関東の古墳&陵墓研究

関東地方(主に埼玉県や茨城県)の古墳や遺跡、神社仏閣等を見学し紹介してます。 個人的に好きな陵墓関係の記事や書籍も紹介してます。

皆様こんにちは~(^◇^)

80陵墓目はコチラ。。。
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後朱雀天皇火葬塚之圖
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火葬塚部分拡大。
ここのところ方丘が続きましたが、久々の円丘形状の火葬塚です(^^
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制札
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火葬塚全景。
塚の周囲を石垣で囲まれてますが、全体の高さは1m前後の様です。
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別角度から見た火葬塚の様子。
塚の直ぐ後ろには小学校の校舎が迫ってます。

:後朱雀天皇火葬塚:
・測量年:昭和4年
・原図縮尺:1/100
・所在地:京都府京都市北区平野上柳町
・面積:390㎡
・陵墓の形態:円丘
・備考:火葬塚

皆様こんにちは~(^◇^)

79陵墓目はコチラ。。。
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白河天皇火葬塚之圖
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火葬塚部分拡大。
正方形に近い方丘に空堀が巡らされてます。
塚上に記載されている尖った様な物は針葉樹です(^^
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制札
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火葬塚全景。
針葉樹が数本記載されてると書きましたが、鉄扉の右奥の松の方が目立ちますね(^^;

:白河天皇火葬塚:
・測量年:昭和4年
・原図縮尺:1/100
・所在地:京都府京都市北区衣笠西馬場町
・面積:670㎡
・陵墓の形態:方丘、空堀
・備考:火葬塚

皆様こんにちは~(^◇^)

78陵墓目はコチラ~。。。
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一条天皇・三条天皇火葬塚之圖
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火葬塚部分拡大。
長方形状の丘になっており、火葬塚でよく見られる独立した円丘などは見られません。
尚、地形図集成には方丘では無く形状不明として使用される、「山形」と記載されてます。
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制札
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火葬塚全景。
こうしてみると、結構小高い印象を受けますね。
地形図の等高線から推測すると最も高い箇所で、4m程度は有りそうです。

:一条天皇・三条天皇火葬塚:
・測量年:昭和4年
・原図縮尺:1/250
・所在地:京都府京都市北区衣笠鏡石町
・面積:1588㎡
・陵墓の形態:山形
・備考:火葬塚

皆様こんばんは~(^◇^)

本日は久々に朝刊に掲載されていた、コチラの記事を掲載します(^^
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埼玉県坂戸市にある、入西(にっさい)石塚古墳の、
埋葬主体部から県内では初の出土となる、甲冑セットの破片が見つかったとの事(^^
県内では甲だけが出土した例はあるものの、
冑・甲・頸甲・肩甲の4つがセットになったものの出土は初めてとの事です。

調べてみた所、古墳自体は元の全長が40m程の、
前方後円墳で5世紀後半~6世紀前半頃の築造で、
採土工事により前方部が破壊されてしまってる模様。
1956年に採土工事の為(当時は古墳と認識されてなかった可能性有り)に、
後円部の一部を崩した所、遺物が出てきたので、
市が急遽発掘調査した所、埋葬主体部と見られる場所から、
鉄鏃・乳文鏡・直刀・鉄剣・槍などが見つかったとの事です。
埋葬主体部も一部破壊を受けてしまってる様で、
どの様な形式(粘土槨、木棺直葬、竪穴式石室・・・等)なのかは不明です。

3月18~22日まで坂戸市文化会館ふれあいギャラリーで、
一般公開される模様です(^^

皆様こんばんは~(^◇^)

77陵墓目はコチラ。。。
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三条天皇北山陵之圖
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陵墓部分拡大。
方形区画の中に円丘が造営されてる模様。
ただし、陵墓要覧や地形図集成では「円丘」と記載されてますが、
高さがほぼ無い平べったい円丘だそうで、
上記以外の史料には「平墳」と記載されてるものも有ります。
※平墳とされている陵墓は他に、桓武天皇陵や醍醐天皇陵が知られてます。

〇三条天皇
・生没年:天延4(976)年~寛仁元(1017)年
・在位期間:寛弘8(1011)年~長和5(1016)年
・第67代天皇
冷泉天皇の第2皇子で花山天皇の異母弟にあたる。
七歳で母を失い、父帝・冷泉上皇は精神病を患っていたため、その後見は薄弱であった。
朝廷で藤原三兄弟(道隆・道兼・道長)が権力を振るっていた時で、
特に道長との確執が有ったとされている。
天皇が眼病を患らったのを契機に道長が譲位を迫ったとも。
退位の時に詠んだとされる歌が小倉百人一首に採られている。
『心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな 三条院』
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制札
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陵墓全景。
先ほど墳高が無い「平墳」と記載した史料が有ると書きましたが、
この全景写真でもお分かり頂けるかと思います。
鳥居の奥に見えているのは目隠しの為の生垣です。

:三条天皇北山陵:
・測量年:昭和4年
・原図縮尺:1/250
・所在地:京都府京都市北区衣笠西尊上院町
・面積:1811㎡
・陵墓の形態:円丘(平墳?)

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