関東の古墳&陵墓研究

関東地方(主に埼玉県や茨城県)の古墳や遺跡、神社仏閣等を見学し紹介してます。 個人的に好きな陵墓関係の記事や書籍も紹介してます。

2013年12月

皆様こんにちは~(^▽^)
 
今年も残すところ数日となりましたね~。
来年度は今までよりも古墳や史跡の見学ペースを、
上げられれば・・・と思っております(^^;
 
さて、本年度ラストの更新は、
吾妻古墳石室天井石玄門石が保存されている、
コチラの城跡公園です。 
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 駐車場から見た復元土塁と堀(白い車の先の柵の中)
写真左端に吾妻古墳の天井石が保存されてますが、
ご覧の様に雨ざらし状態です(^^; 
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壬生城址(みぶじょうし)公園の現在の様子
駐車場の他は、土塁が左右に1つづつと、
堀が一部復元されている以外は、
タイルが貼られ、公民館や資料館(この時は月曜だったので休館)、
図書館が建てられていて、町民の憩いの場となってます。 
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 復元された堀の一部。
綺麗に復元され過ぎていて、当時の面影が全く有りません。。。 
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 壬生城本丸址の説明板
「改修前の城址」と書かれたモノクロ写真が掲載されてますが、
堀や土塁も現在の様では無く、
この写真の通りに残しておいて欲しかったです。
説明板によると、本丸・二の丸・三の丸・東郭・下台郭・正念寺郭の、
6つの郭から成っていて、天守や櫓といった建物は無かった様です。 
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 資料館が閉まっていたので、
吾妻古墳の玄門石/天井石を見学&撮影した後、
公園内を歩いていたところ、何やら古めかしい石柱を見つけました。 
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この石柱は壬生領榜示杭と呼ばれる物で、
江戸時代に領地の境界のしるしとして立てられた、
石や木の杭の事だそうです。
 
:壬生城(みぶじょう)址公園:
・史跡の形態:中世城郭跡 平城
・現況:土塁✖2、堀(一部)
・史跡の指定区分:町指定史跡
・備考:吾妻古墳石室天井石&玄門石保存
    駐車場有り(無料)

皆様こんばんは~(^▽^)
 
本日は昨日紹介しました、吾妻古墳の玄門石と天井石を紹介します(^^ 
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 まずは、玄門石から。。。
吾妻古墳から車で15~20分程の距離にある、
壬生城址公園内に移設保存されてます。 
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 説明板。
玄門とは棺を安置する玄室の入り口に設置された門の事で、
吾妻古墳の玄門は巨大な凝灰岩を刳り抜いて造られてます。
説明板とその他資料から、壬生藩主鳥居忠宝によって、
庭園等の石材として利用されていた様ですが、
その後地元民の努力で現地に移設&保存に至ったとのこと。
朱が塗られた真っ赤な玄室を見てみたかったです。。。 
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玄門石に近付いてみましょう
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今のように電動工具が無かった時代なのに、凝灰岩という非常に硬い石を刳り抜くという、
高度な技術力を見れて感激しました。
 次は天井石ですが、コレは城址公園の駐車場奥に安置されてます。
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石材に四角い枠線の様な物が見えることから、玄室の天井石と思われます。
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説明板には「下野国古墳図誌」という資料の中に掲載されている、
吾妻古墳の墳丘及び石室の絵図が掲載されてます。
説明板にも書かれてる通り、ほんの少しですが、
赤色塗装(朱?ベンガラ?)が見られます。
出来れば野ざらしでは無く、覆屋を作った中に保存して欲しいですね。
赤色塗装が完全に無くなってしまうのも時間の問題だと思われますので。。。
 
玄門石は公民館の入り口側に、
天井石は駐車場部分にそれぞれ安置されていて、
城址公園の開館時間内は、自由に見れます。
町営の公園なので駐車場も無料です
吾妻古墳の見学の際にセットで見学されると良いと思います(^^

皆様こんにちは~(^▽^)
 
前方部に社殿が載った壬生愛宕塚古墳に続きましては、
壬生町にある古墳では、最も規模が大きい古墳の登場です。 
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墳丘遠景 
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吾妻(あづま)古墳
墳丘全長128m、周堤まで入れた長さが170mに達する巨大な墳丘を持ちます。 
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墳丘の側には、昭和初期に国の指定を受けた頃に建てられたと思われる、
古びてるけれども威圧感さえ感じる、古墳名を刻んだ立派な石柱が有ります。 
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周堤上から見た墳丘の様子。
この古墳もこの地域特有の構造を持ってます。
周堤の高さも結構な物がありますが、基壇の高さもかなり有るので、
遠目にはとてつもなく巨大な古墳に見えます。
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 基壇上から見た後円部から前方部を眺めた感じ。
墳丘上の樹木が多いので、少々見難いですが、
墳丘の側に行くと、巨大さに圧倒されます。。。 
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 後円部頂部の様子。
この古墳は南に前方部を向けていて、埋葬主体部も前方部先端に有るという、
非常に珍しい構造を持ってます。
後円部にも埋葬主体部が有る可能性が指摘されてますが、
現在に至るまで後円部の調査は行われてません。 
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前方部頂部の様子。
中央に紅白の棒が立てられている辺り、最近まで何らかの調査が行われていた様です。
今は石室は存在しませんが、棒が立てられている辺りに、
巨大な凝灰岩製の一枚石で構築された奥壁が存在した様です。 
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前方部頂部から後円部頂部方向を見た感じ。
樹木が多くて判然としませんが、くびれ部はしっかりと観察できました。 
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前方部先端の様子。
中央部分が抉れてますが、以前はココに前室を伴い凝灰岩の巨大な一枚板で構築された、
横穴式石室が開口していました。
現在は完全に破壊されてしまっていて、石室を見学する事は不可能なのが残念です。
早くに開口された為、出土品などは伝わってませんが、
ココに葬られた被葬者は相当な権力者だったのではないでしょうか?
 
