
基壇の上に石造円墳が構築されてます。 
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 徳川慶喜公事績顕彰碑を、
望遠モードにして撮影したのが上の写真です(^^
 
ココを訪れた時は自分1人だったのですが、
この顕彰碑を読み終えてふと周囲を見ると、
7名程の見学者が居ました(^^;
 
墓所内部には、慶喜公&奥方墓だけでなく、
親族の墓が多数一緒の敷地内に埋葬されてます。
可能な限り撮影してきましたので、掲載しておきます(^^ 
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規模が極端に小さいので、コレは子供の墓でしょうか? 
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慶喜公&奥方の墓を取り囲むような配置で、
ズラリと石造りの円墳が並ぶ様は圧巻でした(^^

最後に谷中霊園内に埋葬されていて、
私が把握してる限りの人物名を掲載しておきます。
※近くにある天璋院篤姫や徳川綱吉、吉宗公の墓所は、
 別記事にて掲載したいと思います(^^
 
・長昌院(6代将軍家宣実母)
・蓮浄院
・安祥院
・浄観院(12代家宣正室)
・高厳院(4代家綱正室)
・貞明院(徳川家慶第6女)
・證明院(9代家重正室)
・宝樹院(4代家綱生母)
・澄心院(13代家定継室)
・心観院(10代家治正室)
・本寿院(13代家定生母)
・実成院(14代家茂生母)
・浄円院(8代吉宗生母)
・蓮光院(10代家治側室)
・杏林院(12代家慶生母)
・至心院(9代家重側室・10代家治生母)
・その他子女45霊合祀
・徳川慶喜及び奥方&子女(谷中霊園内)

:谷中霊園内徳川家墓所:
・所在地:東京都台東区谷中7-5-24 谷中霊園
・形態:徳川家将軍及び子女の墓所

・形状:石造円墳(徳川慶喜及び奥方&子女)
    五輪塔、宝篋印塔、石造宝塔(上記以外の墓所)
・史跡の指定:都指定
・備考:駐車場/駐車スペース無し(駅近の為)

皆様こんにちは~(^◇^)
 
本日は昨日散策してきました、
谷中霊園内の徳川家奥方及び子女の、
墓所巡りの様子を書いていこうと思います。
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 谷中霊園の大まかな案内板を。
徳川家墓所は園内2箇所に分かれていて、
右下の方に徳川慶喜公及び奥方&子女の墓域が有ります。
徳川慶喜墓所はまた次回とさせて頂きまして、
今回は将軍の奥方(正室・側室・生母・継母)と、
それら子女の墓所を紹介したいと思います。
これらの墓所は、寛永寺が管理しており、
増上寺の様に内部に入っての見学は出来ません。
この谷中霊園の近くには、大河ドラマで人気を博した、
天璋院篤姫の墓所も有りますが非公開という状態。。。(^^; 
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まずは、線路側という最も騒々しい場所に葬られている方々を。 
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 入り口は施錠されていて内部には入れませんが、
石塀の高さが腰より少し下くらいの高さしか無いので、
内部の様子は分かり易いです(^^ 
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内部には、将軍と同じ様な形状の、
宝塔や五輪塔、宝筐印塔などが等間隔で配置されてます。
内部には入れないので、どの宝塔が誰の墓塔なのかは、
分かりませんが、墓塔や基壇の規模が大きい物は、
地位の高い人物の物でしょうね。
 
尚、この区域の墓所は戦後荒廃した後に行われた、
改葬の際に学術調査が実施されていて、
埋葬者の人骨の他、白粉はけなどの化粧道具や、
金属のフチが付いた眼鏡などの日用品が発掘されてます。
棺は銅製の蓋が付いた座棺の他、甕棺に木製蓋の組み合わせだった模様です。 
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 先ほどの墓塔群の隣の敷地には、
塀で囲まれてない、4基の奥方墓が有ります。
 
※正面から撮ると他の墓が入って見難いので、
 横から撮影してます(^^;
 
尚、この谷中霊園に埋葬されている方々は、
判明してる分だけ「その2記事」で書こうと思います(^^

:谷中霊園内徳川家墓所:
・所在地:東京都台東区谷中7-5-24 谷中霊園内に散在
・形態:徳川家近臣者墓所

・墓の形状:石造五輪塔、石造多宝塔、石造宝塔
・史跡の指定:都指定
・備考:駐車場有り(コインパーキング利用)

皆様こんにちは~(^◇^)
 
今日は天気が良かったので、
昨日から上野の東京国立博物館で開催されている、 
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キトラ古墳壁画展見学と、博物館裏側に広がる谷中霊園内に有る、
徳川家墓所の見学に行ってきました(^^
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小さいですが奥に行列ができてるのがご覧頂けますでしょうか?
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チケットを購入するのに10分程待ち
館内&展示ブースに入るのに、40分程待たされ
そして壁画の実物を見れたのは30秒程という(✕_✕)
身を乗り出してじっくり観察・・・は出来ませんでした(泣
私の前に居た方が顔を近づけてじっくり見ようとしていたら、
職員の方に「お気持ちは分かりますが、後ろがつかえて大変混雑してるので、
先にお進み下さい」と、半ば強引に前に進まされていて気の毒でした(^^;
出口付近で職員の方に、待ち時間の割に見学時間があまりにも短い事等の、
苦情を訴えてる方が何人も居ました。
 
朱雀と白虎と玄武は、遠目からでも分かるくらい、はっきり残存してましたが、
青龍は赤い舌が出ている口の部分が分かるだけで、
体部分は土泥で覆われていて判然としませんでした。
また、北壁に描かれていた、子・丑・寅の3枚の絵も、
それぞれ展示されていましたが、子は何処に描かれてるか判然とせず、
遠目には「古い漆喰の板」に見えました(^^;
売店で購入した壁画の書籍を見た方が、分かりやすいかと思います。
 
実物展示の前に、複製物やキトラ古墳の写真パネル、
キトラ古墳の模型、石室内から出土した玉類や太刀の他、
鉄地銀張金象嵌帯執金具という、
素晴らしい象嵌が施されている遺物もあったので、
じっくり見ようと立ち止まっていたら、歩きながら見る様に、
職員の方から注意されてしまいました(泣
 
せっかくの貴重な遺物の展示なので、
もっとゆっくり見学できるような配置や、
広めに通路の幅を確保するなど、どうにかならなかったのかな?と。。。
 
開催2日目で平日昼間でこの混みようですから、
ゴールデンウィーク中や最終日はもっと凄いでしょうね(大汗 
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せっかくなので、館内特設売店で、
壁画の特大カラー写真や、壁画発見当時の様子、
壁画の保存作業写真などを掲載した、
書籍(2000円)と白虎のA4クリアファイルを購入してきました(^^
 
実物はゆっくり見れなかったので、写真ですが、
時間を掛けてじっくり見ようと思います

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