皆様こんにちは~(^▽^)

本日は天王塚陵墓参考地について考えてみました(^^

〇天王塚陵墓参考地
・該当御方:後三条天皇火葬塚(未定)
・所在地:京都市左京区岡崎入江町
     (現:平安神宮神苑内)
・墳形:円墳
・地況:平安神宮内
・面積:十二歩
・考証意見:第二類
※扶桑略記 百練抄内
 『神楽岡の南原に火葬 骨を禅林寺に安ず』

尚、墳形は現在の所「方丘」扱いになってる模様。
火葬塚の横の「未定」の記載は、「陵墓は治定されてるが火葬塚がまだ未定の為」
・・・という意味
です(^^
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陵墓地形図集成に掲載されている墳丘実測図 全体図
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参考地部分拡大
長方形状の区画内、北西寄りに隅丸長方形丘が有る模様で、
グーグルアースなどの航空写真でも神苑内に緑色で苔むした長方形区画が確認できます。
現地の写真画像を見る限りでは、高さは50cm以下程度の小丘に見えます。

後三条天皇の火葬塚である可能性が有るとして、
治定されていますが、火葬地を記した史料が無いなど確実性に欠ける為、
「参考地」としての指定にとどまっている模様です。
京都市内に天皇や皇族の火葬塚が多く見られますが、
他に寺社境内に火葬塚が有る例は、龍安寺境内の背後に有る、
朱山の頂部に円融天皇の火葬塚が有るのみです。
元々は火葬塚が野原無いに有り、後々に平安神宮が建立されたと考えると、
分からないでも無いですが、普通に考えると少々違和感を感じます(^^;
また、『扶桑略記』に記されている「神楽岡の南原において火葬」の文言ですが、
「神楽岡」の文言が入る陵墓に陽成天皇神楽岡東陵が有り、
その直ぐ北側に後一條天皇菩提樹院陵が有る事から、
この自然丘陵(吉田山)の周辺は以前より葬地だった可能性を考えると、
南側の原(火葬当時はやや傾斜地だったか?)とするならば、
現在一般の墓所となっている辺りで火葬されたと考える方が合致していると思われます。
平安神宮まで行ってしまうと、少々神楽岡からの距離が遠い為、
やはり現指定地には疑問を感じます。
何処か他所に移設したり削平したりすること無く、
現在も神苑内に有る辺り、火葬塚では無く祭事をしていた場所を、
裏付け調査などを実施することなく、天皇に関連する遺構として、
明治期に指定されたのでは?
と考えてしまいます。。。

〇天王塚陵墓参考地
・候補者:後三条天皇(火葬塚)
・等級:二級
・形状:方墳
平安神宮境内にあり、有料区域の神苑内に有る。
要社務所の許可

:結論:
〇一見すると禁足地内にある祭事を行っていた場所に見える
〇平安神宮内に現在も有るが、火葬塚を寺社境内に置いている事が疑問
〇史料に後三条天皇を当地で火葬した旨の記載が無い
=『扶桑略記』に記述が有るが『神楽岡の南原』のみで、
 具体的な場所までは記述されていない
〇考証意見は第2類と高いが、本当に火葬塚なのかは検証されていない
=調査すべきだがまだその様な動きは無い

以上で天王塚陵墓参考地についての考察を終わります。