皆様こんにちは~(^▽^)

本日は後宮塚陵墓参考地について考えてみました(^^

〇後宮塚陵墓参考地
陵墓地形図集成の見出しは「浄菩提樹院塚陵墓参考地」になっていますが、
現在は「後宮塚陵墓参考地」になってます。
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陵墓地形図集成に掲載されている墳丘実測図 全体図
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拡大図
参考地部分拡大。
この地形を測量した当時の昭和2年の段階では、
ご覧の様な不整形な台形状でしたが、
現在は参考地の周辺に建物が出来たせいで、
方形となってます。

〇後宮塚陵墓参考地 『事典陵墓参考地』より
・該当御方:未詳
・所在地:京都市伏見区竹田小屋ノ内町『五十二番地』
     (現:京都府京都市伏見区竹田西小屋ノ内町18)
・墳形:平『(円丘)』
・地況:無毛平地
・面積:一歩
・指定ノ時:明治三十六年四月二十一日
・考証意見:第四類
平安時代から鎌倉時代初期に栄えた鳥羽離宮殿の近くにあり、
付近に「竹田四十八塚」と言われる小塚が散在していて、
この三つの参考地も四十八塚に属するもので、
名称からみても皇室関係者が推測されるので精査の必要がある」として、
「陵墓の疑いを否定しがたいもの」に再び格上げされている。

現状は民家の庭先の様な外観となってます。
ストリートビューで見ると、駒札が建てられているので、
それと分かりますが、無ければごく普通の空地状態です。
尚、形状は「平(円丘)」と有りますが、
一見すると円丘があるようには見えません。。。
尚、「陵墓の疑いを否定しがたいもの」に格上げされていますし、
「名称からみても皇室関係者が推測される」としていますが、
特に何か墓所に関係する遺物(蔵骨器など)が出土した例は無い上、
「竹田四十八塚」の何処から「皇室関係者が推測される」という文言が、
出てきたのかは公式発表が無いので不明ですが、
該当御方も不明という辺りに違和感を感じます。
皇族や関係者の墓所とされるものに、宇治陵が有るので、
ここは鎌倉時代頃の塚群(供養塚や非皇族の墓など)と思われます。
指定解除された秘塚・鵺塚参考地の様に、調査後何も出なければ、
即指定解除が望ましいとおもわれます。

:結論:
〇「皇室関係者の墓所と推測」されるというのであれば、
 調査して確定づければ良いのに、調査が実施された事は無いのが謎
〇鎌倉時代頃に造営された近世塚群であり皇族の墓所では無い可能性大
〇現在も考証意見は第3類/第4類と最も低い扱いなのに指定解除しない謎
〇該当御方が未指定
〇当地付近に埋葬されたとされる皇族が皆無なのに指定される不思議

以上で後宮塚陵墓参考地についての考察を終わります。