皆様こんにちは~(^▽^)

本日は百舌鳥陵墓参考地について考えてみました(^^

〇百舌鳥陵墓参考地
・該当御方:応神天皇(陵既定※応神天皇初葬地
・所在地:大阪府堺市百舌鳥村大字高田字御廟「(御廟山古墳)」
     (現:大阪府堺市北区百舌鳥本町1-20-1)
・墳形:前方後円墳(周濠ハ民有)
・地況:樹林
・面積:一町八反五畝八歩
・指定ノ時:明治三十四年十二月九日
・考証意見:第二類
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陵墓地形図集成に掲載されている墳丘実測図 全体図
後円部北側の周濠の形状が一部歪になっていますが、
墳丘実測図の為に測量された前後で灌漑用として改造されたものと思われます。
現在はこの歪な部分のみ埋め立てられ、市営住宅が建設されています。
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墳丘実測図 拡大
くびれ部南側にのみ造出しが付く前方後円墳です。
後円部頂部に円丘が見られる他、
前方部頂部北側にも円丘が確認できますね。
後円部はともかく前方部頂部にも内蔵施設が有る模様ですが、
今までにこの部分の調査は成されて無いので詳細は不明です。。。
墳裾部分からは護岸工事に関係する事前調査などで、
多数の円筒埴輪が出土しております。

以下に考古学データを。。。
▽御廟山古墳
・墳形:前方後円墳 3段築成 葺石
・規模:全長203m
    後円部径113m
    前方部幅136m
・周濠:有り 二重(現在は一重)
・埋葬主体部:不明 長持型石棺?
・出土品:円筒埴輪
・築造年代:5世紀前半
陪塚は数基有ったとされるが、
万代山古墳(もずやまこふん)のみ現存。
規模は全国第35位。
2008年に墳丘部周囲の崩落補修、倒木などの撤去工事が行われ、
同年11月に宮内庁と堺市がそれぞれの管理区域の、
発掘調査を行い、29日と30日に環濠部に設けられた通路からの、一般公開が行われました。
また、堺市博物館に御廟山古墳の物と伝わる、長持型石棺の一部が展示されています。

宮内庁では応神天皇の初葬地としていますが、
大仙陵古墳や上石津丘古墳(現:履中陵)の側に有るので、
どちらかの古墳の被葬者に近い人物が葬られている可能性が、
高いのでは?と推定されています。

尚、陪塚は現在万代山(もずやま)古墳(前方後円墳 5世紀後半)のみで、
他に数基有ったとされていますが、既に破壊済みだったからか、
どの様な名称でどれほどの規模や形状だったか等、一切記録に残っていません。
ちなみに、現在では宅地建設に伴い遺物や遺跡が出た場合は、
基本的に事業者が費用を負担(※)して、調査を委託するという事になっている為、
手続きや調査を面倒がって遺物が出た事を行政に知らせぬまま、
遺物や遺構を破壊した上で建築物を建ててしまうという事を度々耳にします。。。
「何処」とは言えませんが、私自身もその事実を聞いた事が有り、
実際今でも該当地を少し掘ると土器片が出てきます(^^;

※個人が営利目的ではなく行う住宅建設や事業者に調査経費の負担を求めることが
 適当でないと考えられる場合は、公費により実施されたりします。
 (埋蔵文化財保護法93、94、96、97の各条)
 また、出土した遺物(出土品)は所有者が明らかな場合を除き、
 発見者が所管の警察署長へ提出する決まりが有ります(同法100条)

:結論:
〇応神天皇の初葬地とするには規模が小さ過ぎる上、
 立地場所が大仙陵古墳や上石津丘古墳に近い事などから、
 応神天皇初葬地説は疑問
=上記2古墳いずれかの関係者が埋葬されている説有り
〇長持型石棺出土が伝わっているが、仮に初葬地だったとしても、
 わざわざ石棺を置いていく/石棺を新しく作る事が不自然
〇周濠は堺市、墳丘は宮内庁管理の2重管理
=税金も2重取り状態?
〇破壊されたとされる陪塚のデータが一切残っていない事が疑問
=調査を面倒がった業者が破壊を隠蔽した可能性有り(だとしたら法整備前か?)

以上で百舌鳥陵墓参考地についての考察を終わります。