関東の古墳&陵墓研究

関東地方(主に埼玉県や茨城県)の古墳や遺跡、神社仏閣等を見学し紹介してます。 個人的に好きな陵墓関係の記事や書籍も紹介してます。

2013年06月

皆様こんにちは~(^▽^)
 
今回から4記事に分けて紹介する地蔵山古墳群は、
蟹沼東古墳群から近距離にあった為に、ついでに見学してきました。

〇地蔵山古墳群
伊勢崎市(旧赤堀村)に展開していた古墳群で、
丘陵上に有る地蔵山古墳を中心とし、元は55基程有ったとされる。
現在は畑地開墾や開発などで5基まで減ってしまっている。

では、地蔵山古墳群の盟主墳である。。。
イメージ 1
地蔵山(じぞうやま)古墳から。。。
遠目にはかなり大きな古墳に見えますが、地蔵山(独立小丘陵?)の頂部に築かれた、
全長60m、後円部直径40m✖高さ3.6mの、帆立貝型前方後円墳です。
5世紀初頭~中頃の築造と推定されていますが、未発掘の為詳細は不明の様です。
 
イメージ 2
道路側(蟹沼東古墳群前を走る道路側)から見た、地蔵山の近景。
上の写真に写っている電柱?照明塔?の様な物の、
右側方向に蜘蛛の巣だらけの登山道があるのですが、
山頂近くで、明らかに傾斜が違う所があったので、
おそらくその部分が墳裾だと予想してます。
 
上の写真を撮影した時、全体が古墳かと思ってしまいました(^^; 
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墳頂の様子。。。
墳頂には唐辛子地蔵尊の社殿と御影石?製のベンチがあるのですが、
ご覧の様に下草が繁茂してしまっていて、
露出遺物を探すのも困難な状況になってました。。。
尚、頂部に祀られている地蔵尊の名前から、
唐辛子山古墳、地蔵尊が祀られる前は大山と呼ばれていたそうです。
 
帆立貝型前方後円墳だと言う事実は、
帰宅して色々調べていた時に知ったので、
上記の写真を撮っていたときは、円墳だと思ってました(^^;
前方部が不明瞭で、帆立貝型というよりも造出し付円墳であるとの説も有ります。

下草が枯れる頃にリベンジしたいのと、
早急に正式な発掘調査実施を望みます(^^
 
:地蔵山(じぞうやま)古墳:
・所在地:伊勢崎市五目牛町 頂部に地蔵尊
・墳形:帆立貝式前方後円墳
・規模:全長60m 
    後円部径40m✖高さ3.6m
    前方部長さ20m、高さ不明
・周濠:無し
・埋葬主体部:未調査の為不明だが、
       竪穴系埋葬施設が想定されている
・出土品:不明
・築造年代:5世紀初頭~中頃か?
・史跡の指定区分:市指定
・備考:後円部頂部に地蔵尊社殿有り
    駐車スペース無し

皆様こんにちは~(^▽^)
 
仕事が忙しくて2日ほど空いてしまいました(^^;
 
今回紹介する古墳群は、
蟹沼東(かにぬまひがし)古墳群
・・・と呼ばれております。
 
公園側と聖苑(斎場)側に駐車場が有り、当日は晴れて気温も高かった為、
比較的木陰が多い聖苑側に車を止めたので、公園側に設置されているという、
古墳案内板(古墳位置図)を見落としてしまいまいした(^^;
イメージ 3
公園内広場に設置された説明板です。
看板によると、元は70基ほどあった様です。
公園内に保存されている古墳は全て円墳で10基
周辺には後日紹介する予定の、地蔵山古墳群などがありますが、
公園周辺の古墳は畑地や田圃地帯の開削の為に、破壊されてしまった様です。。。
隣接する斎場敷地内にも数基有り、そちらは建設時に調査された様ですが、
公園内の墳丘は全て未調査の為、墳形が円墳である事以外の、
主体部の形態や出土品、周濠の有無などは全て不明ですし、
「〇号墳」などの記載も有りません。
公園整備するならせめて「〇号墳」的な感じでナンバリングして欲しいです(^^;
 
以下、聖苑側から順に墳丘の全体写真を掲載します。 
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芝生が植えられた広場になっている所にある2基の古墳のみ、
芝生が墳丘斜面に植えられて、綺麗な姿になってました。
上記2基以外は、下草もあまり生えて無く、
2枚目の古墳の様に、墳丘裾に枝を積んで、
墳丘の範囲が分かり易くなってる所もあり、
見学し易くなってましたが、4枚目と5枚目の古墳の様に、
腐食して落下してきたと思われる、
樹木の枝などが散乱していて足場が少々危険な墳丘もあり、
広場だけでなく、コチラも全体的に整備して欲しいなと思いました。

