関東の古墳&陵墓研究

関東地方(主に埼玉県や茨城県)の古墳や遺跡、神社仏閣等を見学し紹介してます。 個人的に好きな陵墓関係の記事や書籍も紹介してます。

皆様こんにちは~(^▽^)

本日は下松古墳群が属している上松本遺跡(破壊済み)を紹介します。
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「埼玉県古墳詳細分布報告書」で番号は古墳です。
模造墳丘と埴輪
セレモニーホール正面入口前に有る、古墳を模した築山と説明板。
説明板
説明板は風雨にさらされている為、ほとんど読めなくなってます(^^;
説明板には調査時の様子などの画像も掲載されてますが、
やはり薄くなって見えません(^^;

説明板によると、セレモニーホールを建設する際に4基の埋没古墳が調査され、
その内の1基は全長27.5mの帆立貝型前方後円墳(下松5号墳)で、
周濠とともに、弓を担いだ男子埴輪などの形象埴輪が多数出土し、
6世紀前半頃の築造と推定されています。

:上松本遺跡:
・所在地:東松山市松本町2-1-26
・遺跡内容:埋没古墳4基(円墳3基、帆立貝型前方後円墳1基)
・出土品:形象埴輪、弓を担いだ男子埴輪(5号墳)
・築造年代:6世紀前半
・備考:調査後破壊


次回は岩鼻24号墳(推定)疑惑地を紹介します。

皆様こんにちは~(^▽^)

本日は下松古墳群からセレモニーホール駐車場内に、
現状保存されているこちらの古墳を紹介します(^^
IMG_3241
「埼玉県古墳詳細分布報告書」に記載されている該当部分
南から全景
南側から見た下松2号墳全景
セレモニーホール駐車場内に、特に周囲にフェンスなども設置されていない状態で保存。
東から
東から
墳丘直径12.7m✖高さ1.8m程の規模を持つ円墳です。
埴輪片
封土に埋まった状態の埴輪片や土師器片が多数見られます。
夥しい土師器片
現代の植木鉢破片も有りますが、茶色い破片はほとんどが土師器片です(^^;
頂部から見下ろす
頂部に立って南方向を見ると、白いフェンスの向こうに下松1号墳が見えます。
除草シート
墳丘には頂部から北側斜面にかけて除草シートが敷かれてます。
何故全面では無くここだけなのか疑問です(^^;
気になる石材
墳丘西側裾と、
南側裾石材
南側裾に気になる石材を見つけました。

また、墳丘西側斜面の頂部近くに。。。
墳丘西側露出石材
石材が多数露出してました。
位置的に横穴式石室の裏込め石でしょうか?
もしくは西側に向けて開口している羨道or玄室の天井石?
他にも河原石が幾つかみられたので、葺石を持つかも?

こちらの古墳も調査は実施されていないので不明な事ばかりです(^^;

:下松2号墳:
・所在地:東松山市松本町2ー1ー26
・墳形:円墳
・規模:直径12.7m✖高さ1.8m
・埋葬主体部:横穴式石室?(石材露出)
・出土品:不明だが土師器片、埴輪片多数散見
・築造年代:古墳時代後期~終末期
・備考:セレモニーホール駐車場内に現状保存
    頂部から北側斜面に向けて防草シート設置

皆様こんにちは~(^▽^)

本日は東松山市内に2基現存する下松(しもまつ)古墳群より、
こちらの古墳を紹介します(^^
南から遠景
南側から眺めた下松1号墳遠景
古墳は私有地内(周囲をフェンスで囲まれてます)にある為、
墳丘への接近は不可能状態。。。
北西から
北西側から眺めた墳丘遠景
フェンスで囲まれている為、これ以上近寄れません(^^;
墳丘直径17m✖高さ2mの規模を持つ円墳で、
頂部の平坦面が広い事から、以前は社殿的な物が頂部に有ったのかな?
現在は南側端に石祠が祀られてます。
私有地内に有る為か調査はされておらず、墳形と規模以外の詳細は不明です。
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「埼玉県古墳詳細分布報告書」ではこちらが該当箇所です。

:下松1号墳:
・所在地:私有地内の為未記載(四方をフェンスで囲まれてます)
・墳形:円墳
・規模:直径17m✖高さ1.8m
・築造年代:古墳時代後期?
・備考:頂部に祠有り
    駐車スペース無し

次回は下松2号墳を紹介します。

皆様こんにちは~(^▽^)

本日は水戸市内の元吉田という町名内に有り、
特に名前は無いものの公園となっている箇所を紹介します(^^
ここは自然丘陵の麓から頂部に向けて階段と外灯が設置されており、
以前から気になっていた箇所だったので、じっくり見てきました。
史跡では無く旧跡と思われますが、史跡の書庫に入れておきます(^^;
栗田家旧跡碑
公園に入って直ぐ右側には『栗田緑園碑』と刻まれた石碑が建立されてます。
この事から、この公園は栗田緑園(栗田公園緑地?)という名称である事が分かります(^^
碑文とこの公園近くに住む方によると、栗田さんという方が、
この地に住んでおり、その居宅が有ったとの事。