尚、玄門と天井石は後日紹介する壬生城址公園内に移動&保存されてます。
最近の調査では、玄門を据えた台石と、石室の基礎部分が発掘されたそうですが、
できれば、発掘された状態で観察できるようにしておいて欲しかったです。 
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基壇上テラスから見た、前方部裾から後円部を眺めた感じ。
基壇上テラスには所々木製のベンチが置かれているので、
休憩しながらじっくり見学できるようになってます。 
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 掲載順序があべこべになってしまいましたが、
墳丘実測図と壬生城址公園内に保存されている、
玄門の白黒写真が説明板に掲載されてます。
 
墳丘実測図で前方部に抉れた部分が見えますが、
この位置に横穴式石室が存在してました。
また、後円部北側にも抉れた部分が見えるので、
実際にその場所に行ってみましたが・・・・・・、
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 単に人が登った事で崩壊しただけの様ですね。
この古墳に限らず、今後見学される方は、
墳丘斜面を崩して破壊しないよう、くれぐれも気を付けて下さい。
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 後円部墳頂ぶから見下ろした感じ。
赤字=後円部墳丘 水色字=基壇 黄色字=周濠
黒字=周堤・・・の順番で線引きしてみました。
見難かったらスミマセン(汗
 
直ぐ隣には大きな工場の建物がある為、古墳の直ぐ側の道路をひっきりなしに、
大型車(ダンプなど)が通行するので、見学の際はお気を付け下さい。
 
尚、自家用車で見学される方は、道路の直ぐ脇に専用駐車場スペースである、
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だだっ広い緑地帯が確保されてるので、安心してコチラに停めて下さい(^^
 
:吾妻(あづま)古墳:
・所在地:壬生町本丸1-8
・墳形:前方後円墳 2段築成 基壇有
・規模:墳丘全長128m 周堤まで入れた全長170m
    後円部径72.4m✖高さ8m
    前方部幅66m✖高さ7.2m
・周濠の有無:有り
・埋葬主体部:自然石切石組複室構造横穴式石室
       玄門のみ凝灰岩製刳り抜き
       全長8.4m
・出土品:円筒埴輪列、刀子、馬具
・築造年代:6世紀後半
・史跡の指定:国指定
・備考:玄門は壬生城址公園内に保存
    駐車場有り(未舗装)
 
次回は壬生城址公園内に移設された、
凝灰岩刳り抜き玄門と天井石を紹介します。

皆様こんにちは~(^▽^)
 
牛塚・車塚に続きましては、
両古墳からほど近い所の、神社森の中に位置するコチラの古墳です。
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 墳頂に社殿が建つ前方部の様子。 
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 愛宕塚(あたごづか)古墳
直ぐの所の小山市にも愛宕塚という名の古墳が有るので、
区別する為に、町名である壬生(みぶ)を頭に付けて、
壬生愛宕塚古墳と呼ばれている、
6世紀後半頃の築造と推定されている前方後円墳です。
また、古墳名は壬生城(後日紹介予定)の鬼門除けとして、
前方部に愛宕神社が祀られている事から名付けられてます。 
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 前方部から後円部を見た感じ。
駐車スペースが前方部側に無かった(清掃業者が居ました)ので、
後円部側の離合スペースに止めたので、ゆっくり&じっくりの観察ができなかったのが残念。 
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 道路に面している墳丘南側は、
緩やかなU字型で幅のある周濠が残ってます。 
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 説明板に記載されている墳丘実測図です。
「□・・・墳丘 □・・・掘 □・・・土塁」
・・・とあるので、設置当初は牛塚や車塚の様に、色分けされていたのでしょうね~。。。
尚、土塁とは周堤の事を指しているものと思われます。
この愛宕塚も、牛塚・車塚同様に、幅広いテラス部を持つ基壇があります。
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車を止めた付近から撮影した、後円部から前方部方向を見た感じ。 
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後円部頂部の様子。 
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 後円部頂部から見た前方部頂部の感じ。
古墳時代後期の築造ということで、墳頂に登ると、前方部が開いた墳形がよく観察できます。
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 古墳自体の発掘調査はまだ行われてないので、
埋葬主体部の開口位置等は分かってませんが、
後円部南側の基壇上で気になる膨らみを見つけました。
上の写真で、中央下部に切り株が写ってますが、
この切り株の上方左右の樹木の間隔が大きいので、
この辺りに横穴式石室の開口部が埋まってるものと思われます。
 
