皆様おはようございます(^▽^)

本日は下阪(坂)本陵墓参考地について考えてみました(^^

〇下阪本(坂本)陵墓参考地
地形図の方では「阪本」と記載されてますが、
巻末の一覧表では「坂本」と表記されてますので、
念のため両方記載しておきます(^^;

◎下坂本陵墓参考地
・該当御方:天智天皇皇后倭姫
・所在地:滋賀県滋賀郡下坂本村大字比叡辻字木ノ岡山
     (現:滋賀県大津市木の岡町)
・墳形:円丘
・地況:樹林
・考証意見:第二類
・備考:昭和四十年参道と交換
    陪塚五ヶ所トナル
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陵墓地形図集成に掲載されている墳丘実測図 全体像
本地(主墳)はページ上方の帆立貝型前方後円墳で、
他は宮内庁指定の陪塚となります。
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参考地部分拡大
長らく円墳とされてきましたが、墳形確認調査の結果、
帆立貝型前方後円墳と判明しています。
また、現在では帆立貝型前方後円墳を主墳とする、
古墳時代前~中期頃の古墳群だと推定されており、
倭姫の実在性に疑問が有る事から、倭姫と従臣や家族の墓では無く
当地を治めていた首長とその一族の古墳群であるとされています。

考古学的知見を以下に。。。
〇下坂本陵墓参考地(木の岡古墳群)
・考古学的名称:木の岡本塚古墳/木の岡丸山古墳
・墳形:帆立貝型前方後円墳 2段築成 葺石
・規模:全長73m✖高さ10m
・埋葬主体部:不明 竪穴系か?
・築造年代:5世紀代
・備考:陪塚5基
    い号:御前塚古墳 円墳
    ろ号:首塚古墳  円墳
    は号:茶臼山古墳 前方後円墳(全長84m✖高さ6m)
       葺石・埴輪・壺形土器出土、木棺直葬/粘土槨と推定
    に号:車塚古墳  円墳(直径25m)
    ほ号:新塚古墳  円墳
この内、車塚古墳と指定外の鹿道古墳の2基は車塚古墳群に属するとみられる。
周辺には終末期古墳の平石古墳などの築造も知られており、
湖南地域では唯一の首長墓群として注目される古墳群であるが、
治定されている倭姫王とは年代が全く合致しない為、
倭姫の墓では無い可能性が高い。

◎倭姫王
読みはヤマトヒメノオオキミ
生没年不詳
舒明天皇の第1皇子・古人大兄皇子の娘との事だが母親は不明である。
天智天皇の皇后とされているが子女は無し。
中大兄皇子が大王に即位したことにより大后となる。
天智天皇崩御後に倭姫王の即位または称制が有ったとする説が有る未確定

:結論:
〇治定されている人物と古墳の築造年代が合致しない
=天智天皇は7世紀後半であるのに墳丘の築造年代が5世紀代
〇生没年不詳だけでなく、母親が不明で子女も無い事などから、
 実在性に疑問が有る
〇本参考地は倭姫王とは別の首長とその墓である可能性大
〇夫帝の天智天皇の陵から離れ過ぎている事が不自然

以上で下阪(坂)本陵墓参考地についての考察を終わります。