水戸市と栗田家を検索してみた所、Wikiに記述が有ったので、
一部抜粋して紹介します。

〇栗田家
本姓は平氏。家系は桓武天皇を祖とする桓武平氏で、常陸国那珂郡の名族。
茨城郡六地蔵過去帳に栗田又次郎の名が有る。
現在当地は水戸市に寄贈されたもので、栗田家の居宅跡と伝わる。
現在当地は緑地公園として整備されているが。
頂部に石祠が2基と自然石1個が見られる。
これは年代は定かでは無いものの、尼寺の跡地とされている。

尼寺の跡は後ほど記載します(^^;
栗田家跡
栗田家居宅跡地
池跡?
散策道を挟んだ向かい側には池の跡も
関連施設跡?
庭(築山?)跡

そしてこの跡地から階段を登って丘陵の頂部に行くと、
尼寺関連施設跡?
広く開放的な空間が有ります。
樹木が多数有るので球遊びなどは不向き。。。
木登りしたくても、低い箇所の枝は取り払われているので不可能。。。
尼寺跡全景
そして丘陵頂部最高所には生垣と自然石が一つ。。。
生垣の内側には。。。
石祠2基
小型の石祠が2基祀られてます。
地元の方によると、ここには先述した尼寺が有ったとの事。
尼寺の創建年代は不明ですが、昭和時代の初め頃までは建物が存在したそうです。
礎石の名残
・・・とすると、石祠の前に有るこの自然石は、
尼寺の建物の礎石の可能性もあるかと?(^^;

:栗田緑園:
・現況:緑地公園
・由来:栗田家居宅跡、尼寺跡
・備考:石碑、頂部に石祠2基・自然石
    駐車スペース無し

皆様こんにちは~(^▽^)

本日は水戸市内に残る車丹波守(車斯忠 くるまつなただ)関連の、
史跡(処刑台跡と塚)を紹介します。

まずは、車丹波守の人物を簡単に。。。
詳しくはWikiを参照して下さい(^^;

◎車丹波守
車斯忠(くるま つなただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。
生誕年は不明。
佐竹氏の家臣で常陸国車城(現:吉田城跡)主。
佐竹氏の家臣で武勇に優れていたが民政面では不手際が多く、
そのことで城主の任を解かれ一時追放されたこともあったと伝わる。
慶長5年(1600)に徳川家康の会津征伐を前にして佐竹氏から離れる。
同年の関ヶ原の戦いの後に佐竹氏に復帰するが、
常陸水戸54万石から出羽国秋田18万石への移封に反発、
徹底抗戦を唱え水戸城奪還を企てるものの失敗し、捕らえられた後、
慶長7年7月(1602年8月)に磔刑に処せられた。

咳をした為発見され捕らえられたと伝わっており、
捕らえられた場所(車塚)で「咳の神様」として祀られている。
吉田城跡は佐竹氏家臣時代の居館と推定されている。
稲荷塚全景(磔跡地)
マップでは「稲荷塚」と記載されている箇所がこちら。
小さい稲荷神社が祀られてますが、車丹波守はこの地で磔刑に処された模様。
尚、地元では「きつね塚」とも称されている模様。
社殿
小さな祠
手前の玉石が新品の様な状態だったので、地元の方に大切に管理されている様です。
石仏2体と供養塔
祠の手前には2体の仏像と供養塔が有ります。
仏像は劣化が激しく、片方は首が有りません(^^;

:稲荷塚/きつね塚:
・現況:稲荷神社
    鳥居、祠、石仏2、供養塔1
・備考:車丹波守の磔台跡
    駐車スペース有(小型車)

憤怒の地全景
稲荷塚から西へ230m進んだ所に有るのが、
車丹波守憤恨の地」と名付けられた南北に細長い敷地です。
この地で隠れていて咳をしたために見つかって捕らえられ、
処刑後この地に埋葬されています。
説明文
石標柱の横に説明文が刻まれていますが、読み難いです(^^;
塚前の祠
塚の前には小さな祠が祀られてます。
咳をしたために見つかった事から、何故か「咳の神様」として、
信仰されている模様(^^;
塚全景
祠を含めた辺りに直径2m✖高さ30cm程の円塚が有ります。
雑草で見難いので赤線で囲ってみました。
この円塚に埋葬(首塚の説有り)されたそうです。
祠裏の巨木切り株
以前は祠の背後に老木が有りまして、目印になっていたのですが、
枯死&伐採されてしまった模様で、切り株が残ってました。。。

:車丹波守憤恨の地:
・現況:塚および小祠、石標柱有り
・備考:駐車スペース無し

次回は栗田家関連史跡を紹介します。

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