尚、古墳全体は未調査ですが、墳頂部の何処かは分かりませんが、
埴輪の破片が少量採取されている様です。
 
国指定史跡なので簡単には発掘されないのでしょうけれど、
もし今後発掘しても「平成の古墳」にしない様に、
強く願いたいものです。。。

周堤は一部破壊を受けてますが、
周堤を含めた全長は100mを超える、
この辺りでは割と大きな部類に入る古墳です。

※追記
 2018年に墳丘の調査が実施され、
 基壇部分や1段目テラスから円筒埴輪列、楯持埴輪などが確認。
 葺石も確認された他、周濠も全周することなどが判明しましたが、
 石室の存在までは確認出来なかった模様。
 また、この調査により全長が82mであった事が判明しています。
 
:壬生愛宕塚(みぶあたごづか)古墳:
・所在地:壬生町壬生甲 愛宕神社
墳形:前方後円墳 葺石
・規模:墳丘全長65m 元の全長82m
    
後円部径34m✖高さ5.5m
    前方部幅46m✖高さ6.5m
・周濠の有無:有り 周堤を含めた全長100m
・埋葬主体部:未調査の為不明 
・出土品:円筒埴輪、翳型埴輪、盾持人物埴輪、
     周堤上から円筒埴輪列検出
・築造年代:6世紀後半
・史跡の指定:国指定
・備考:前方部頂部に愛宕神社社殿有り
    駐車スペース有り(狭い)

皆様こんばんは~(^▽^)
 
帆立貝型前方後円墳の牛塚古墳に続きましては、
牛塚と道路を挟んだ向かいに位置するコチラの古墳です。 
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 駐車スペースの緑地帯から撮影した墳丘遠景 
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 車塚(くるまづか)古墳
最近発掘された外濠を入れると、
直径が135mにも及ぶ、超大型の円墳です。
外濠・周堤・内濠・基壇・墳丘本体・・・と成ってます。 
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 説明板に掲載されている墳丘実測図です。
青部分が墳丘、明るい茶色が基壇部分、緑色が内濠と外濠、濃い茶色が周堤を表してます。 
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 周堤上から撮った墳丘近景。
内濠底から墳頂までの高さは11mを測ります。
季節柄、樹木の葉が無いので、巨大な墳丘が観察し易いですね。 
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 周濠(内濠)の底から撮った一枚。
左側が周堤、右側が基壇となります。 
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 墳丘南西側に開口する巨大な石室。
この古墳の売りは、巨大な凝灰岩の一枚岩を使用した石室が観察できる事です。
開口は江戸時代頃と古く、羨道部分は失われてますが、前室の一部と玄室が残されてます。 
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 玄室から開口部を見た感じ。
前室付近ですが、両側壁とも巨大な凝灰岩の一枚岩で構成されてます。 
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 玄室の様子。
奥壁には赤いベンガラが一部残ってます。
玄室は、奥壁・左右側壁・天井石共に凝灰岩の一枚岩が使用されてます。
玄室床には人頭大の礫が見られることから、
築造当時は一面に礫が敷かれていたものと思われます。
 
実はこの古墳には私が小学生の頃に1度訪れてるのですが、
その時はもっとベンガラが奥壁全体にはっきり観察できてました。
ずっと開口したままなので、薄れてしまったのでしょうね。。。 
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 玄室天井石。
押しつぶされそうな威圧感を感じる程に、巨大な一枚岩で構築されてます。
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 この穴は後世に奥に何か埋まってると思った、
地元民による盗掘穴だそうです。 
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 石室から外に出て登った墳頂部の様子。
枝と葉が積まれてる以外は、遺物の露出などは見られませんでした。
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 墳頂部から下りる時に気が付いたのが葺石の存在。
よく足元を観察してみると、墳丘2段目付近に多数見られました。 
イメージ 13
 写真が前後しますが、墳頂から下を見下ろした感じです。
赤字が墳丘の裾、青字が基壇、黄色が内濠と周堤です。
 
車で見学される方は、車塚古墳側の緑地帯に止めて下さい。
牛塚古墳側にも多少のスペースは有りますが、
車塚側の方が広くて、切り返し/Uターンが楽です。
 
牛塚古墳(6世紀後半)の後に築かれた古墳だけに、
牛塚の被葬者との関係が気になりますね。
 
:車塚(くるまづか)古墳:
・所在地:壬生町車塚3153-1
・墳形:円墳 葺石 3段築成
・規模:墳丘直径82m✖高さ12.5m 
    周堤部直径120m 外濠直径135m
・周濠:有り 2重
・埋葬主体部:凝灰岩切石積横穴式石室 
       前室・玄室の複室構造
       全長5.72m✖玄室長さ3.02m✖奥壁幅2.77m
・出土品:須恵器片多数
・築造年代:7世紀前半
・史跡の指定:国指定
・備考:石室開口 常時見学可
    駐車場有り(未舗装)

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