公園には無料の駐車場が有るので、気軽に見学できるのは嬉しいですね(^^
 
:蟹沼東(かにぬまひがし)古墳群:
・所在地:伊勢崎市波志江町 赤城見台公園内
・墳形:10基全て円墳
・規模:直径10~30m✖高さ2~4m
・周濠:不明
・埋葬主体部:横穴式石室(公園外の古墳、公園内は未調査)
・出土品:大刀、馬具、装飾品(公園外の古墳)
・築造年代:6世紀後半~7世紀前半
・史跡の指定区分:市指定
・備考:駐車場有り(無料)
    公園整備済み
    斎場内に有った古墳は全て調査後破壊

皆様こんばんは~(^▽^)
 
保渡田古墳群3基目ラストの登場は・・・、 
イメージ 1
八幡塚古墳の後円部頂上から見える、お寺の背後に位置してます。
八幡塚古墳からは、車で約3分ほどの近距離にあります。 
イメージ 2
コチラが背後に古墳がある、西光寺の正面です(^^ 
イメージ 4
正面からは全体像が掴めないので、裏側に回ってみて、
前方部から後円部方向を撮ってみました。
ちょうどくびれ部の辺りに低い位置に葉が繁る樹木があるせいで、
なかなか全貌が掴めませんが、秋~冬の時期に来ると、
下草も枯れるので、墳形が掴めるかと思います。
イメージ 5
前置きが長くなってしまいましたが、
ココに築造されている古墳名は、
薬師塚(やくしづか)古墳と言います。
保渡田古墳群で、最後に築造されたと推定される、全長105mの前方後円墳です。
社殿が建っている側は、前方部の一部が破壊されているので、
先程の裏側から撮った側の方が当時の姿を良く観察できます。
イメージ 6
説明板が設置されている場所の直ぐ横に、
後円部墳頂に登る石段があります。
尚、前方部も下から撮ろうと思ったのですが、
社殿兼住宅の建物がある為に、撮れませんでした。。。 
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後円部墳頂には社殿が建てられているのですが、
この社殿を建築する際に、墳丘下から出てきた物が、
直ぐ横に作られた覆屋の中に安置されてます。
 
何かと言うと・・・? 
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巨大な凝灰岩製の刳り抜き式舟形石棺です。
蓋石は頭部付近はよく残されているものの、
足元部分は、社殿建築の際に破壊されたのか、破片状になってます。
現在は完全に破壊されている為に見学はできませんが、
当時の文献で、礫で構築された石室内に石棺があったとの記述がある事から、
竪穴式石室内に舟形石棺が安置されていたと推測されています。
出土遺物は、玉類(勾玉・管玉等)、鏡、鋳銅馬具が発掘されていて、
中でも馬具は国指定重要文化財に指定されています。
尚、墳丘斜面には八幡塚古墳や二子山古墳の様に、
葺石が全面に葺かれ、円筒埴輪が樹立していたと考えられています。
何か露出遺物は無いかと墳丘を見て廻りましたが、
繁茂した下草のせいで、何も見つかりませんでした。。。 
イメージ 11
下からは撮れませんでしたが、後円部墳頂から見た前方部の様子です。
「前方部から後円部」も撮りたかったのですが、
下草が繁茂していて足元が危険だったので断念。。。
 
車でいらっしゃる方は、西光寺正面横に、2~3台分の駐車スペースがあるので、
コチラに止めると良いと思います。
脚力に自信のある方は、八幡塚古墳からそう遠くないので、
歩かれても良ろしいかと思います(^^
 
:薬師塚(やくしづか)古墳:
・所在地:高崎市保渡田町1872 西光寺境内
・墳形:前方後円墳 葺石
・規模:全長105m、濠を含めた全長165m 
    後円部高さ6m
・周濠:有り 二重
・埋葬主体部:竪穴式石室の中に舟形石棺安置
       現在は舟形石棺のみ見学可能
・出土品:円筒埴輪、鏡、玉類、鋳銅馬具
・築造年代:5世紀末~6世紀初頭
・史跡の指定区分:国指定
・備考:駐車場有り(寺院参拝者用)
    後円部頂部に社殿有り
    石棺は常時見学可

 それでは。。。Par.2の記事です。 
イメージ 1
後円部端の両脇に地下に下りる階段があります。
一見真っ暗ですが、ちゃんと照明が設置(人感センサー)されてるので、
懐中電灯装備の心配は不要です(^^ 
イメージ 2
入って行くとガラス扉が設置され、そこにご覧の様な注意書きが。。。
手すりの中(埋葬主体部保存施設)に入ると、警報装置が設置されている様で、
自動的に通報されますので、中に入らない様ご注意下さい(^^;
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入った中には副葬品室を備えた大きな舟形石棺があります(^^
蓋石の大部分が修復されてますが、身の方は発見当時のままの様です。
イメージ 4
奥の照明が当たらない場所には、
もう半分の石棺蓋石が転がって(安置?放置??)ます。
 
・・・てっきり、この古墳は舟形石棺1基のみだと思っていたのですが、 
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ほとんど破壊されてますが、舟形石棺に寄り添う様にして、
竪穴式石室(竪穴式石槨)が有りました。
少々暗くて見難いですが、石棺横の石積の端に、金属製のプレートが見える部分に有ります。
また、石棺の周囲にある礫群も当時のままで、複製では無い様です。 
イメージ 6
前後しますが、コチラが舟形石棺の副葬品室です。
イメージ 7
ココからは、鎌/やりがんな/鋤先/斧・・・などの農耕具と、
刀子(とうす)と呼ばれる小刀が出土してます。
 
前方部左横に「JA農産物直売所」がありますが、
この直売所の前の細い道を後円部方向に進んで撮ったのが、
Par.1記事に掲載した真横からの写真です(^^
 
ココはドライブがてら、もう1度秋~冬の時期に訪れようと思ってます。
間違って月曜日に行った為に、博物館が閉まっていて、
出土遺物が見れなかったので。。。(^^;
 
:八幡塚(はちまんづか)古墳:
・所在地:高崎市保渡田町2000-1
・墳形:前方後円墳 葺石
・規模:全長102m
    後円部径56m✖高さ6m
    前方部幅53m、高さは調査時削平されていた為不明
・周濠:有り 二重
・埋葬主体部:舟形石棺1、竪穴式石槨1
・出土品:舟形石棺/やりがんな、鎌、鋤先、斧、刀子、桂甲小札
      竪穴式石槨/早くに破壊されていた為不明
      墳丘&周堀/形象埴輪(人物・馬・猪・鹿)、高坏、
                           朝顔形埴輪、円筒埴輪
・築造年代:5世紀後半
・史跡の指定区分:国指定
・備考:駐車場有り(無料)
    出土品は博物館に展示

皆様こんにちは~(^▽^)
 
今回紹介する古墳は、井出二子山古墳に続いて、
築造されたと推定されている前方後円墳で、
3基ある前方後円墳の内、周濠/葺石/樹立していた埴輪群などが、
築造当時そのままに復元してあります。 
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墳丘写真の前に、説明板と墳丘の見取り図です(^^
前方部/後円部共に3段築成で、各段に朝顔形埴輪と円筒埴輪が樹立しており、
墳丘斜面はビッシリと葺石で覆われていた様です。
イメージ 6
真横から見た八幡塚(はちまんづか)古墳の姿です(^^
直ぐ側に農協関係の土産物店があるのですが、
その近くからだと、綺麗に全体写真が撮れます(^^
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駐車場がある「かみつけの里博物館」側から撮った、
前方部から後円部臨んだ感じ。
周堀は2重で、外堀の堤上からも埴輪が出たので、
どんな埴輪が出たのか、それぞれも復元してあります。
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内堤には、堤の両側に20本の円筒埴輪を置き、
1本朝顔形埴輪を置くというパターンだったそうです。
 
また、前方部に近い内堤上には、
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イメージ 10
発掘当時の写真パネルと共に、出土した順番に埴輪が並べて復元してあります。
前方部側に2箇所(A区、B区)ある内のA区の様子です。
馬型埴輪や水鳥埴輪の他に、鹿や猪の埴輪、琴を弾く男子や、
お供え物を掲げる女子の埴輪など、非常にバラエティ豊富で、
コレだけでも見る価値は十分あるかと思います。
イメージ 11
前回の井出二子山古墳にも有った中島状遺構ですが、
コチラの八幡塚古墳にも4基の中島状遺構があり、
樹立していた円筒埴輪群や葺石も復元してあります。
上に登る事はできないので・・・、
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墳丘に登って上から見てみたのがコチラです。
イメージ 13
・・・では、墳丘の方に登ってみましょう
全長は102mと群中2番目の大きさを誇ります。
全体が葺石で覆われているので、ピラミッドを見てるかの様な感じがします(^^;
イメージ 3
前方部頂部から後円部を臨む。
井出二子山古墳同様、頂部はコンクリートで固められているので、少々味気無いです(^^;
雑草処理が面倒でも、この部分だけは土面にして欲しかったです。
イメージ 4
後円部頂部より前方部を臨む。
また、ココからそう遠くない、高崎市三ツ寺という地で、
昭和63年に上越新幹線の工事に伴って発掘された
三ツ寺(みつでら)遺跡という、5世紀後半~6世紀初期頃の豪族の、
居館群跡(2キロ四方に及ぶ広さ)が、全国で初めて発掘されてます。
この3基の大型前方後円墳に埋葬された人物は、
この居館群に居住していた豪族達とその家族だと推定されてます。 
イメージ 5
ココで容量が一杯になってしまったので、
後円部内に作られた埋葬主体部復元施設の様子は、
パート2記事で紹介したいと思います(^^

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